0084この子の名無しのお祝いに
2018/03/29(木) 11:36:16.67ID:i2t1iMwbだが、小百合に、自分の老いと醜さを画面に晒(さら)すことができるのだろうか。
彼女自らがいっているように、
「結局、ずっと、基本はアマチュアなんですね。仕事をしているうちに、映画がものすごく好きになって、いい意味では一つ一つの作品で新鮮に仕事をやれているんですが、
悪い意味で言えば、なんかアマチュアだなあと自分でも思うところが結構あるんです」
偉大なるアマチュアが悪いとはいわないが、彼女の渾身の鬼気迫る演技を見てみたいと思うのは、無いものねだりなのだろうか。
いまだアイドルから脱せない「悲劇の大女優」
『北の桜守』を見ていて、こう考えた。
彼女はどこかの時点で、自分は、田中絹代にも原節子にも岸恵子にもなれなかったが、
死ぬまで十代の若さと美しさを保ち続け、清純派スターとして一生を終えた女優として名を遺(のこ)そう、そう心に決めたのではないだろうか。
そうでなければ、あのようにハードなトレーニングを日々続けられないはずだと思う。
いまだアイドルから脱することができない「悲劇の大女優」の姿は、戦後の日本がたどってきた「大人になれない国」と二重写しになり、なおさら哀れを誘うのである。
だが、それを逆から見れば、私の様な老いさらばえ後期高齢者間近のオールド・サユリストにとって、これ以上ない贈り物なのである。
映画館に入ってスクリーンの彼女を見つめれば、いつでも青春時代の自分に戻ることができる。
80代、90代になっても青春スターでいられる稀有な女優なのだ。願わくば、モンペや割烹着ではなく、セーラー服で画面の中を走り回ってほしいものだ。『キューポラ』の石黒ジュンのように。