「キューポラのある街」で描かれた貧しい在日朝鮮人一家のような方々は、平壌には住めなかったでしょう。

北朝鮮当局に巨額の寄付をしたか、在日本朝鮮人総連合会の幹部だったらような方なら平壌に住めました。平壌と地方では住民の待遇で大きな差があります。

貧しい元在日朝鮮人はハムギョン道など極寒で配給物資が少なく、生活条件が厳しい地域に配置された場合が多い。日本の親族が巨額の寄付をすれば平壌に移住できたでしょう。

どういうわけか、慈江道に配置された元在日朝鮮人は殆どいないようです。軍需工場がこの地域に多くあるからでしょうか。

日本にいた時の方がどれだけ豊かだったかと殆どの在日朝鮮人は後悔しました。帰国した元在日朝鮮人の一人で、平壌放送のアナウンサーだったある方は銃殺されてしまったようです。

「ようです」と書かざるを得ないのは、この情報は日本の親族(妹さん)が北朝鮮を訪問して当局から何とか得ただけでのものですから、確固たる証拠や証人はない。

北朝鮮では政治犯に裁判らしきものはありませんから、銃殺刑に処されても判決文が親族に渡されることはありません。

日本の親族としては、どうやら銃殺されたらしいという程度の情報しか得られないのです。

山間僻地への強制移住も、裁判所での審理を経て判決が出されてそうなったわけではない。単に当局により「配置転換」とされただけです。以降、日本の親族は一切連絡が取れなくなります。

「政治犯」が公開処刑される場合、親族が処刑場面を見ることを強制される場合もあります。

スパイ容疑や反革命容疑とやらで住民を銃殺ないしは政治犯にし囚人労働をさせるのが「地上の楽園」「千里馬のいきおいで社会主義を建設する共和国」だったのです。