>>330
エッセイを読んでいると、子供は好きだし、できれば欲しかったんだろうな、
と感じます。
最初期の戦記もの(再婚前の作品)の中にも、いつか自分の子供にお父さんの
このたいへんだった話をしてやろうという部分がありますし。
晩年のエッセイにも創作が混じっているだろうけど、ご近所の外国人一家の
赤毛の男の子と遊んでいて、養子に欲しいと思うシーンがあります。

またよほど「子供は?」と聞かれることが多かったのか、「夫婦の仲が大切で、
子供にはこだわらない」「できないんじゃない、作らないんですよ」「いくつ
だと思っているんですか。万が一、子供ができても、もう育てあげることができない、
それは子どもに対する一種の虐待ですよ」というシーンが度々出てきます。

年配の人たちと話していると、ちょうどその時代は、不妊治療といえば排卵誘発で、
今のような技術ではないので、多胎妊娠の危険と減数処置の倫理性が問題になって
いたようです。一応、クリスチャンでもあり、踏み切れなかったかもしれませんね。

亡くなったとき、生前親しかった骨董屋さんのブログに、池部さんがわざわざ
息子さんに手紙をくれたエピソードが出てきます。手紙の内容はサッカーチームで
頑張っているけどなかなか上手になれない息子さんに、サッカーが上手になる
「おまじない」を教える、というものでした。「君のお祖父さんのようなオジサンの
池部良」と結ばれていたそうです。