彼女は『八月の鯨』をやってみたいといっている。アメリカの小さな島で暮らす老姉妹の夏の日々を淡々と描いた傑作だが、撮影当時、リリアン・ギッシュは93歳、ベティ・デイヴィスは79歳だった。

だが、小百合に、自分の老いと醜さを画面に晒(さら)すことができるのだろうか。

彼女自らがいっているように、
「結局、ずっと、基本はアマチュアなんですね。仕事をしているうちに、映画がものすごく好きになって、いい意味では一つ一つの作品で新鮮に仕事をやれているんですが、
悪い意味で言えば、なんかアマチュアだなあと自分でも思うところが結構あるんです」

偉大なるアマチュアが悪いとはいわないが、彼女の渾身の鬼気迫る演技を見てみたいと思うのは、無いものねだりなのだろうか。

いまだアイドルから脱せない「悲劇の大女優」

『北の桜守』を見ていて、こう考えた。

彼女はどこかの時点で、自分は、田中絹代にも原節子にも岸恵子にもなれなかったが、
死ぬまで十代の若さと美しさを保ち続け、清純派スターとして一生を終えた女優として名を遺(のこ)そう、そう心に決めたのではないだろうか。

そうでなければ、あのようにハードなトレーニングを日々続けられないはずだと思う。

いまだアイドルから脱することができない「悲劇の大女優」の姿は、戦後の日本がたどってきた「大人になれない国」と二重写しになり、なおさら哀れを誘うのである。

だが、それを逆から見れば、私の様な老いさらばえ後期高齢者間近のオールド・サユリストにとって、これ以上ない贈り物なのである。

映画館に入ってスクリーンの彼女を見つめれば、いつでも青春時代の自分に戻ることができる。

80代、90代になっても青春スターでいられる稀有な女優なのだ。願わくば、モンペや割烹着ではなく、セーラー服で画面の中を走り回ってほしいものだ。『キューポラ』の石黒ジュンのように。