山中貞雄
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>>95
「人情紙風船」で 新三が傘を返しに行く先も 相模屋だな
こっちは品川の遊郭ではなく 深川の船宿らしいが >95
品川の住民です。有名な遊郭です。その外観から「土蔵」と
呼ばれていたそうです。高杉晋作等がイギリス公使館を襲撃する
計画を練ったのも、ここです、 人情紙風船の浪人役の人がいいなぁと思ってたら、
街の入れ墨者でも主役なんだね
めちゃくちゃ観たい、残ってる写真だけでも見ても面白そう 前進座に入れ込んでたから、もし戦後まで生きていたら
共産党マンセー映画を撮っていたんだろうか。
それはそれで見たいけど。 映画「人情紙風船」をまだ観たことがない頃(70年代半ば)、その脚本を使ったというNHKのドラマを観た
やはり面白く、戦前の傑作映画を想像したものだった 山中 貞雄(1909年11月8日 - 1938年9月17日)
『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』
1935年6月15日92分
『河内山宗俊』
1936年4月30日82分
『人情紙風船』
1937年8月25日86分 今は3作品しか残ってないが、山中は何作つくったんだろう。
前進座は日活で使っていたのか。東宝でも、熊谷久虎が「阿部一族」で使っていたね。 >>109
作品は応援監督含め26本とのこと。
前進座は溝口が松竹で撮った興行的に大失敗の「元禄忠臣蔵」にも出演してるね。
あの当時は大掛かりな時代劇となると前進座だったんだろうね。 「河内山宗俊」は、最後原節子を助けた宗俊と浪人は死んでしまうのだろうか。
最後、原節子が出ていないのは東京に戻り、別の映画撮影に移ったという説があるけど、どうなんだろうか。何か、最後が途中で終っている感じがする。 >>111
サイレント映画を多く見ていれば、そういう感想は抱かないと思いますよ。 >>112
無声映画を少しはみているが…
原節子の弟役の市川扇升は、小山内薫の息子だと初めて知った。山中貞雄は彼女に演技をさせず、うつむいたり目を伏せたりさせただけで、彼女から文句が出た。それでも可憐だったね。 >>112
無声映画を少しはみているが…
原節子の弟役の市川扇升は、小山内薫の息子だと初めて知った。山中貞雄は彼女に演技をさせず、うつむいたり目を伏せたりさせただけで、彼女から文句が出た。それでも可憐だったね。 山中貞雄が「河内山宗俊」に15歳の原節子を使うことが公けになったとき、日活時代劇の監督らは口惜しがったらしい。稲垣浩は、地団駄踏んでの口惜しがりようだった。でも稲垣映画には、戦後になり出ているね。「ふんどし医者」など 「国定忠治」も作っていた。時代劇中心だけど、今風の言葉でしゃべらせるのが山中貞雄の特色だと思うな。なぜ、3作品しか残っていないのだろうか。 山中貞雄の残っている3作品、それぞれ面白いね。5月に三鷹市で「河内山宗俊」をやるから、観にいく
小津とは仲が良かったらしい、日活から東宝に移った 黒澤とは面識がなかったのかなぁ >>112 昔の映画フィルムは可燃性だったため、気温が上がると燃えて火事になることがあった。
あとは、昔は映画は芸術とされていなかったので、映画フィルムが公開終了後破棄されていた。あとは戦災だな。 『丹下左膳』と『人情紙風船』を観たけどいい
紙風船の中村翫右衛門は古谷一行の金田一シリーズ『獄門島』の了然和尚だったんだな 黒澤明は自分の好きな映画100本に「丹下左膳余話」を入れていたな。 確か、山中貞雄は戦場で尊敬する小津安二郎に会っている。戦病死してしまうが。 『河内山宗俊』もいいね
長十郎の宗俊にもう少し凄みがあるといいんだけどなあ
でも長十郎、翫右衛門はいいね 前進座は映画出演はバイト感覚かな。
5月に、三鷹市で「河内山宗俊」をやるよ。原節子の三回忌特集で。 「河内山宗俊」で、原節子が弟をビンタしてから1分以上沈黙が続き、外ではゆきが舞うシーンがあり、彼女は300両のために身を売る。ここが最も美しいシーンだね。 中村翫右衛門は金子市之丞役で「河内山宗俊」に出ている。ルパン3世に似ているという人がいるが、そうかもね。梅雀の祖父なんだ。ハードボイルドとアメリカンニューシネマを足しで2で割ったようなラストらしい。金子はお波(原節子)が好きだった。 金子市之丞や河内山は、可憐で清楚な原節子=お波を助けたかった。いろいろよくない人生だったけど、最後にいいこてをしたかったんだな。山中貞雄は黒澤明と同年か。生きていればね。 山中貞雄が目指した時代劇は「髷をつけた現代劇」だから、会話や動作は現代人が現代劇に接しているかのようにみれるんだと。演技経験が殆どない原節子が自然に演じられるのは、山中の巧妙な演出とユーモアのセンスがあったから。 小津、山中、黒澤にはユーモアがある。
