ゆきゆきて神軍
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要するに87年の公開当時は特異な題材で受けただけ。
当時は文化人たちがこの映画に深遠な深読みをしていたが、実際には奥崎の行動に
深いものは何もなく、またリアルの奥崎がただのやばいジジイ(おまけに素はやばいだけで
ちっとも面白くない)ともバレてしまったため、いざ奥崎が出所すると原を含
め大半の文化人たちは逃げてしまい一切関わろうとはしなかった。
中身は奥崎のキャラクターと原の編集だけで持ってるクソ映画。
原は才能無いね。何時も特異な題材だけ。
あの人、見掛けが飄々として好い人っぽいからみんな騙されてる。
映画の為に何時も他人を利用して自分が責任取れなくなると逃げ出す。 >>2
>当時は文化人たちがこの映画に深遠な深読みをしていたが、実際には奥崎の行動に
>深いものは何もなく
映画作品自体と主人公(客観的事実として伝えなければならない事象を含めて)を
混同している。
いいかい?例えドキュメンタリーだとしても
「映画」は「作品・フィクションなんだ」
アラン・レネの「夜と霧」を見て、ナチスドイツの歴史を
把握した!
と、思う位 的外れだと思う。 80年代評判だったから見たけど
朝鮮人気質のくだらない映画だったな >>3
個人的にはドキュメンタリー=フィクション論にも異論はあるけど、それは
また長くなるので止める。
個人的には映画としても「ゆきゆきて神軍」は題材と奥崎の特異なキャラクターが
受けただけの凡作と思うけどね。
あなたはあれが映画としても本当に面白いと思うの?
戦地での人肉食事件を題材にした映画なら新藤兼人・深作欣二の「軍旗はためく下に」
の方がフィクションの中できちっとテーマを消化しきっててまだちゃんとしてるでしょう。
あと原は結構、現場では卑怯な手を使うらしくそれも自分は好きじゃない。
具体的には現場では「自分の欲しい一言が出てくるまで延々と回し続けて
被写体を朝から晩まで拘束する」みたいなことを平気でやるらしい。
これもあなたは言うんだろ、「いや、ドキュ屋なんてそんなもんだよ」と。
個人的には監督がそうやって映画=自分の為に他人を利用する態度は好かんのでな。
・・・要するにいっけん人の好い原が目立ちたがりの狂ったジジイ奥崎を
見事に利用してしゃぶり尽くした手腕だけが光る一作とは思うね。 >>4
まあこういうこと書く奴もバカだけど。
どこが朝鮮人関係あるの? >>5
>見事に利用してしゃぶり尽くした手腕だけが光る一作とは思うね。
コレは肯定するよ。
ただ自分は「夜と霧」も「中国女」も「ホテル・ルワンダ」も
上述の事柄もあえて含めての好感を持っている。 おれは映画館で初めて見たとき一番印象に残ったのは
奥崎さん、どうやって生活がなりたってんだろうということだな。
今見ると、反社会、反体制、というのも十分に社会的、世俗的だ、ということだ。 >>11
80年代のB層映画なんだからいいんじゃね その時代にしか通用しない思想で撮った映画は
すぐ陳腐化するんだよな むかーーしレンタルビデオで一回だけ借りて見たな。
東南アジアの戦地で食うもんなくなったから死んだ仲間を食っちゃった。
↓
そのときの部隊にいたジジイたちを一人一人訪ねて話を聞く
↓
「あんた食ったのか」
「いや…その…モゴモゴ…」
「食ったんだな!」
↓
カメラの前で殴りかかる
これだけだよな この映画って。
途中で寝ちゃったりして完全把握してないから上記の印象しか残ってねんだよな。
別に殺して食ったわじゃなくて死んじゃったのを食ったんだからいいんじゃねえの? と当時は思った。 こいつは食えねえよなって言って
チンポを捨てた罰当たりは誰だ
っていう漫画があったよな >>9
奥崎は狂ったジジイだが自営の商売(バッテリー商)だけはちゃんとやってたという
噂だよw
確か奥さんがチラッと映るけどあの人が出来た人だったんでしょうね。
この映画は「天皇の戦争責任」「戦地での人肉食」といった「タブーに挑戦」的
に持てはやされたけど、結局、いちばんやばいのは奥崎のキャラクターそのものだったんだよなw
そら確かにこんな人、TVでは取り上げられんわ。確かに映画にしかできないw
「わざと特異な題材・キャラクターを扱う」「作品を面白くする為の演出(今だとやらせと
言われるような)も厭わない」「過剰な演出=作りを批判されると『いやドキュメンタリーも
またフィクションです』と開き直り」・・・恐らく原の手法は全て師匠の田原総一郎のパクリ。 お前ら、まず吉村昭の『蚤と爆弾』に対して反論してみろよ 吉村昭なら解体新書訳すやつを小津安二郎風の映画にしてもらいたいな >2,>5,>15,>17あたりの批判は「愛い奴」にもそのまま当て嵌まるはずで
それどころか「愛い奴」の方がそういう要素はブーストアップされているという言い方だってできる
でも、「神軍」と「愛い奴」の評価には非常に大きな違いがある事に異論は無いと思う
その「違い」にこの映画のポイントがあるのじゃないか? ようするに人肉を食った、というのも驚きだが、
もっといやなのは日本兵同士で食べたってことだな。
それも立場の弱い奴とかKYなのとかいじめられっこみたいなのが、
いろんな理由つけれてさも食われて当たり前みたいな雰囲気で殺される。
しかも殺した側は嫌われ者みたいなのを懲らしめてやったぐらいの感覚だったんだろうな。 殺して食ったんだっけ?
