毎日、1キロを泳ぎ、高倉健に教えられた腹筋100回に加えて、最近ではジムで筋トレまでこなすというトレーニングのおかげで、40代の石田ゆり子真っ青の姿勢の良さや、肌の艶である。

小百合の息子を演じる堺雅人についていえば、どんな役をやっても、歩き方やしゃべり方が、彼の当たり役である半沢直樹になってしまうのがおかしい。

肩の力を抜いた小百合と、しゃっちょこばった堺。出番は少ないが佐藤浩市の存在感がダレそうになる後半を引き締めている。

彼女ほど人に恵まれなかった女優は珍しい

私は映画を見ながら、ストーリーとは別に、吉永小百合という女優の幸薄かった73年の人生を振り返って、涙が止まらなかった。

彼女ほど、作品に恵まれず、監督に恵まれず、父母にも、恋人にも、亭主にも恵まれなかった女優は珍しいと思う。

120本もの作品に出ていながら、いまだに彼女の代表作は『キューポラのある街』(昭和37年公開・浦山桐郎監督、以下『キューポラ』)しかなく、もう一本挙げるとすれば『夢千代日記』(昭和56年)だろうが、これはNHKのテレビドラマである(映画化したが失敗だと思う)。

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断っておくが私は由緒正しいサユリストである。生まれは彼女と同じ昭和20年(1945年)。
彼女は3月の早生まれで、私は11月。敗戦の年だから生まれた子どもも少なく、同年の有名人は彼女の他にはタモリぐらいしかいない。

私が初めて小百合の声を聞いたのは、昭和32年に始まった『赤胴鈴之助』だった。ラジオに出たのは家が貧しかったからである。

父親は東大法学部卒業後、九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、出版社「シネ・ロマンス社」を経営したが失敗。その後病を得て、働けなくなる。

彼女が『私が愛した映画たち』(集英社新書。以下『私が愛した』)で語っているように、
「借金取りや差し押さえの税務署員が家の中に入ってきて」、
家の中は火の車で、家計を助けるために新聞配達をすると母親に迫ったこともあったという。

ピアノの教師をしていた母親の収入だけが頼りだった。映画に出るようになり、食卓のおかずが増えたのがうれしかったそうだ。