all about 小津安二郎 2
前スレ
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ということで、よろしくお願いします。 >.>20
手塚治虫も医専卒。
それがばれないように、年齢をごまかした >>22
>すなわち「医専」とは、大きく分けて
(1)帝大医学部の前身、
(2)開業医養成学校、
(3)軍医養成学校の3タイプがあったのです。
戦争が始まって粗製乱造したあげく、ほとんど戦死させたのか。
ひどい話だな。 >>18
小桜葉子が出てたのには吃驚でしたね〜上原葉子としてですが、上原謙の妻と加山雄三の母と言うのが小津映画とは結び付けなかった。 麦秋
そういえば、くっきりしてた印象。
大和大和とうざい。
奈良県中部の人間が里を大和などと称するか!
京都人は「山城はええとこじゃ」とか言わんだろ。
小津と野田の感覚がおかしい。 大和の爺ちゃんが七人の侍の村の長老高堂国典だと気づいたのはだいぶ後だった >>29
「やまと」は単に山の入り口だから日本中にある。
江戸は川の入り口
水戸、みなとは水の入り口だから 出だしから悪ガキが出てきて気分悪い。
あんな恵まれた家にあの悪ガキはおかしい。 きみの視野が狭いだけ
あの時代のああいった中流階級では珍しくもなんともない
春の風物みたいなものだから微笑ましく受け入れるのが普通だよ 俺は72歳だけど、それが何か?
2ちゃん歴15年だぞ! >>35
29歳だが?
きみの視野が狭いんだよ、つか無知なだけか、つか器量の小ささか >>37
誰が見ても不愉快なものは不愉快
君の感覚が狂っている。 自分も別に不愉快には感じなかったけどな。むしろ可愛かった。 麦秋の食パンキック事件はさすがにヤバいと思ったけどな
あれは躾が厳しくない家でも相当怒られる
シュリーマンの幕末紀行だったか日本の子供は悪戯含めてのびのびと遊んでて
西洋に比べて大人が驚くくらい子供に寛容みたいなこと書いてあったな パンが食べられなくなったら、ケーキを食べればいのでは
というわけで、麦秋ではショートケーキを食べる。 >>38
原節子がご飯を口に含んでモグモグしながら喋るのには耐えられましたか? >>44
ハミング? 原節子がハミングしている場面って、ある? 大昔、ホンダN360の中古を5万円で買って乗り回していた。
あんないい車はなかったわ。 >>49
で、あなたはどう思いましたか?
あの原節子(に対する演出)
意図的なキャラ設定?
それとも当時は中産階級でもあれが普通の行為? >>51
くだらんとは?
別に行儀悪くはないってこと?
それとも行儀悪くてもokってこと? 俺は原が食いながら話していても構わないしお茶漬けズバズバ啜っても気にしない
笠がおかずをご飯に乗せて食べてても気にならない 大人に怒りを示す為に、いけないこと、パンを蹴っ飛ばすくらいのことは子供なら誰でもやるし、その子供はそのまま大人になる訳じゃない
ましてや小津に出てくる子供は総じてムカつくガキだし、あれぐらいは子供なりの可愛い反抗として俺は捉える
映画なら勿論、現実であっても、外野が怒るようなことじゃあるまい 自分が小学生の頃、昭和30年台前半には、クラスには6畳ひとまに
一家5人が住んでる奴とかバラックみたいな家に住んでる奴も居た。
子供のしつけなんて全くできてなくて悪いことばかりしてたわ。
麦秋の家庭にあの悪ガキはいないと思う。 >>58
親に全く相談もしないで、子持ちの男との結婚を勝手に決めてしまう娘をどう思いますか? >>38
邦画の娯楽アクションとしては良く出来ている方だが、いかにも70年代の大作らしく
無駄に豪華キャストで少し長過ぎるのが欠点。 中井は「原節子さんの髪型あるじゃないですか、『シニョン』。あれはうちのお袋の髪型なの。最初に原さんが映画にお出になるときに、(小津監督が)メイクさんを呼んで『原くんの髪の毛は益子(中井の母親の名前)にしてくれ』って」と映画の舞台裏を明かしていた。
中井は母親と小津監督の関係についてこう語る。
「いまの週刊誌みたいなのが昔にあったら、小津先生と母は噂になっていたと思いますよ。そのぐらい可愛がってくださって」
いくらお気に入りだったとはいえ、主演女優の髪形にまで反映させるとは、相当な思い入れだ。
中井は「だから俺も聞いたことありますよ、母に。『なんかあったの?』って。そしたら『ない』って」と振り返っていた。