怪我や栄養失調で死んで行ったのを食ったんじゃなかったっけ?
でも人殺して食うってのも江戸時代とかそれ以前の大飢饉のときには農民などの貧困層には普通にあったことなんでしょ?
いや、ジョージ秋山とか山岸涼子とかの漫画で読んだことあるだけなんだけどさ。 なんで今更こんなスレあんの?
台本ありのフィクションですよ そういや大隊長は死んだのかな?
死んだときに脳を調べておけば狂牛病についての研究が進んだだろうに。
奥崎に撃たれた息子はぜひ死んだら解剖すべきだな。
日本のため、人類のためだ。 >>27
>銃殺刑に処して食べたんだよ
50年代60年代に書かれた世に残らない手記、体験記を
寂れた古本屋で見つけるのが趣味だけど
戦死や病死の殉死者の尊厳を犯す事は無かった。
食べられたのは敵前逃亡して銃殺された人達
という記述を沢山みてきた。
ただ、直接的に著者に合った訳でもないし
戦地に行った事も無いから真偽は分からんけどね この映画の隊長他の親族は公開禁止やDVDの発売禁止とかの裁判おこさないのかい 南方から復員した 毛の商人高須の父は
戦場の話は家族に一切しなかったが
招集されるまで普通に食っていた牛肉豚肉を一切死ぬまで食わなかったらしい。
食人思い出して食えなかったのだろう と高須。
伝聞だが、田舎の議員とかで酒席で面白おかしく言う奴も居たらしいよ。 手塚治虫のエッセイで「もしかしたら自分の父は戦場で人肉を食ってたのでは?」という内容の物がある
南方戦線の戦記を読んでいたら人肉食についての記述があって
その中の「さすがにおおっぴらに人肉とは言い難いので、豚肉と呼んでいた」
という証言を聞いて、南方で従軍してた父親の
「戦地で部下が捕ってきた豚肉を喰った」という回想に思い至ってゾッとした、という内容 奥崎と残り二人の遺族を巧みに引き離して、うまく言いくるめようとしていた、
親父はなかなかのクズっぷりだが笑えんな。 狭い地域に飢えた兵士を閉じ込めると共食いを始める、といった話ではない。 弱者が食い物にされるのは今も変わらない。
実際食べられるわけではないが。 原住民はすばしっこいからなあ。
って、食われちゃかなわんと思って必死に逃げるだろ。 遺族の霊能者のババアも奥崎の負けず劣らずのキャラだったな 仲間はずれにされたことを妙な迫力で表現しておったな。わかりやすかった。 これ、正直やらせでしょ?
奥崎謙三という人間はガチもんだとは思うけど、
この映画の内容や出て来る人たちはやらせくさい。
たとえば奥崎が取っ組み合いした家の人、
一度は勝手に押しかけてきて暴行までしたっていうのに
半年だか1年後だかにまた訪ねてきた時、普通応対するかね?
あんな危険な人がまた来たら、速攻で警察呼ぶでしょ。
てか、足不自由なじいさんの家だと、警察呼ばれてたけど、
警察も普通あんな中途半端に立ち去るとは思えないよね。
呼んだ家の人が「もういいですから」って言ったとしても、
明らかに奥崎は異常だし、もっと詳しく話聞くと思う。
なんていうか、こういう映画を撮ったことで、
奥崎の勘違いがどんどん助長されていったというか、
戦地で仲間を処刑して食べたっていう妄想が現実になっていって、
「もうあの時の隊長殺すしかねえ!」ってなったんじゃないかと思うよ。 まぁ、原は事前にある程度取材して相手側の事情は大体把握してたという
ただ、その情報を奥崎には一切知らせてないので、奥崎自身はまぁガチ
奥崎自身も明らかにカメラを意識して行動をエスカレートさせていただろう、と原の談 どうせ食われるとわかったなら、おれを処刑して食ってくれ、
なんて言いだす奴もいたりして。まさにあんぱんまん。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています