犯人を変えた(というか追加した)ことを昔からずっとくさされているけれど、
世評の高い「手毬唄」の方がミステリ映画としてはムチャクチャだろうに。
「犬神家」も、犯行現場を変えたから犯人のアリバイがなくなっちゃったり、
何のために池に逆さに突っ込んだのか完全に無意味になっちゃったりと、
割と破綻してる部分は多いんだよね。まあ血しぶきとかはイメージを映像で
見せただけで、そんなに飛び散ったりしていないということなんだろうけど。

映画の犯人は、原作読んで犯人捜しを試みた人なら一度は考えた推理じゃ
ないのかな。
原作では早苗と千万太の親の事は妙にもごもごとしか語られず、家には
当主の子供を産んでいておかしくない妾がいる。もしもその妾に隠し子が
いたなら、母親としてはその子供に家を継がせたいと赤の他人の子くらい
殺しもするだろう、という。

市川崑は「本陣殺人事件」を原作と全く異なる別の真相があったという
ヤバいストーリーで映画化しようとしていたらしいし、昔からいろいろ考えが
あったんじゃないか。