ちなみに、中井の父親は映画俳優の佐田啓二。冨士が「お父様の結婚も小津先生がお勧めになったのかしら?」と質問するも、「まったく違った」と中井は説明する。
「うちの父は当時、小津先生なんかに近づけなかったんですよ。母も京都出、父も京都出。(大船撮影所で)京都弁が話せるのが強烈に嬉しかったんでしょうね。母に引き寄せられるように食堂に行くんです」
しかし、そこは小津監督の行きつけ。そこで中井の父親は、小津監督が来る前に食堂に行き、いざ監督が来るとバレないように勝手口から出て撮影所に戻っていたという。
「いよいよ結婚するってことになったとき、『どうしよう』となって。(母が父に)『言いに行って』となり、佐田啓二が小津先生のところに『益子さんと結婚したい』ってことを言った。
すると小津先生は『いいよ、もちろんだよ』って、そこから逆に小津先生と親父が親子みたいになっちゃった」 戦後も戦前のような軽い作品をもっと作ってほしかったな 淀川長治
bot‏ @yodogawa0213 · 10月30日
この小津映画のオーバーラップなしの映画の囁きことは、日本そのものの香りを見せて、西洋人をびっくりさせたが、これは一種の映画の破壊でもあった。
映画のもともとは流れる物語、そのリズムに魅了があふれた。
黒沢映画のどの作品にも、そのリズムが美しかった。くわえてイマジネイションが美しかった。「生きる」のブランコに腰かけた老人、「羅生門」の雨、「夢」の狐の嫁入り。
映画はその始まりから美術のリズムその流れを見せた。映画がそのリズムを失った今のトリック映画の貧しさよ 彼は兵庫県立第三神戸中学校やね。
港川新開地か。
戦前は中学生が映画館に出入りするところを見つかったら
一発で退学だったそうな.。
芸者置屋の跡取り息子か。
自分の美術の先生は神戸一中で三味線屋の息子だった。
あのあたりはそんな人が多い。 >>70
もう止めといてやれって
だれでも過去の過ちはあるから 小津だけなら小津の特殊さということで終わる話だけど
後発の人たちがスタンダードにしちゃったんだろうな。
黒澤の真似は金と時間がないとできないだろうし 秋刀魚の味の岩下志麻の白無垢綺麗だったなぁ
晩春の原節子の花嫁衣装もカラーで見て見たかった いろいろと役に立つ副業情報ドットコム
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
31W9K カラー作品の秋刀魚の味とお早うはどっちが好きですか? 2月下旬、ベルリンで「東京暮色」4k版が特別上映。小津映画大好きな2人(坂本龍一てブィム・ベンダース)が対談したね。海外では、暮色はとても人気がある。東京物語、晩春に次ぐらしい >>80
お早う に出ていた子は、松竹で使い回しされていたような。 黄色いからすに兄が
名もなく貧しく美しくに弟が出演してたな 小津安二郎は「晩春」では原節子の花婿をださなかったが、「秋日和」では司葉子のダンナとして、佐田啓二を登場させた。佐田を気に入っており、「東京物語」も当初は佐田が三男の予定だった。 「黒澤や溝口と比べて欧米における小津評価が遅れたのは、小津映画を語る際に、小津はそう簡単に理解できる監督ではないという事実が強調されたからなのです…」(イムジェチヨル). そんな事実ないはないと思うけど
誰がそんなことを強調してたんだろう? おそらく小津は、ヨーロッパの映画祭に自分の作品を1本も出してないし、欧米の映画批評家が、小津を偉大な監督として認知するまで20〜30年を要した。また60年代の若い監督たちは、小津の様式上の戦略の斬新さが理解できていなかったということだね。 おそらく小津は、ヨーロッパの映画祭に自分の作品を1本も出してないし、欧米の映画批評家が、小津を偉大な監督として認知するまで20〜30年を要した。また60年代の若い監督たちは、小津の様式上の戦略の斬新さが理解できていなかったということだね。 昔は日本側にも欧米人には理解できないだろう
みたいな偏見があったらしいね。 2018.4.21〜5.4 小津安二郎「「をんな」たちのいる情景」生誕115年記念。神保町シアター
宗方姉妹、彼岸花、東京暮色、秋日和、その夜の妻、東京の女、一人息子、淑女は何を忘れたか、風の中のめん鶏、晩春。 戦後の小津作品
同時代の庶民はどう評価していたんでしょうか?
