all about 小津安二郎 2
前スレ
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ということで、よろしくお願いします。 この質問するのすごい恥ずかしいんだけど東京物語の紀子の私ずるいんですの何がずるいのか分からない >>433
当時松竹でもそう思われていたんだよなぁ
あまりに日本的過ぎて小津作品は海外では受けないだろうと
でも逆に家族の問題は普遍的で時代も国境も関係ない最大公約数的なテーマ
今では日本以上に海外で評価の高い映画作家になった
そのテーマのシンプルさに加え小津独自の高い芸術性とユーモアが海外での人気の秘密だろう カラーのお茶漬けの味を観た。
なんか不思議な世界。 小津はそれほど面白いとは思わないけど上品だよね
そこが海外の知識人に受けたんじゃなかろうか 外国の監督が来日すると、必ず鎌倉の小津の墓参りをするようだ。
今や、ハリウッドの代わるオールターナティヴは小津安二郎といわれている。
今年の8月、英国で「サイト&サウンド」誌が世界中の監督や評論家にアンケートを
実施する。10年に1回。2012年8月では、世界の監督360人くらいが選んだ最高の
作品が「東京物語」。知っている人はしているけど。それまでは「市民ケーン」だった。
今年も、「東京物語」がとるかもね。そしたら、この映画は国宝にすべきと、山田洋次はいいそうだな。 「サイト&サウンド」誌では、評論家のアンケートも有名。800人以上のアンケートでは、
東京物語が3位。15位が晩春、17位が七人の侍。
七人の侍より晩春が上をいく。日本人が聞いたら、有り得ないというかも。
「晩春」は、普遍的な父娘の相手に対する思いやりが評価が高いらしい。 近所のツタヤで小津作品が何本も長期間貸出中になっていて
最近その店借りパクのままいなくなって欠品になる作品が多いから
心配していたけど、無事戻ってきたようで
安心して早速宗方姉妹を借りた 宗方姉妹はわざとだろうけど嫌な人間に描いてるなあ
こんなムカつく姉妹もなかなかない
面白いけど、いやな姉妹 >>433
少々小津作品っぽい「めぞん一刻」がフランスで人気だったしな
われわれだって全然文化が違うアメリカや欧州の映画を楽しく見ている 日本人が見て面白いものは、外国でも面白さが伝わることは多いよ
絶対ではないけどね
俺は今57歳だが、高校生の頃にアニメを見ていて
「日本のアニメはこれだけ面白いのだから、外国の映画等と競合できるものになっていくだろう」
と思ってた
その頃は海外でも一部で受けていることが伝えられてたけど、日本のアニメオタクは
強烈な差別を受けていたし、海外でも日本のアニメ映画が大ヒットなんてことはまだなかった 秋刀魚の味って季節は秋だっけ?
数年前に初めて見たときが春だったからなぜか春の印象があるけど 『秋刀魚の味』の公式英語タイトルは “An Autumn Afternoon” だから
おそらく秋なのだろう ワンシーンだけと思ったのにまた全編見てしもうた東京物語
名作映画はチラ見を許さない。何度見ても素晴らしいね。
香川京子は実姉は姉さんと呼び義姉はお姉さんと呼び使い分ける
普通なら出オチ程度の兄弟の中では端役と言える大坂志郎もしっかりと人物像描かれている
脇役のエース酔っ払い東野英治郎はじめ髪結いの亭主中村伸郎、リアル過ぎる飲み屋の女将桜むつ子
小津作品に欠かせない高橋豊子も幕開け閉めの大事な役どころで役割果たしどの脇役陣にも隙がない
そして小津本人がいうところの4番バッター杉村春子は小津作品の中でも最高の出来でしっかりと4番の役目果たす
完璧に練りこまれた脚本とその脚本を熟知した小津の完璧な演出
日本人という贔屓目抜きにしても究極の映画作品ですな >>433
監督デビュー前、カイエ・デュ・シネマで評論家やってた時代のトリュフォーははっきり小津安二郎は退屈と言ってる
トリュフォーが当時評価した日本の映画監督は溝口健二、市川崑、中平康、今村昌平、羽仁進など
時代劇は暴力的なので観てないそうだ
あとくだらないと批判したのは新藤兼人の「裸の島」 小津は溝口健二や黒澤明と違って三大映画祭で金獅子賞とか受賞してないからなあ(ロンドン映画祭で受賞はしてるけど)
敗戦直後に黒澤明の羅生門がヴェネチアで金獅子賞は映画界にかなりインパクトあったはず
同じく海外の映画賞とは無縁だった成瀬巳喜男も批判を受けてる
吉田喜重との論争で小津自身が言ってるように、溝口、黒澤は芸術で小津映画は娯楽みたいに見られてたところもあったと思う 小津は映画のための映画を撮ろうとしてついには制度としての映画に挑戦するようになった。
本人がどう韜晦しようともモダンな意味では小津ほど芸術的な監督はいないだろう。
現代では芸術と娯楽との区別に意味があるのかどうかは知らないが 大映好きなんだけど浮草は好きではない
原節子がいないとしっくり来ない 秋刀魚の味見てるんだけどこの時代に戦争に負けて良かったて言えるのすごくない?
