東京物語
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小津安二郎による世界的名作
制作年度 1953
監督 小津安二郎
出演者 笠智衆 、東山千栄子 、原節子
脚本 野田高梧 、小津安二郎
撮影 厚田雄春
音楽 斎藤高順
出演
笠智衆/東山千栄子/原節子/杉村春子/山村聰/香川京子/
中村伸郎/三宅邦子/東野英治郎/大坂志郎/十朱久雄/長岡輝子 ほか 「お早う」でテレビを買ってもらうひとの役が良かった 香川京子は、黄金期の映画の語り部もしている。皆んな亡くなるので、語り部は大切だと思う。いたるところで原節子ファンを公言していて、いいなと思う。 1953年のキネ旬で、1位「にごりえ」,2位「東京物語」,3位「雨月物語」,6位「日本の悲劇」,7位「ひめゆりの塔」
この年は、いい映画多いよね。1位と7位は今井正。 キネ旬のベストテンだけから推測するに、
1953年(昭和28年)、1954年(昭和29年)、1955年(昭和30年)
日本映画の黄金時代はこの3年。 1853年は、その他にも4位「煙突のみえる場所」,5位「あに・いもうと」,8位「雁」(豊田四郎),9位「祇園囃子」
1950年前後から50年代半ばくらいまでは、いい作品が多いと思う。49年と51年は、原節子は毎日コンクール演技賞をとっている。 「東京物語」のビデオはあるが、地元の図書館でデジタル版のを観た。杉村晴子が団扇を回しているシーンがあり、よくみるとデコの写真あり。これ、原節子ならまずいよね。小津の粋なはからい? スクリーンだと、よく見なくとも一発で高峰秀子だとわかる。 「東京物語」は、1970年アメリカで公開、72年ニューヨークタイムズにロジャーグリーンスパンの映画評。彼は3人の主役、義理の娘を演じた原節子らを賞賛した。偉大な映画が封切られたと。 「嘘がない。いい小説を読んだあとのような感銘をうけた。僕が見た小津君の作品の中では一番好いと思う」(志賀直哉ー東京物語の試写会をみて)
志賀直哉も鎌倉に住んでいた。 尾道での原節子のスカートは赤い。香川京子のスカートも赤系だったかな。モノクロだが、小津は配慮しているね。昨日12日は、小津安二郎の誕生日であり、死去した日だった。60歳。まだ若いよね。残念だった。 尾道での原節子のスカートは赤い。香川京子のスカートも赤系だったかな。モノクロだが、小津は配慮しているね。昨日12日は、小津安二郎の誕生日であり、死去した日だった。60歳。まだ若いよね。残念だった。 写真家荒木経惟が、最近蒼井優を原節子に似せて撮影した。何処かの雑誌に載っている。蒼井優は、「東京家族」で紀子をやってるからかな。 スイッチという雑誌の最新号だった。蒼井優のグラビア。原節子のマネか。 父親である笠智衆は息子の長男を医者だけれど、評価してない。東京でもはずれの「こまい医者」だ。当時の開業医は利益が薄かったんだろうか。 笠智衆は小津映画以外で、賞をもらっている。味がある演技力だと思う。小津映画ではいいなりだったが。 でも究極的に考えたら、
俺たちがリアルになるのはウンコしてる時と2ちゃんに書き込みしてる時だけだろう
人間は社会の中に生きているので、死ぬまで常に演技をしていると言える
笠智衆はそれを演じている…一周まわっているのだよ! そうだよな
こんなにアンアンゆってるぜとか思っても演技だもんな
小津映画深いわ 今日、たまたま地元のブックオフにいったら、小津映画のDVDがバラで売っていた。「東京物語」はなかったが、「晩春」「父ありき」などがあった。でも持っているので買わなかったが。500円と安い。 「東京物語」の音楽はなかなかいいね。あじわいがある。小津映画では、「麦秋」の映画音楽が一番好きだ。「東京暮色」も悪くないが。 原節子は「晩春」でもそうだが、異国人のよう。でもたたずまいが日本的で茶道でもしっかり収まっている。膝を崩す場面もあるが、やはり小津調に調和している。 >>822
下品な例え。 ツッコミしてほしかったか。
