市川雷蔵4
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>>100
真城千都世? 確かに。
毛利郁子が演れば良かったね。 たしかに「薄桜記」のヒロインの顔には馴染めないものがあるなw 特に真城千都世のおひなさま相手の演技には思わず失笑してしまったwww
「手討」の成功には現代的な顔立ちの藤由起子の時代劇初起用があると思う
ファンとまではいかないけれど
雷蔵作品を20本近く観てきて
雷蔵ってやっぱり役者としてすごいわと思う
「ガラスの仮面」とはこの人のためにある言葉じゃないかと まったく話題にならないけど、角川シネマ有楽町とかいう
無名の映画館で大雷蔵祭が地味ぃ〜に続いてるのをご存知?
座席もキレイで、スクリーンの大きさもまあまあだし、
15人も入ってない劇場で観る狂四郎もオツなもんですよ 5月3日午後10:00〜11:49 BSプレミアム
BSシネマ 新・平家物語 デジタル・リマスター版
1955年・日本
吉川英治の歴史小説を豪華スターの共演で、
3人の巨匠が3部作として作り上げた大河シリーズの第一作で、
監督は溝口健二。平安末期、貴族との激しい権力抗争の中、
次第に力をつけてきた武士階級の中心人物として野望を抱く
平清盛の若き日を描く。
フランス・ヌーベルバーグの映画人たちに高い評価を受けた
長回しのカメラワークと、主演の市川雷蔵の迫力ある演技に注目。
デジタル・リマスターにより映像の美しさも再現。
http://www.nhk.or.jp/bs/t_cinema/calendar.html ン十年来のファンを自認していたけれど,普段家でDVDも見ず,映画祭にも近頃
は行く気が失せている私は,もはやファンとは言えないのかも。
でも,市川雷蔵 の文字にはいまだにパッと目がいく。
年で出不精にになっているせいだ。また大きなスクリーンでいつか見るぞ。 でも爽やかで凛々しい清盛でしょ。若き日の実物があんなだったらいいな,と
思わせるところに雷蔵の素晴らしさがあると思う。
今の政治家に見て欲しい
そして苦難を乗り越える力を示して欲しい 眉毛ボーンは笑ったけどたいまつ持った僧兵が山を歩く群集シーンは凄かったの シルミドに出ている韓国俳優ソル・ギョング,ちょっと雷蔵に似ている。 陸軍中野学校、恋人を助けるどころか無残に扱う所に痺れた!かっこよかった 中野学校は雷蔵のナレーションも良かった。
雷蔵は立振舞いが絵になる名優だが、発声が実にいいと思う。
声に張りがあってよく通ってその響きに余韻が残る。 >>121
そう?可哀想だったな〜、小川真由美。
>>122
雷蔵も錦之介も名優だけど発声はよくないと思うけどな。
錦之介は舌足らずな感じ、雷蔵は声がこもって聞こえる。 安珍と清姫で見たツルツル頭、骨格が美しすぎて目眩がしましたw
他にツルツル頭ありますか?炎上の五分刈りはちょっと違った。 濡れ髪牡丹観ましたが、面白すぎw
また違った面が見れてよかった 時専、雷蔵作品すべてを放映するとは実に有り難いことだ
これでDVD化されていない作品群も録画できる
>>127
自分も大好きだ「濡れ髪牡丹」
貫禄のある京マチ子との相性が抜群なのが意外だった
雷蔵コメディの中では最高傑作だと思っている 時専、オール・ユー・ニード・イズ・ライゾウ
タイトルww
楽しみだね 高峰秀子はエッセイか何かで、市川雷蔵のことコメントしてます? 「赤い手裏剣」見たかったんだよね
評判はすこぶる悪そうだがw そう?面白かったよ。異色作ではあるけれど。
笑いと拍手が起こっていたけど。
セリフと衣装がかっこいい! レスありがとう。拍手までとは!