都市の知識人だと共感もできたでしょうが、地方の人たちには遠い物語だったと思います
都会への憧れとして見ていたんでしょうか? >>94 この頃生まれていないのでよくは分からないが、「晩春」は興行的にもヒットしたので、庶民は満足したと思う。松竹の若手の監督は似たようなホームドラマに批判的だった。スタイリッシュな映画が多く、それなりにファンはいたと思うよ。 小津映画は、戦後は主に中流家庭を描くことが多い。小津より庶民的な家族を描いているのが、成瀬巳喜男ですね。どちらも好きです。2人ともユーモアがあり、小津の「お早う」、成瀬の「驟雨」は喜劇だよね。 小津監督の作品はもちろん成瀬監督の作品も好きでよく観るけど、海外からの高評価の理由になっている技術的な素晴らしさがわからない
ただ「映画」として面白いから観る
こういう事を書くと必ず「おまえは小津を理解してない」などと批判するひとが現れる、と書くと現れない
まぁその程度の輩ということだが、制作側の技術思想まで汲み取ることに固執してるヒマがあるなら演技理論や評論家の文献でも読んだほうが勉強になるというものだ 最近の山田洋次は、小津安二郎への敬愛が深まったというか、小津映画に似せているね。「東京家族」はリメイクだが、「家族はつらいよ」も「小さい家」も。 これっぽっちも似てねーよww
映画のタイトルもまともに書けない奴だから推して知るべきか >>99.100
「家族はつらいよ」は、蒼井優の配役は間宮紀子だし。「小さい家」ではローアングル、妻の不倫する相手=吉岡は戦死するが、名前は「しょうじ」.これは「麦秋」の戦死した兄が「しょうじ」.東京物語の原節子の夫=しょうじ。ww >94
九州生まれ・昭和一桁生まれの母は、
当時見て(何かは覚えてない) なんておしゃれな生活だ〜と思ったそうです。
以前東京物語のDVDを見せた時、熱海の旅館の外で流しの人が「煌めく星座」を歌ってるシーンを見て「懐かしい歌」と言ってました。 もう亡くなったけど、大正生まれのうちの婆さんに聞いた話だと、毎年公開される小津映画はみんな楽しみに見に行っていたと。
何か小津作品だけは別格という意識が国民全体に確かにあった様子。娯楽が少なくテレビもない時代で、庶民は時代劇など単純な娯楽ものと、小津や溝口などの芸術作品を両方楽しんでいたのではないかと。 山田洋次は、若い頃は小津に対しては批判的だったに、どうしてこんなに変わってしまったのか。今頃、小津映画の良さを理解できて、それでオマージュのために似せているのかも? 似てないどころか、小津作品を本当に理解しているのかどうか疑問。
理解しているのなら、「東京家族」なんていう、なんちゃら映画など絶対に作らないと思う。 後期の黒澤作品が小津に似ていると言い続けている、かなりイタイ奴がいるのだが
>>105がそいつっぽいな 一般の観客よりはずっと理解してるだろう
できあがった映画は違ったものになってるんだろうけど 確か黒澤が家で小津の映画見ててショックを受けたみたいなこと言ってたから
それから見直して認識を改めたんじゃないか? 黒澤が晩年、自宅で小津の映画を見ていたことは有名な話
だからといって自身が作る映画が小津に似る、なんてことはない
影響を受けるイコール似る、ではないことは