実は80代の祖母も同じこと言ってるんだよね 戦争に負けて偉そうな軍人がいなくなって平和になったからってことなのかな >>458
デジタル修復版まとめて見れる録画撮れるのはありがたい
情報ありがと 秋日和に限り原節子と司葉子どっちが好き?
冒頭のオヤジ達みたいな話題だけど 西川克己
絹代さんが監督する「月は上りぬ」で、小津さんがプロデューサーってことが決まり、呼ばれました。
「北原三枝って知らねえんだけど、みんながいいっていうから、ラッシュ見せてくれないかな」と言うので、会社に頼んで見せてもらいました。
そしたら「なかなかいいじゃないの。西河君、君のところの主役にするんだって?」
「ええ、主役にするつもりで引き抜いておいたんですが」って言ったら「いや悪いけどね、ちょっと譲ってくんないか」と。
そこで、僕は「実は私も困ったことがあるんです。大変重要な役で、笠さんに出てもらいたいと思っているんです」
「五社協定に入っていて、そんなわけにいかないだろう」
「そこを何とかお願いできないでしょうか?」としつこく食い下がりました。
そうしたら「いやあ、迷惑を掛けて悪いから、まあ話してみるか」と。
やっぱり、小津さんの威厳というものは大変なものでした。 >>461
あの時代の司葉子って全女優の中でもトップクラスの美貌なんじゃないの、まあ好みもあるだろうけど 石堂淑朗が岸恵子は小津映画で原節子に代わり得る存在だったと言ってるけど過大評価の気がする >>463
> 「五社協定に入っていて、そんなわけにいかないだろう」
小津って本当に狸でこういう事をしれっと言う
「月は上りぬ」自体、五社協定打破が目的
田中絹代監督に託けて監督協会が企画、大監督たちが直接サポート
成瀬巳喜男も脚本をリファインしてる
業界一眼となって絹代をサポートするって体で、五社協定破りした
西河が見返りを頼んだ体にして、さらに五社協定破りしてる
小津も松竹との本数契約を拒否
但し作品を作らなかっただけで契約したという説もある 「月は上がりぬ」で日本初の女性監督誕生はいいんだけど
この騒動にかまけて小津安二郎が年1本撮るが出来なくなって2〜3年映画撮れなかったんだよな
ちょっとこの期間惜しいなあ >>465
過大評価かどうかはわからんけど岸恵子がイヴ・シャンピと結婚せず日本にとどまり小津作品に出続けていれば
早春以降の戦後の小津作品が現存するものとは違ったものになっていたことは間違いないだろうね。
小津が岸君は身持ちが悪いところがいいと言ったようにかなりのお気に入りでもあり女優として買っていたと思う。 小早川家の秋でも新珠三千代を気に入って
もう一度組みたいと言ってたようだね
それにしても小津安二郎が松竹以外で映画撮るときは絶対美術監督が下河原友雄なんだよな
下川原友雄は大映所属だから小津とそこまで交遊関係があったわけでもないのに
それだけ腕を買ってたのかね >>467
かまけるって言葉はちょっと否定的なところがある
小事にかまけて大事を怠るって意味があるから
けどこの頃の小津は五社協定と真剣に闘っていた
小津は大人(たいじん)だね
惟義所在 >>469
永井健児が
小津安二郎に憑かれた男―美術監督・下河原友雄の生と死
って本書いてるよね
あれ読むと下河原の小津への心酔振りと献身がよく分かる
小津の方でもそれに応えたのでは
本人が画家として活動したくて欧州に渡ったので
聞き書きの類が殆ど残ってなくて残念
兵隊やくざや赤い天使など戦争ものだけでもかなり面白そう >>470
小津監督の志の高さは理解出来るけど東京物語とった後次が1956年の早春で小津監督の中でも脂の乗ってた時期だから1954年や1955年に映画撮っていれば名作がもっと撮れてたかもと思うと月は上りぬで時間とられちゃったことが惜しいんです 「かまける」にこだわってる人がいるけど
「かまける」は大辞泉だと「あることに気を取られて、他のことをおざなりにする。」「心を引かれる。感心する。共感する。」だから
そう悪い意味ばかりの言葉でもないよ >>472
小津本人も東京物語を撮ってその10年後にまさか亡くなるとは思ってなかったろうしね。
昭和天皇の二歳下だから昭和の終わりか平成の初めまで存命で映画撮り続けてもおかしくなかった。
岩下志麻が病院に見舞いに行った時、おれは何も悪いことしてないのに...と涙ぐんでいたそうだけど
志麻さんもまだ若かったので慰めの言葉も思い浮かばなかったという。
その後映画低迷期にはなるけど後20年10作品くらいは残してほしかった。 吉田喜重との論争が有名だけど
小津本人は芸術映画とかを撮ってたというような意識が全く無かったのが凄い
あくまで大衆向けの映画作ってるつもりだった >>476
韜晦だと思うよ
芸術の事は自分で決めると言ってるし
映画界の白樺派ってことは意識してたでしょ 諧謔と言った方が良かったかな
吉田喜重に酔って語ったことを考えると 本人は「風の中の牝鶏」と「東京暮色」は失敗作と言ってるがどちらも完成度高いと思うけどな いやー牝鶏と暮色は救いようがない暗さで失敗作とまでは言わないまでも
確かに小津作品の中では凡作 早春にもちょっとそれを感じる むしろ「浮草」のほうが個人的には
豪華スター使いすぎて浮草家業の人たちという感じじゃないんだよね
当時の大スター使ったんだろうけど今はほとんど忘れられてるぶんオリジナルの「浮草物語」のほうが本当に浮草に生きてる人間という気がする 東京暮色は途方もない映画だよ。
何度か繰り返してみると何度目かでふと気づく、家族を見つめるその無縁な機械的な視線に。
これは小津が撮ろうとして撮れなかった戦争映画に用いられるべき手法だったと俺は考えている 本人が失敗作といったとは知らなかったが、「なにしろ(キネ旬)19位だからな」と自嘲気味に語ったことはあったやに聞いた。
これは本当に自嘲なのかそれとも世評というものに対する失望めいたものが混じってなかったか。
それでも途方のなさというものは19位あたりに、あるいはリスト外に位置づけられるしかないのかもしれないよ この無縁は劇中にも滲みでている。
応援団が明大の校歌を歌うけど、送られる者(多分明大スキー部)と娘が見送りにこない母親との対比と見るのは間違いだと思う。
だって送られる一団は一切映さないで、山田五十鈴に延々とフルコーラスでかぶってるんだから 「風の中の牝鶏」も「東京暮色」も小津安二郎以前に野田高梧が猛批判してるのよ
名コンビの野田高梧が言うならしょうがない部分もある でも「東京暮色」は野田高梧が共同で脚本書いてるじゃん
茅ヶ崎館時代とは違って安二郎に押し切られたのかね シナリオを見ると上野駅のシーンは、学生の一団が合唱している「ホーム」あるいは「窓外」と山田五十鈴と中村伸郎の「車内」とが交互に書かれてるんだな。
つまりシナリオ作家としては対比によって構成しているものと考えていい。
ところが小津が画にしたのは上に書いたように無縁のモチーフの衝突でね、ある種の脱統合、いわばコラージュなんだな 野田にしてみれば小津の目が無機的で冷徹にすぎるといったところだろうか。
「リアリティそのものは映画にならない。テーマの下に有機的に構成されて初めて映画になる」というのが野田の考えで、
しかしその構成が(小津にとってはやはり一つの制度が)劇中の人間の矮小さを描くのには生ぬるく感じられたということではなかろうか 家族に向ける小津の滋味ぶかい眼差しという広く流通する誤解からは一度解放されなければならない 野田高梧の娘で晩春以降の小津作品の脚本すべて清書した立原りゅうが後年
小津さんは父と離れればもっといろんな作品撮っていたでしょうねと語っていたそうだが
東京暮色の脚本執筆での小津と野田の対立を念頭にして出てきた言葉のように感じる。
野田高梧が小津の葬儀で秋刀魚の味が遺作では小津君が可哀そうだと言った意味。
単に晩春の二番煎じ的ともいえる筋書きでコメディ色の強い映画だからなのかなと想像したが
東京暮色での対立や小津の10歳年上である野田亡き後の共同脚本家の選定まで二人で考えていたこと踏まえると
こんなことならもっと早く自由に撮らせてやればよかったという懺悔のような感情もあったように思える。 志賀直哉の熱烈なファンだったけど(だからこそ?)志賀直哉原作の小説を映画化とかはしなかったね 志賀の代表作なんて映画化して面白いわけない
何を深刻ぶってるんだという映画にしかならない >>493
暗夜行路なんかは今の方がピッタリ来るぞ
深刻ぶってるとしか思えないのは哀れだなw 麦秋の高堂「何もかも高うなって、えらい世の中じゃ・・・」 東京物語
原節子というより笠智衆と東山千栄子コンビの仏みたいな雰囲気に癒されたくて見てる 何をいまさら...。
ってかしげは少々キツい性格というだけで見れば見るほど言われるほど
悪い人間ではないのがよくわかる。
これが単なる親不孝娘や息子の単純な家族映画なればここまで世界中で愛される映画にはなっていなかっただろう。
誰しも自分の生活や忙しさにかまけて親をないがしろにしてしまったような経験が有るから
見終わった後に自分に置き換えていろいろと考えさせられるわけで。 >>501
いや私は今回見るまで何度も見たけど世間で言われる子供たち悪いみたいの全然思わなかったのね
むしろこれ普通で何で批判されてんの?って
でも何回も見てる内にやっと杉村春子の役性格悪いって思うようになってきたってこと
あと山村聰も冷たいね ――どんな方でしたか?