明るい雷蔵好きだし、面白そうで断然観たくなりましたよ。楽しみ、楽しみ。 市川雷蔵さんのプロマイド、絶賛発売中です
是非この機会にお買い求めください
http://promide.com/page.php?s=84 三島由紀夫の『橋づくし』には、「映画俳優のR」が出てくる。新橋の料亭の箱入娘満佐子が「一緒になりたい」と
願う相手である。(中略)
前田愛は、(「幻景の街――文学の都市を歩く」で)この映画俳優Rは市川雷蔵であるらしいと言っている。(中略)
三十七歳の若さで亡くなった俳優市川雷蔵は、十五年間の俳優生活で百五十八本という数の映画を残している。(中略)
しかし、雷蔵はその「スター」の地位に安住することのない、非常な野心家であった。
雷蔵は長谷川一夫の「美剣士」を継承し、ファンの期待を裏切らないようにそれを守りながらも、新しい市川雷蔵を
作り出していった。(中略)
そんな市川雷蔵にとって、映画デビューをして初めて俳優としての転機となった作品が『炎上』なのである。
言うまでもなく、三島由紀夫『金閣寺』の映画化である。その後、三島原作の映画を雷蔵が演じたのは、
『剣』だけであるが、『炎上』、『剣』のこの二作品は、雷蔵の俳優人生の中でも異彩を放っている。
(中略)
(『炎上』公開の)前月、雷蔵は後援会会誌にこんなことを書いている。
《私が『炎上』で丸坊主になってまであの主人公の宗教学生をあえてやるという気になったのはもとより、
三島由紀氏の原作『金閣寺』の内容、市川崑監督をはじめとする一流スタッフの顔ぶれにほれ込んだことも
大きな原因ですが、それと同時に私はこの作品を契機として俳優市川雷蔵を大成させる一つの跳躍台としたかった
からにほかありません。》(「雷蔵、雷蔵を語る」)
(中略)これまで時代劇で人気を博した雷蔵は、現代劇を跳躍台に選んだ。しかし、大映からは今まで築いてきた
「美剣士」のイメージが壊れると反対され、スタッフからも雷蔵ではこの役は務まらないと思われていた。
一方で、映画化決定の際、三島由紀夫と市川崑監督は、主演は市川雷蔵だと期せずしてイメージが一致していた。
雷蔵は、もともとファンであった原作者の三島がそう言っていたことを知り、益々意欲がわいたという。雷蔵は、
周囲の反対を押し切り会社を説得するのに一年を費やしている。
大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵――」より 雷蔵は三島文学の最高峰『金閣寺』を読んで、武者震いのような感動、役者魂に火をつけられたような感覚を
得たのではないだろうか。主人公溝口の美への憧憬と疎外感、難解な観念、そして金閣寺の放火に赴く心理……。
それらを鮮やかな独白体で表現し、現実の事件を芸術作品にまで昇華しえた三島由紀夫の文章は、表現者市川雷蔵を
大いに感化したことだろう。
従来の「市川雷蔵」のイメージを払拭するために、雷蔵は対極に位置するような役を選んだ。化粧を施した
端整な顔と美しい声の「美剣士」から、すっぴんの顔を歪ませながらしゃべる屈折した青年へ。まさに変貌を
遂げる俳優の姿を見せつけたのである。
原作者三島は、映画の制作途中の雷蔵を見ている。三島が撮影現場を見学した日の日記に、
《頭を五分刈にした雷蔵君は、私が前から主張してゐたとほり、映画界を見渡して、この人以上の適り役はない。》
(「炎上」撮影見学〈日記(五)〉)
と書いている。三島は雷蔵主演の成功を確信していたようだ。
(中略)
さて、『炎上』撮影見学の約二ヶ月後に、三島は大映本社で完成した映画の試写に参加している。
《この映画は傑作といふに躊躇しない。(中略)俳優も、雷蔵の主人公といひ、鴈治郎の住職といひ、これ以上は
望めないほどだ。(中略)雷蔵君を前に、私は手ばなしで褒めた。かういふ映画は是非外国へ持つて行くべきである。》
(「炎上」〈日記(七)〉)
『炎上』の前年に上演された映画『美徳のよろめき』を《これ以上の愚劣な映画といふものは、ちよつと
考へられない。》(「美徳のよろめき」〈日記(五)〉)とまで言った三島が、『炎上』や雷蔵の演技に対して
大絶賛しているのが分かる。原作者として満足したと同時に、原作を離れて独立した映画作品としても感動を
味わったのだろう。
(中略)『華岡青洲の妻』などで雷蔵と仕事をした増村保造監督は次のように言っている。
《「映画にならない小説」を見事に映画化した成功例として『炎上』がある。(中略)小説の鮮やかな映画的
再構成と云えるであろう。》(「原作映画とその映画化」)
大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵――」より また、この映画から四年後、(中略)三島は「雷蔵丈のこと」という文章を送った。
《君の演技に、今まで映画でしか接することのなかつた私であるが、「炎上」の君には全く感心した。(中略)
ああいふ孤独感は、なかなか出せないものだが、君はあの役に、君の人生から汲み上げたあらゆるものを
注ぎ込んだのであらう。私もあの原作の「金閣寺」の主人公に、やはり自分の人生から汲み上げたあらゆるものを
注ぎ込んだ。さういうとき、作家の仕事も、俳優の仕事も、境地において、何ら変るところがない。》
三島由紀夫にとって『金閣寺』は、それまでの創作活動の集大成であり、これからを指し示す重要な転換と
なった小説でもある。市川雷蔵にとっても、同じことが言える。同じ作品に人生を賭け、大業を成し遂げた者同士の
共鳴というものをこの文章からは感じることができる。
この映画で雷蔵は、キネマ旬報主演男優賞や(中略)イタリアの映画誌『シネマ・ヌオボ』でも最優秀男優賞に
選ばれた。この作品は市川雷蔵の代表作の一つとなり、日本映画史にも残る傑作となった。
大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵」より 残念ながら「炎上」はあまり面白くなかったな
雷蔵の華やかさは文芸作品より娯楽作品の方がうまく出ていた気がする 「炎上」は本人が出演を熱望した
美剣士役が多かった当時、金閣に火をつけるどもりの若僧で俳優として脱皮を図った 「蓼食う虫が現れたと思っていただこう」
こんな台詞、雷蔵にしか云えない。 映画『剣』は昭和三十九年三月に公開された。(中略)小説発表から映画化までわずか五ヶ月である。雑誌に
掲載された小説を雷蔵が読んで、自ら映画化したいと希望した作品である。(中略)
年明けすぐ、午前四時の寒稽古見学、多忙を極める二人がここまでするのは、作品への情熱、そして、三島が
雷蔵を本物の俳優だと認め、期待していたからだろう。
『剣』はTVドラマとしても映像化されているが、三島はそのドラマと映画を比較した感想も日記に書いている。
《加藤剛の主役は、みごとな端然たるヒーローだが、映画の主役の雷蔵と比べると、或るはかなさが欠けてゐる。
これはこの役の大事な要素だ。》(TV「剣」〈週間日記〉)
雷蔵は、次郎の正しさ強さ、「はかなさ」を見事に表現した。映画『剣』に関して、「ここでは雷蔵が三島の
分身ではないかと思わせられるほどだった」(塩田長和「日本映画五十年史」)という感想もあるほど、雷蔵は
三島の理想を体現することに成功している。
(中略)
雷蔵が『剣』の国分次郎を演じたのは、もう一人の同時代俳優、石原裕次郎を意識してのことだったかもしれない。
時代劇で映画デビューをした雷蔵に対して、石原裕次郎は(中略)「太陽族」と言われた戦後派青年の象徴的
存在だった。しかし、同じ戦後派の国分次郎は、(中略)反時代的な生き方をしている青年だ。雷蔵は、
この国分次郎を演じることで「市川雷蔵」という俳優をアイデンティファイするという意図もあったのでは
ないだろうか。
雷蔵は、俳優「市川雷蔵」のアイデンティティーを反時代的な美に求めていたように思う。それは、市川崑監督が
「若いくせに妙にクラシックなところがあって、そのくせ強情なんですよ」と言ったように、雷蔵の生来の
性質だったかもしれない。(中略)
雷蔵は三島作品によって自己を表現することが出来た。自分を思う存分表現出来る作品に恵まれなかった勝新太郎に
比べると、雷蔵の俳優人生にとって三島の作品は、かけがえのない存在であっただろう。
