当時は超難関試験の象徴として外交官試験か助監督試験か、と言われた時代。

本は脚本家のほか助監督に任され、監督がそれを仕上げるることも多かった(主にプログラムピクチャー)。
松竹には助監督部にシナリオ集がおいてあり、各助監督が自らのアイデアをシナリオとしてまとめた。
大島のケースは、それが所長の目にとまり、製作、監督昇格のきっかけとなった。
それが城戸の気まぐれかどうか(エピソードや尾ヒレは耳にするが)は知らないが、城戸は大島とシナリオについて徹底的に議論しタイトルも変えさせた。

俺が知ってる50-60年代に映画会社で育ちデビューした日芸出身の監督
西河、深作、則文、蔵原惟二・惟善、山本
東大、早稲田よりは少ないが、京大、慶応には遜色なく、他の大学よりは多い。
専門の学科があるからね。