自分の気に入らない発言をする人間は暴力で叩き潰す。
 ソイツの赤ん坊は豚の餌にする。
 自分達の暴力だけで不十分なら国家権力を使って叩き潰す。
 つまり彼等は権力と暴力が大好きなのです。
 そして自分の正義を通す為なら、この両方を使うのです。
 勿論、自分と意見の違う人間と対話する意思など、全くありません。
 
 それでも彼等が「対話により平和な世界を作ろう」などと言えるのは、実は彼等がそもそも自分達に反対する人間を人間とは認めていないからでしょう。
 だから自分達の暴力も暴力とは思っていないのです。 
 
 これこそ究極の暴力主義者なのです。
 こうした人々に、民主主義や法治主義が理解できるわけもないのです。
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 6月5日川崎でのデモはこうした人達の暴力によって粉砕されました。
 デモ主催者は告知文で「『悪法も法なり』 ヘイトスピーチ解消法は悪法だが、法である以上は守ってデモを行う」と明言していたのです。
 しかし自称平和主義者、自称リベラリスト、自称差別に反対する人権派は、法を尊重する意思など全くありませんでした。
 だから彼等は合法的なデモを行おうとしたデモ隊に集団暴行を行ったデモを中止に追い込んだのです。

 「悪法も法なり」とはアテネ政府から死刑判決を受けたソクラテスが、逃亡を薦めた友人達に言った言葉です。
 ソクラテスはこうして逃亡を拒否し、最後まで法を守って処刑されたのです。
 ソクラテスがこのように法を尊んだのは、当時のアテネが民主主義国家(内実は衆愚制でも)であり、法は国家と市民の物だったからです。
 しかしデモ参加者に集団暴行を加えた人間達には、「悪法もまた法なり」と言う民主主義国家の市民の在り方は理解できなかったのです。 
 つまり民主主義も法治主義も理解できないのです。

 だって彼等は暴力大好き、権力大好きなのです。
 そして権力と暴力だけをこよなく愛する人々とは、対話など不可能。
 こうした集団から国民の生命や財産を守るためには、軍隊は絶対必要と言う事を、証明してくれるが、彼等自身の言動なのです。