■いまだアイドルから脱せない「悲劇の大女優」

『北の桜守』を見ていて、こう考えた。

彼女はどこかの時点で、自分は、田中絹代にも原節子にも岸恵子にもなれなかったが、死ぬまで十代の若さと美しさを保ち続け、清純派スターとして一生を終えた女優として名を遺(のこ)そう、そう心に決めたのではないだろうか。

そうでなければ、あのようにハードなトレーニングを日々続けられないはずだと思う。

いまだアイドルから脱することができない「悲劇の大女優」の姿は、戦後の日本がたどってきた「大人になれない国」と二重写しになり、なおさら哀れを誘うのである。

だが、それを逆から見れば、私の様な老いさらばえ後期高齢者間近のオールド・サユリストにとって、これ以上ない贈り物なのである。

映画館に入ってスクリーンの彼女を見つめれば、いつでも青春時代の自分に戻ることができる。

80代、90代になっても青春スターでいられる稀有な女優なのだ。願わくば、モンペや割烹着ではなく、セーラー服で画面の中を走り回ってほしいものだ。
『キューポラ』の石黒ジュンのように。