小津からの影響を公言しているヴェンダースやジャームッシュの映画を見れば分かる (※記者からワイドスコープで撮らない理由を聞かれ)科学が発達すれば、映画も発達する。ところが、監督が進歩しないうちに科学面だけが発達している。
だいいち、スコープは興行師の考えたもの。私は私のペースで(「朝日新聞」1962年11月28日朝刊) 小津映画は歳とるとすごい面白い
東京物語なんて自分のうちの話みたいに思える
杉村春子が演ってたみたいなサバサバしたおばさんてほんとに親戚にいたりする
うまい役者も多いのにわざわざ刻んで撮って自分の呼吸で再構成すると独特の空間が出来上がる
真似できるようでできないだろう 小津映画は、衣装まで全て監督が選ぶ。「晩春」の原節子や月丘夢路の衣装は、センスがあると思う。 お茶漬けの味の旅館の浴衣がいいね。あんな洒落た浴衣出すとこって、今でもそうないぞ。 その浴衣は、やはり小津が選んでいるよね。何から何まで小津好みだもの。 >>100
70年代以降の日本で往年の松竹大船的なものを継いだのはせいぜい山田太一ぐらい
では?(まあ自分も太一の作品をそんなにちゃんと観ているわけでもないが)
ほか、松竹大船では田向正健などもTV脚本家になってるね。
意外な処では木下プロにいた飯島敏宏などもやっぱり木下恵介の薫陶は受けてるのかもしれない。
飯島の昔のドラマの演出(金妻とかあの辺)を観てると日常を描く繊細なタッチや随所の狙い捲った
画作り(露骨な暗転・スポットライトなど)が恰も古い日本映画みたいに見える(というか明らかに意識してる)
山田洋次が小津とか言い出したのは自分こそが松竹映画の正統な後継というプライド故で
しょうね。だから嘗て『キネマの天地』とか作ったんでしょ?
あれは戦前松竹映画について相当に取材してあるらしい、、自分はちゃんと観てないけどw
でも結局、小津も成瀬も後継者は日本にはいませんよ。
それは海外にいるんですよ(例:アレクサンダー・ペイン『ファミリー・ツリー』『ネブラスカ』)
是枝某とかね、あれはあの人が勝手に小津だ成瀬だって言ってるだけですからね。
往年の成瀬映画並の贅沢なシナリオも撮影も美術もないのに堂々と「成瀬がどうの」とか
言える恥知らず、、まあそれぐらい図々しいからこそカンヌで賞も獲れ映画もヒットするんでしょうねえ、、 >>114
嘗て蓮實重彦が「或るTVドラマの演出家が小津調をやろうとして真似てセットを作ったが
どうも上手く撮れない。小津のセットの空間そのものが歪んでいるからでした」とか言ってた。
確かこれ、鴨下信一の失敗談じゃなかったかな?
小津はセットは独特、撮影も演出も独特。全てが小津の脳内で作られた異空間。
成瀬は基本がリアリズムだが、小津の空間の作り方はファンタジー。
戦後にいわゆる「小津調」を確立して以降の小津映画はいっけん淡々としているが、実は
劇中の人間関係・ドラマそのものは動いている。その「動き」「シナリオの構造」に気づ
かないと面白くない。
だから逆に年輩の映画など大して知らない人が観て無意識に自分の長年の人生経験に照
らし合わせて「分かる」「面白い」「泣ける」といった現象が起こる。 小津が黒澤との違いを訊かれた時に、「黒澤君は
ビフテキだけど僕はカツ丼」と表現したこと。小津の助監督をやっていた
山田洋次は「贅沢趣味のクセに何がカツ丼だよと思った」 10年以上もひたすらデマを書き続ける認知症老人
吹雪ちゃんことVHSスカトロ北朝鮮ホモジジイ 80歳の腐った臭いが漂ってまいりましたwww