反対に、ヤクザが一般人に迷惑かけてる場面なんかあったら
「わかってはいたが、ヤクザなんてものはやっぱりろくでもない」
と観客に思われるだけだし(東映的な意味での)娯楽にならない。
伊丹はヤクザ追放キャンペーンみたいな映画を撮った(故に持ち上げられたり叩かれたりした)が
そういう方向性の作品自体少ないのではないか。

ビーバップのようなヤンキーマンガの意図的な箱庭感
(リアルな親兄弟話や将来などを導入すると不良家庭の悲惨さや社会性が顔を出し、その「暗さ」は当時の読者をしらけさせると判断して回避)は
実録物の方法
(何が起ころうと結局ヤクザとその親類縁者だけが巻き込まれる。厳密には無関係な者も迷惑を被っていたりするのだが…)
をアレンジしたものではないか?