>>311
生前は黒澤とか溝口は海外の映画祭にコンペ出しまくったから知名度得たのと対局に小津の世界観は外人には分からんだろってことで松竹の幹部がほとんどコンペ出品しなかったので海外の人間が知る機会なかったのが海外のでの評価が遅れた理由の1つ。
日本国内での小津の評価は文字通り戦後は大ヒット連発する巨匠、松竹の看板監督として批評家の評価も観客の評価も高かったよ
ただ死後はだんだん忘れ去られたのを蓮實などが小津再評価して海外でも徐々に認知度が上がって行った