芸術の最良の作品にはユーモアは欠かせない。 「河内山宗俊」が、今神保町シアターでやっている。原節子特集にかかわってだが。山中貞雄は原節子のたたずまいに「神聖さ」を表現した。立ち姿のみで、可憐というより神聖であったとは、関川夏央もいっていたね。 いろいろと役に立つ副業情報ドットコム
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G0K9F >>42
原節子さんが出ていたのか・・・
興味あるが、映画は京橋フィルムセンターでも行かないと観られないだろう。 辻邦夫が「人情紙風船」について、映像の美しさと人間描出の巧さを称賛
している。
「この映画は、時代的にも、ようやく映画はトーキーになったばかりで、
表現媒体としてのみずみずしたを失っていなかった。山中がこの映画で
示した技巧の冴えが清新な気分に満たされているのはそのためだろう」 「人情紙風船」のセリフは聞き取りにくいが、二回見れば筋はわかるし、
セリフもわかる。
山中貞雄の作品は、これ以外には「丹下左膳、百万両の壺」と「河内山宗俊」の
二本だけ。 >>121
戦争と敗戦のどさくさで日本人は映画どころじゃなかったんだろう。
山中貞雄の作品なんか大切に保存されなかっただろう。たった3本しか
残っていないことが、その証明だ。
というより、よく残っていたな、ということだ。 辻邦夫の感想、
「私が特に惹かれるのは、髪結の新三とか 浪人の又十郎、女房おたき
などの性格が、実にくっきりと描かれていることだ。
夢を追って生きている、長屋の住人たちを見る山中貞雄の眼は甘くない、しかし
その冷静な眼は冷たくなくもなく意地悪でもない。そこにはヒューマンな共感が
流れている」 山中の残した作品は現存するのはたった3本だ。「紙風船」と、
「丹下左膳余話 百萬両の壺 」
「 河内山宗俊 」
これだけで、全部が傑作。
長生きしたら小津安二郎、黒澤明を超えただろう。 「人情紙風船」の脚本は三村伸太郎とういう人。三村が書いた脚本は
黙阿弥の「梅雨小袖昔八丈」 (髪結い新三)から題材を得た作品。
三村の書いたシナリオは娯楽作だが、山中貞雄はこのシナリオを
改変して、映画を作った。三村伸太郎は、山中の変えてしまった台本を
読んで、「これは俺の書いたものでは全く違う」と話したそうだ。 「人情紙風船」は暗い内容だ。 三村伸太郎の脚本を変えてまで山中は
この映画を製作した。
そこには、やがて日中戦争、日米戦争へと進む暗い時代背景があっただろう。 /⌒彡:::
/冫、 )::: また…秋が…
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(_,,/\ 山中貞雄は黒澤明と同年くらい。
生きていれば、戦後の日本映画を変革した感じがする。 そう、そういう意味でも戦死(病死)は残念なことだったなぁ とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
UB1 >>92
著者で陰影の美しさが、心に残ったって言ってたな。 非常に丁寧に作られていますね、山中貞雄の遺言書だった
という意見もあります。
多分、そういうことはあるでしょう。 |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`) 戦争が天才を殺してしまった・・
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ 太平洋戦争で戦死した日本兵の8割は餓死だったと聞いた。戦闘中に
亡くなったのではない。日本からの食料の補給がなくて体力が
非常に弱って病死したり、ひどい場合は餓死したりした。
まったく愚劣な戦争をやったものだ、「負け戦さ」だ。
その戦争を一生懸命に煽ったのが「朝日新聞」と「東京日日新聞」(
その後の「毎日新聞」)だった 三本以外にもコレクターが秘蔵してるなんて噂もあったけど、ただの噂かな 山中貞雄のフォロワーってどれくらいいるのかな
黒澤明をはじめ尾田栄一郎、鈴木敏夫、浅田次郎が大ファンてのは有名だけど ばんがくリメイクしたぐらいだから市川崑も好きだったんじゃない
映像京都の西岡さんがやりたかっただけかもだけど 山中貞雄は、シャイな人間だった。15歳の原節子を見つけて出演させて、周りから好きなんだろうといわれて、……。勇気を出そう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています