>>571
日米開戦の1941年12月8日のその日に東条さんが肩を震わせて泣いていたと度々、
聞きますが、東条さんの力でも、開戦に至る大きな流れはくい止めようがなかった
という事でしょうか。その時の東条さんの涙の訳は、はっきりしませんが
( 国民よ、陛下よ、許して下さい。私の力では開戦をくい止めようがありませんでした )
そのような涙であったなら、東条英樹もまた、この大戦の被害者であったとも言えると思います。
米国にはオレンジ計画、つまり太平洋の西端に位置する日本撃破計画が早くからありました。
開戦の主因は超大国だった米国のオレンジ計画に飲み込まれた、小国の東条英樹首相というべきか
加えて日本国民の大勢も朝日新聞も東条早く開戦しろと、煽りたてていましたから東条首相ひとり
の責任に帰すべきではないと私も思います。
貴方が主張される、以下の御主張は、なんとかようやく理解できました。
御教授ありがとうございました。
 貴方の主張
(何百、何千、何万もの複合的要素が積み重なった結果の日米開戦である)