マンガ的に誇張され簡略化されたプルトニウム強奪場面と、無気力そうに見える
で押し切ってる 「勝手にしやがれ」俺は今観ても面白いのだが、それまでの映画をぶち壊した
「どですかでん」は黒沢ファンでも嫌いな人がいる「麦秋」「小早川家の秋」などの戦後小津
映画は同工異曲が多いのでつまらなく感じる作品がある人もいる。「夫婦善哉」は男が軟弱
過ぎる点が気になるかも。「イージーライダー」は音楽流して走ってるだけの映画にも見える。
「道」は俺は初見がTVの吹き替え版だったので面白かったが、字幕版ではつまらなく感じる場合も
あるから(その逆もあり)、そういう罠にハマったかも知れない「自転車泥棒」は金持ちの
人にはつまらないかも知れない。和田勉は天才だと思った。しかしその和田も森田芳光と同様
末期はグダグダだったな。「完全なる飼育」のwikiによると、和田は「僕は濡れ場は撮りません」
と宣言して、一般人から見ても噴飯ものの設定悪い映画ではないが雰囲気だけで押し切ってる
仕方ないので主役の竹中直人が演出を変わりに買って出たとか。ならば何でオファーを受けたのか。
森田芳光も、末期は「阿修羅のごとく」とか「椿三十郎」とか何でオファーを受けたのかと不思議
に思う作品ばかりだった。石井作品内で較べたら「ならず者」の方が面白い(直球)でも、
『地獄の黙示録』に較べたら恐怖奇形人間の方が面白いw芸も無く二時間サスペンスばりにカーツ
大佐にゲロさせるのに比べたら、土方巽が奥さんに裏切られて怒りと嫉妬に燃えるシーンはスゴイ。
キ○ガイの謎理論じゃなくて、「普通の人間」の憤怒があそこまで暴走させるという所がハッキリ
と描かれてて面白い。結局信者になってしまうとだめなんだよな自分で感じることなく、まず
いわれたことありきで、そのかかったフィルターを確認するためだけに見るようになる
しかも自分でわかってないからたちが悪い俺には原田芳雄の魅力が最後までわからなかった
外見もさほど良いとは思えないし、あのとぼけた調子と口調は作品の違和感としてしか印象に残らない
俺は俳優の演技力というものが良くわからないが、とても彼の演技力が優れているとは思えない
長いセリフばかりの映画がダメなんだったら「ヒズ・ガール・フライデー」なんかどうなる
あれが「ゴジラではない」というのなら話はわかるし俺もあの映画はちっとも好きではないが、
しかし決して駄作ではないし後々まで語り継がれる事になるだろうよ。
「ゴジラ対へドラ」だってよくよく見りゃ駄作だけど、大胆な実験作という事でいまでも語り継がれている。
イベント映画などと評されても石井監督自身はちっとも嬉しいとは思わなかった
晩年の石井さんはカルトと祀り上げられる事に開き直っていたから、「ボクの映画で笑って貰えれば結構」
という感じだったよ。実際、本人もキッチュ狙いは自覚してたからね。
その開き直りのお陰で晩年まで映画を撮り続ける事が出来た、但し晩年になるほど「周囲は石井ファンの
素人や若者」「実は石井映画さえ殆ど観た事がないが何となく映画の現場をやりたくて集まってきた
若い連中」という素人ばかりを寄せ集めた低予算の奇怪な現場になっていったのだが
最期の『盲獣VS一寸法師』もプロは照明の野口素胖と特殊美術の原口智生の2人だけ。あとは全て
そういう素人と若者だった。個人的には『恐怖奇形人間』のラストには笑えない。
あれは「異形として生まれた者の悲しみ」「許されぬ愛」を大マジメに描いた作品。ただ石井が
当時の東映の低予算と自分のキッチュ趣味に開き直ったが為に怪作になってしまった。
ちなみに石井輝男的悪趣味は当時の岡田茂の趣味でもあったらしい。岡田も「エログロ暴力」
大好きだったというか良くも悪くも「大衆には裸と血を見せときゃいいんだ」しか結局は分からず。
その岡田も80年代以降は徐々に石井を遠ざける「低予算」とはいえ60〜70年代の石井作品は
実は美術などの仕掛けが多かった。80年代以降はその程度の仕掛けも(全般的にますます低予算化
するばかりの)日本映画は許容しなくなって岡田茂は同じ理由で鈴木則文も結局は遠ざけて行った。
正確には岡田が五社英雄や日活出身の舛田利雄を重用する様になったから新東宝だが石井輝男は
『黄線地帯』なども美術凄過ガキの頃に見た怪獣映画って役者の演じるドラマの部分なんて記憶なし
国会議員や自衛隊が騒ぐのは怪獣登場のシチュエーションを整えるためのお膳立てでしかないから。
お色気要素は子供を連れて来てくれるお父さんへのサービスであり、主人公格に宝田明のような
イケメンを揃えるのは、お母さんへのサービス