おしゃれでしたね。白いワイシャツとかズボンとか、いろいろこだわってらっしゃいました。体は大きい方でした。でも穏やかでね。怒った顔を私は見たことないし、怒鳴った顔ももちろん拝見したことない。本当に穏やかで優しい先生でした。
――笠智衆さん演じる父親に花嫁姿を見せて嫁いでゆくシーン。ジーンときました。
他のシーンではいつも50回とか60回、時には100回もテストがあったんだけど、あそこのシーンだけ1回でOKが出たんです。先生のイメージにぴったりだったのかしら。
――100回も?
巻き尺をいじりながら「失恋」を表現するシーンは100回もテストを重ねました。ミシンの前に座って巻き尺をいじる。セリフもないし、泣くわけでもない。ただただ巻き尺を右や左の手に巻き付けて、それをやってるだけ。失恋の感じを出すシーンだったんですけど出来なくって…。
――なかなかOKが出なかったんですね。
ずっとメロドラマをやってましたから、感情過多になるお芝居をやる癖がついていたんだと思うんです。失恋したからってすごく悲しい顔をしてたんじゃないかな。小津先生は「無表情に、無表情に」と指示されましたが、悲しい感情がわいてきちゃって…。
それと巻き尺を巻くリズムも先生のリズムと合わなかったんだと思うんです。先生、すごく自然体でリズムを大事になさってたから、それが合わなかったのかも。その後、誘われてお食事に行った時に
「志麻ちゃん、悲しい時に人間っていうのは悲しい顔をするもんじゃないよ」って。「人間の感情ってのは、そんなに単純じゃないんだよ」とおっしゃるんです。「ああ、やっぱり失恋したからって、私はすっごい悲しい顔してたんだろうなと後で思いましたね」 ――監督は小道具へのこだわりも強かったと聞きます。
絵なんか全部本物ですよ。何百万円という絵を借りてらして。先生は、言ってみれば、ワンカットが一枚の絵ですよね。ローアングルのカットも絵のようです。(北鎌倉の)先生のご自宅から見て鎌倉は南で、東京は北。「鎌倉に1センチ、東京に2センチ」と、絵をかける場所までこだわってらしたんですよ。それで何百万円の、いわゆる本物の絵ばかりだから、小道具さんすごい大変だったと思います。
あと小道具で私、すごく覚えているのは、(劇中に出てくる)お料理屋さんの食器。赤坂の本物の料亭から取り寄せて使ってらした。だからね、清水焼きよみずやきとか九谷焼くたにやきとか、本当におしゃれないい食器がいっぱい並んでましたよ。
――色にもこだわりがあったとか?
先生は赤がとてもお好きでしたね。改めて小津作品を見てみると、ワンカットに必ず赤が入ってるんです。食器でも、ちょこっと赤の模様が入ったお茶碗ちゃわんが置いてあったり、あと、自宅(のセット)なんかでもやかんが赤だったり、ゴルフバッグが赤だったり。
表(のセット)だと、ネオンが赤だったり、ポスターが赤だったり。とにかくワンカットに必ず赤が入ってました。その時は気がつかなくて、だいぶ経ってから、私が本を書く時でしたね。プロデューサーの山内静夫さんに「どうして小津先生は、赤をね、
ああやってワンカットの中にもお入れになったんですか?」と尋ねたら「それは小津美学。先生は赤が大好きだったんだよ」とおっしゃってました。色も小道具も一つ一つ凝ってらして、本物志向でした。
――演出の特徴は?