大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵――」より そりゃいくらなんでも雷蔵と比較された加藤剛が可哀想。 時専chの雷蔵を待ちながら,期待してみたけどなんか設定がつまらない。
何で佐野史郎が案内役なのか? それにあんなドラマ仕立ての設定はいらない。 映専chの勝新を待ちながら,期待せずみたけど、あんま面白くなかったよ 三島由紀夫が描き、市川雷蔵が体現した反時代的な青年は、三島の理想とした反時代的な「美」を象徴する
人物でもある。三島はこういった青年を描くときに、共通した特徴を持たせている。それが「微笑」である。
三島の小説の中で、主人公がしばしば「微笑」することに注目したい。なにげなく書かれた「微笑」という言葉は、
三島の描く主人公のシンボルとなっている。(中略)
まずは『潮騒』の新治の「微笑」である。
《新治は微笑して、壁際に坐つて膝を抱いた。さうして黙つて、人の意見をきいてゐるのが常である。》(第三章)
(中略)新治以外の若い漁師仲間や船長たちが「漁の自慢をしたり」、「愛情と友情について」とか「食塩注射と
同じくらいの大きさの葡萄糖注射があるか」などを熱心に「議論」している場面である。新治はそういう
「議論」には参加しない。ただ「微笑」して聞いている。しかし人一倍海や漁のことを考えているし、いざとなれば
誰もが怖ける嵐の海にも飛び込む青年である。
(中略)
次ぎは『金閣寺』である。一見、主人公の溝口に「微笑」する余地があるとは思われないが、実は「金閣を
焼かなければならぬ」と決意してから、「微笑」し出すのである。
《(中略)
「さうか。君は奇妙な奴だな。俺が今まで会つた中でいちばん奇妙な奴だ」
その言葉は私の口辺から消えぬ親愛の微笑に向けられたものだとわかつたが、私の中に湧き出した感謝の意味を、
彼が決して察することはあるまいといふ確実な予想は、私の微笑をさらにひろげた。》(第八章)
(中略)「人生に参与」することを諦めてからは、「金閣」は溝口の前に現れず、溝口は「微笑」し出すのである。
三つ目は、『剣』である。この作品は、(中略)主人公国分次郎の生き方の象徴として「微笑」が意図的に
使われている。
(中略)
《その微笑は美しかつた。次郎が「くだらないこと」に耐へ、煩雑で無意味なことに耐へるときの表情は、決つて、
その微笑、ただ黙つて浮べる微笑なのだ。》(その三)
(中略)「剣」以外の生活に耐えるときに、次郎は「微笑」する。
大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵――」より 最後は、『奔馬』である。勲たちの「昭和維新」が実行前に検挙され、長い裁判の結果、勲が刑を免除され
一年振りに家に帰った場面である。
《勲は家へかへつてから、微笑するばかりで何も言はなかつた。》(三十八)
《佐和は大声で獄中の物語をして人々を興がらせてゐたが、勲は微笑を泛べてゐた。》(三十八)
(中略)若い勲が挫折し、目的を喪失したときに「微笑」しているのが分かる。
このように、四作品の主人公に「微笑」する場面がある。(中略)いわば「微笑」は、主人公の内面を覆い隠す
仮面である。(中略)
この「微笑」は、三島の行動や肉体の思想とも関係している。例えば、『潮騒』の新治は、(中略)行動する
若い肉体に「議論」はいらない、という作者の思想が見え、新治の行動力の隠喩として「微笑」は使われて
いるようだ。(中略)
映画『剣』では、次郎の「微笑」が原作と同様、象徴的、効果的に使われている。(中略)クローズアップで
映された雷蔵の顔には、「剣道で昔から言う『観世音』の目」(『剣』)と口角をわずかに動かした「微笑」があった。
(中略)
市川雷蔵は、『金閣寺』と『剣』の主人公を演じた。それは(中略)「美」から疎外された人物と、「美」そのものの
人物の両極を演じることであった。(中略)
市川雷蔵という俳優自体、生活臭がなく人生にも芸道にもストイックなところがあった。そこが「人生」よりも
「美」を選ぶ三島作品の主人公たちを表現できた所以だろう。
雷蔵は、映画化された二作品の他に、『獣の戯れ』の映画化を計画したり、闘病中にも『春の雪』を舞台で
やりたいと構想を練っていたりしたそうである。一人の俳優が、これほどに三島由紀夫作品を映画化し主演したいと
言った例があるだろうか。また、増村保造監督と二・二六事件の青年将校の役もやりたいと相談していたという。
こういったエピソードから、フィールドが違っていても、三島と雷蔵の追求していたものが似ていたことを
思わずにはいられない。
雷蔵が『奔馬』の勲を演じる機会がなかったのが悔やまれる。雷蔵であれば、三島文学の「微笑」の系譜を
作れたのではないだろうか。
大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵――」より 「からっ風野郎」のヘボ俳優が雷蔵様のことエラソーに講釈たれるなよ。 「斬る」よかった
やっぱり雷蔵の代表作のひとつには間違いない
なんだか三島由紀夫が好きそうな内容だったが youtubeで「忍びの者」全作を見たが、なかなか充実したシリーズだね。
さすが雷蔵&大映。
忍びの者は近々京都文化博物館で上映予定だったような
楽しみ >>158-159
sageスレで3分後即座に冷たい返事かよw 雷蔵にただのラブストーリーなんて似合わないから,あるはずもないと思う。
恋愛中心,愛,恋それ自体を描いたものって,思い浮かばない。
ぼんち、婦系図は見てかなりお気に入りなんですが
他に何かおすすめのものあるかな、と思って聞いてみました 恋愛、というわけではないかもしれないが
歌行燈は好きだ マイナーだが「手討」、完全なラブストーリーだよ
個人的には名作だと思うがなあ 雄呂血と斬るが店頭にあった
悩みに悩んで一時間
斬るを買いました 「大殺陣雄呂血」の雷蔵はとても若く見えるのが不思議 斬るを初めて観た
ラストぶった斬るの期待したら切腹で終わりかい 恋愛物とまでは言わないが、陸軍中野学校の1作目は
男女の恋愛がストーリーの重要な部分を占めてると思う。 おおだて かと昔私も思っていたが,だいさつじん だって。 『お嬢吉三』、浦路洋子、小野道子、中村玉緒と…雷蔵に絡む女優陣だか、完全な脇役の悪女毛利郁子をもっと絡ませて欲しかった。 お嬢吉三の雷蔵はなんとも元気でかわいいね
雷蔵はシリアス物よりやっぱり明るい作品の方が好きだ あの髷似合うよね。かわいいって表現雷蔵には珍しいけど,ほんと若々しくて
かわいい!よね。 「ひとり狼」を押す人が多いけれど
主題歌をバックに「足踏み」している雷蔵に笑ってしまい、
冒頭でえんえんとやくざの食事風景が写されているところでリタイアしてしまった・・・ 雄呂血
四方八方囲まれて絶望的状況
明日に向かって撃てなら飛び出して終わる
それが全員ぶった斬っちまうんだから凄いよな
無双じゃく徐々にボロボロになりながらってのもいい 『大殺陣・雄呂血』
八千草薫も健闘してたが、藤村志保や毛利郁子が僅かな出番だったのが残念です。
中谷一郎、平泉成、内田朝雄、内藤武敏、吉田義夫、五味龍太郎の憎々しさが消えてしまい…その他大勢の斬られ役がワンサかな映画でしたね。 最初から見ればいいがな。
一作目がやはりドラマとしては一番面白い。
山本薩夫が降りてからはアクションと歴史を追うだけになっちゃって
雷蔵さんが芝居で活躍する場面が少ない。 大殺陣・雄呂血はあの雷蔵の殺陣で
ラストまで延々飽きさせる事なくひっぱっていった監督はじめスタッフの技術力に敬意を表する 何を仰る。下手なんて少しも感じない。
雷蔵の立ち回りにはリアリティ必然性悲愴美溢れる情感が迸る。
薄桜記また然り。 最近ショップや中古ショップで雷蔵作品見かけることが多くなって、ついつい買ってしまうわ
今日は昨日消えた男を買ってしまった
桜と殺陣師団平はスルーしたけど また勝新の本が出た。どうも人間的な魅力が勝新の方が際だっているみたいだな。 化粧薄いとこんなサッパリした目してたんだ、って思うよね 化粧っけの無いモノから見てファンになったので
アイラインは薄いほうがいいような気がします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています