個人の信念のため、上級者を物とも思わず越権、直属飛ばしの上級者への直訴に横紙破りなどは
陸軍一部将校にみられる体質であるが、畑中少佐はまさにその典型であった

阿南は1945年4月に鈴木内閣の陸相に就任した
それまでは杉山元帥が陸相を務めていたが、元帥は第一総軍総司令官として転出した
第一総軍総司令官は東部軍も隷下に置き、日本本土を第二総軍と二分する一大野戦軍であり
元帥が務めるにふさわしいといえなくもない

しかし杉山は乞われて第一総軍総司令官になったというより、もともと総軍総司令官は朝香宮
東久邇宮、両皇族大将が就任の予定が皇族に累を及ぼすことを恐れ両殿下は急遽辞退に至り
その穴埋めとして、教育総監だった畑が杉山に諮って両元帥で任を引き受けることにしたものである

畑がなぜそのように動いたかといえば、1945年の冬、杉山大臣を不服と思った陸軍省の将校たちが
策動し、とくに軍事課員だった畑中少佐は、杉山大臣を辞任せしめ後任に阿南大将をつけるよう
畑元帥に迫ったところを、元帥はまあまあと引き取らせ、その後総軍設置と鈴木内閣の誕生の
タイミングを受けて実現化したものである

畑中少佐他陸軍省の将校たちは、今風に言えば前社長を名誉職に押し込み自分たちの担ぐ重役を
社長に就任させたみたいなものである
陸軍省では何か月も前からすでにそんな省内政治をやっていたのである
映画で大臣に対し、えらく強気に迫る課員達が描かれていたが、実際のところ自分たちが大臣に
してやった的な意識があればあの態度もうなづけるというものである