>まだ名画座もあったから簡単に観られた。

確か若松プロの現存作品はタゲレオ出版(イメージフォーラム)が管理してたと思うけど80〜90年代頃は余り
出さなかったのでは? だから>>75みたいにたまに特集上映があると伝説的作品
という事で客が入った。
イメフォーが管理してる以外の新東宝・ミリオン(ジョイパック)・ATGなどの配給になってる
作品は80年代頃なら名画座やピンク館に普通に掛かっていたと思う。

>こんなプチブームと経済的余裕が生まれたことで若松監督は
>80年代半ばから一般映画を撮ることができたって構造です。

そういうのはあんま関係ないんじゃないの? 既にATGや東映配給の『餌食』とかもやってたし。
『水のないプール』も配給は東映セントラルか。
『松居一代の衝撃』も元々は東映配給の予定だったのが岡田茂に裏切られてミリオンで
配給せざるを得なかったような話が書いてあるね。  

>1986年に撮った『松居一代の衝撃(衝撃 PERFORMANCE)』を、岡田が「成人映
>画はいっさい自分の映画館じゃかけない」と宣言したため、ピンク映画チェ
>ーンでしかかけられなくなり大赤字を出して、若松プロがあった原宿セントラ
>ルアパートのマンションを売る羽目になったという
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8C%82_(%E6%9D%B1%E6%98%A0)#cite_note-.E6.99.82.E5.8A.B9.E3.81.AA.E3.81.97.E3.80.82_120-562