「東活」の母体は松竹。社長は八木脩という男で、超ワンマン経営。
そしてこの男と松竹の関係が全てを物語っている。
八木は、戦前から映画記者をしていたがマトモな記者ではなく、
スキャンダルをネタに映画会社の中枢に入り込む、いわば映画ゴロというか総会屋。
「毎日ジャーナル」という業界紙を発行し、ゆすりまがいもしていたそうだ。
作品やその資料の管理は松竹の本社内で行われており、試写も松竹の社屋で行われた。
松竹は、渥美清主演『男はつらいよ』シリーズで勢いを取り戻すが他のヒットが続かず、
上映館が確保できないという悩みがあった。寅さんシリーズはヒットしたが、年2回の
製作なのでどうしても空白ができる。その空白の間が閑古鳥では映画館も経営が成り立たない。
なので寅さんシリーズ上映館確保もままならず、足りないという悩みがあったそうだ。
そこで再び登場するのが八木。寅さんのつなぎとして「低予算である程度の集客が計算できるもの」
という条件に最もはまるのがピンク映画だった。ということで、つなぎにピンク映画の製作を提案し、
松竹とは別な名前のレーベルを立ち上げ、八木が自ら社長になる。それが東活の誕生だった。