当時の映画会社には脚本部が存在したのに?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%94%B0%E5%A3%BD%E8%B3%80%E5%AD%90#.E6.9D.A5.E6.AD.B4.E3.83.BB.E4.BA.BA.E7.89.A9
一週間に二本づつ公開されるハード・ローテーションの中での日常業務とは別に脚本を書くことを、
会社が奨励していたとは思えないが。
大島らは確かに自作脚本の映画化でデビューしたが、あれは城戸四郎の気まぐれだった。