北朝鮮帰還運動は当時の日本政府の政策として行われたもので、日本共産党や朝鮮総連もそれに同調して帰還運動も起こしたが、あくまでも日本政府が主体として行った政策であった。

その理由は、当時の在日朝鮮人生活は貧しく、殆どの人が生活保護を受けて生活していた。

その生活保護費の増大による財政への圧迫を危惧した日本政府が 、それらの人々を北朝鮮に帰還させて、国費からの生活保護費の支出を押さえようとした事。

さらに、当時の在日朝鮮人の中には犯罪を起こす人々が多く、治安上大きな問題となっていた事。

さらに北朝鮮系の人たちは共産党系の人が多く、政府と対立する勢力となっていた事 。

これらの問題を解決するために、在日朝鮮を<日本から追い出す>という目的で、表面的は<人道的>という立場を取りながら、北朝鮮帰還運動を積極的に推し進めた。

当時の共産党や民主勢力は、日本政府の、在日朝鮮人を日本から追い出す、という意図を見抜けずに、帰還運動に積極的に取り組んだのだ。

つまり、日本政府の思う壺にはまり、政府の政策に協力したのだ 。

「キューポラの…」は共産党プロパガンダの映画でありながら、その実、日本政府の政策に添った映画になっていた事に、彼らは気付かなかった 。

吉永小百合も反権力の映画に出演していたつもりでも、結局は権力に利用されて、在日朝鮮人を日本から追い出す政策に一役買っていたに過ぎない。