吉永小百合の「過去・現在・未来」(10)ルリ子は監督に異を唱えた
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〈拝啓〉吉永小百合様
(略)
 とにかく事大主義というのか、あなたの志向が、かつてのそれとはすっかり違ってきています。サユリストとしては悲しい思いです。それが「北の桜守」に象徴されていることに、気が付きませんか。

 それは例えば、浅丘ルリ子の女優人生と比べてみれば、よくわかるでしょうね。ルリ子は「同じような、決まりきった役をやっていてもつまらない」と言っています。
確かに観るほうも、偉大なるマンネリというか、「またこれか」となってしまう。ルリ子はだから、実際に変化してきたんです。

 あなたも出演した「男はつらいよ」への出演依頼をルリ子が受けた際のこと。それまでのマドンナは誰もだいたい同じふうな感じだったでしょう。
美しいけどそんなにハミ出さない、邪魔にならない、自己主張しすぎない。優しく穏やかで、常識的で。
山田洋次監督も最初はルリ子に、北海道の酪農家の家で乳搾りをさせようかと思っていたんです。

 ところが、監督がルリ子本人と会ってみたら、「私のこういう細い体で、そういうのが合うと思いますか」と言う。女優だから演技はできるだろうけれど、それは違うと思ったのです。

 そして、ルリ子が演じたリリーというドサ回りの歌手は、寅さんの女版のような感じでした。けれど、そんな役の彼女が加わったことで、あの映画は一気に活性化した。
まさに異色のマドンナになりました。監督自身も「最もマドンナらしからぬ、正反対なタイプだった」と述懐しています。

 一方のあなたの演じる役はというと、正直なところ、ある時期から本当にパターン化してつまらなくなったな、と私は思うのです。ただマジメでおとなしく、人を困らせたりしない。
意外性も新鮮味も発見も面白味も足りない。笑わせたり、クスリともさせてくれない。

中平まみ(作家)