自然体で、先生のリズムがあるから、なんか変な演技プランを考えて撮影に臨むと却下なのね。だから私、その後に思ったんですけど、先生の演出っていうのは白紙で行って、まあ抽象的な言い方だけど、先生に、その役の色を塗ってもらう。そういう演出だなっていう感じがしました。例えば首の動かし方、首の動かし方のテンポ、首の上げ下げのテンポ、
そういうのまで、全部指導なさいましたからね。だから、こっちのリズムで勝手にやっても全部NGです。やっぱり先生の額縁の中にきちっと収まらなきゃダメでしたね。 ――右頸部けいぶにがんが見つかり、還暦の誕生日に逝った監督。病魔が憎いですね。
撮影が終わる頃に「もう1本やろうね」とおっしゃってくれたから、本当に残念です。お見舞いに伺った時もね。「僕は何も悪いことしてないのにね」と言って涙流されてね。本当に今でも思い浮かびます。
先生の病床の姿が。もう1本出来れば、もうちょっと、先生の中に入れたかなと思いますね。60歳の誕生日に亡くなられた。早いです。1本と言わず、まだまだ何本も撮っていただきたかったです。
――小津作品への出演は岩下さんにとって?
財産です。ずっと前にフランスの小さな映画祭に招かれ、そのシンポジウムに参加したんですが、ジャーナリストの方たちが何を私に質問したかというと、
全部小津監督の「秋刀魚の味」のことでした。「どんな監督だった?」「ローアングルの演出をどういうふうにしたのか?」
とかね。本当に小津監督に関しての質問攻めでした。「ここまで世界的になられて、凄いなと思いましたし、出させていただいて改めて光栄だと思いました」
――原点ですね。
「悲しい時に悲しい顔をするもんじゃない」「人間の感情ってそんなに単純じゃないよ」とおっしゃったのが、その後の原点になってるのね、よく考えると。「悲しい時に悲しい顔をしないで」と先生そうおっしゃったから、悲しい時にちょっと笑って言ってみようかとか
、怒って言ってみようかなとか、そういうふうに発想が飛んでね。先生のあの言葉が、演技を考えるに当たってすごい原点になってます。独特の演出方法。「秋刀魚の味」に出させていただいたことは本当に光栄なことだし私の宝物です。
――記念イヤーは映画館での上映もあるようです。
やっぱり映画はね、大きな画面で見たい。さらなる魅力が見えてくるし、テレビで見てもそれなりには素晴らしいですが、やっぱり小津監督の作品は映画館で見てほしいです。 秋日和の寿司屋ではまぐり2回頼むシーン出て来るから寿司屋で真似したらはまぐりないって言われた ヒレカツ定食3,500円かよ
そうそう毎日は食えないな >>486
ほっとくと話が暗くなりすぎると言ってたはず >>501
>>504
杉村春子の性格が悪いと思わないのはかなり特殊な感性なんじゃないか?
性格悪いからと言って全否定する必要もないわけだが >>510
それ知らなかった、店の写真見たけどめちゃくちゃ美味そうだ そうかい 美味そうかい
うーん・・・・やっぱり・・・・
美味そうなんだにぃ 清水宏と無二の親友だったそうだから亡くなった時に何か発言してるのかなと調べたら小津のほうが先に亡くなってるのね
生年は同じなんだけど
小津は死ぬ直前まで全盛期が続いたけど清水宏は戦後、特に50年代は心臓のこともあって面白いけど全盛期ほどにはという感じだったのが残念 清水はちょっとした騒動があったんだよ
いま芸能界にあるような
それで活動が制限された 東山千栄子はなんか違うんだよな
笠智衆程の温かみを感じない 田中絹代監督作品見てるけどつまらない
監督って大事だなとつくづく思った 野球大好きだった小津さんに今回のWBCを見せたかった。
いやきっと天国で見ていたに違いない。
「今日は撮影は中止だよ。みんなで野球を見よう」 なんで芸スポ速報+に秋刀魚ネタのスレッド立ったのに書き込み少なすぎるんだろう
小津作品ファンからしたら秋刀魚はそこまで好きになれなった映画なん? >>531
入力ミス
○なれなかった映画なん?
>>1 >>530
秋刀魚の味とか関係なく生誕100年の時少し盛り上がったくらいで
今となっては一部ファン以外は知ってる人自体も少ないからね。
鎌倉住んでるけどこの地でさえ状況は同じ。
多分日本よりフランスのほうが知名度高いんじゃないかな。