吉永小百合はアカである (2013年9月11日)

今日、墓参りのあと、久しぶりに渋谷の神座(かむくら)でラーメンを食べた。
ぶらついたあと、渋谷駅前の交差点に立つと、吉永小百合のソフトバンクCMの広告板が目に入った。
JR渋谷駅という表示の真上にある看板だ。

いままで邦画を含め、いろいろ映画日記を書いてきたが、一度も登場してない女優がいる。
それは、吉永小百合だ。
単純に、顔が嫌いだということもある。

そもそも、運がよく、才媛であったこともあり、子役のころからいろいろな映画に登場しているが、とても演技力があるとは思えない。

岩下志麻と共演の『霧の子午線』という映画がある。大女優二人が共演するというのは、観客にとってはうれしいが、出演する側からするとイヤなものであるという。
即ち、一般客はいいとして、それなりの眼識のある人間が見た場合、どうしても比較してしまうからだ。それにより、片方が片方を食った、などと言われる。
この映画では、吉永は岩下に食われている。吉永には、悲運を背負った女など演じられない。そもそも「女」である前に、「脳みそ」を見るようで、いやなのだ。

幅広い役をこなすのは無理で、特定の役柄や作品でのみ評価されるタイプの女優だ。女優としてなら、それでもいいだろう。

一方で、吉永は左翼である。
吉永が共産党員であるかどうか確認できないものの、共産党支持者に間違いない。
昔は選挙公報では、共産党支持の有名人として、いつも載っていた。

シャープ労使の満場一致で「目のつけどころがシャープでしょ」のシャープCMに起用されたが、出演料も高額であり、赤字転落必至のシャープは、とうとう手放さざるをえなくなった。
あの、飛ぶ鳥を落とすような勢いであったシャープが、こういうことになろうとは、驕れるものは久しからず、の一節を思い出す。

いわゆる左翼団塊世代からすれば、かわいい妹分であり、左がかった作品への出演も多く、若い労働者からも支持され、一人住まいの独身労働者の夜のペットにもなった。