笠智衆は、小津映画に出たことで世界的な俳優になったのは確かだ。 笠智衆が老人のように見せるために、背中に入れていたものはなんだったろうか。確か、新聞紙かざぶとんだとおもったが。 >>827
背中に入れていたのは、確か空気まくら…じゃなくて、座布団だったと思うよ 「小津が愛した女優たち」(2003)をNHKが、小津安二郎生誕100年につくり、何度も観た。工藤夕貴がナビゲーター、香川京子と尾道のロケ地でのは話しはいいね。21歳の香川京子、原節子に憧れていて旅館では楽しかったらしい。観て欲しいな。 この映画は高度成長期に向かう中で、家族の崩壊していこうとするさまと、また家族の再生というか、底には人の暖かさというか、家族への信頼も期待されているか。紀子の行動と台詞が、やはり重要だよね。 尾道ロケで、原節子が到着するという時間帯に、入場券が3000枚売れたそうだ。映画が娯楽の神様だった時代だったね。
5カットを撮るために一週間いたと、香川京子は話してる。 三宅邦子は小津映画によく出演するが、「戸田家の兄弟」が最初だろうか。 香川京子がいっていたが、東京物語の尾道ロケは5カットで1週間いっていたらしい。贅沢というか、のんびりしていたのかな。 >>836
ホームに出て原節子を待つファンだろう。でも実際には、原節子は1つ前の駅に降り、車で行った。それだけ人気があった。寺院での撮影の写真があるが、二千人のファンが来たらしい。 東京物語の助監督だった斎藤武市が、「愛と死をみつめて」(1964)の監督をした。笠智衆が吉永小百合の父親をやり、何度か共演したらしい。吉永は、いまでも「女・笠智衆」になりたいという(「東京新聞」2017.2.19).無理だよ。 原節子が義理の両親と都内見物に行く。階段の踊場で、わたしの家が向こうとか話すシーンは、銀座松屋だったと初めて分かった。学んだなぁ。 松屋の屋上は何回か映画で見ている。
三越・松坂屋と違って、撮影しやすかったのかなあ?
それともNo.3ゆえに、映画会社に営業していたのか? 松屋の営業か。あったかもしれないね。電車だって、撮影に許可する私鉄は限定されている可能性がある。小津映画では、国鉄の電車はよく出てくる。 小津映画は戦後は特にホームドラマが中心だが、家族の生活から社会が見えると考えていたらしい。確かにみえる。「東京物語」の子どもたちのあくせくした生活は、余裕がなさそう。原節子の紀子だけが少しはゆとりがある。 笠智衆と原節子の最後の会話で、彼女の泣くシーンがある。それを、戦争で死んでいった全ての人のために紀子は泣いたという解釈をする人がいる。これは正しいかな。一つの見方ではあるが。 あのシーン、節子が泣いたのは僕の考えでは、
ふとイエスの磔刑のエピソードを思い出してしまって泣いた
という解釈なのだが、これもまた一つの見方といえよう。 杉村春子が尾道に行ってる間に、中村伸郎がパーマ屋の女の子(見習い?)に手をつけたんじゃないかな
あの子、住み込みだったよね。 「一泊で帰ってきたから旅費はまだ残ってるわね。返してちょうだい」
返してもらったお金を全て自分の懐に入れる杉村春子 つべにあるが、イギリス映画監督リンゼイ・アンダーソンは、東京物語をみて小津安二郎を尊敬するようになる。小津は自分の映画が外国人に理解されないと思い、世界映画祭に一度も出品しなかった。それでもイギリスに輸出され、東京物語は
サザーランド賞を受賞。1958年 この映画の中で、「秋刀魚の味」は有名だけど、軍艦マーチが流れるシーンがある。さて、どこだろう。解説付きの「東京物語」を観て、初めて分かった。
他の人は分かりますか? 尾道に、「おのみち映画資料館」があり、「東京物語」の資料が展示されている。僕はいったことはないが。尾道は新藤兼人や大林宣彦が住んでいたらしい。 珈琲時光は侯孝賢の小津安二郎生誕百年記念でつくった映画だが、東京物語へのオマージュかな?2003年製作、一青窈は台湾人とのハーフか。主役。成瀬映画にも似ているね。都電がいいね。 珈琲時光は、内容はイマイチだった。小林稔侍の父親が何もいわないし。監督のいいたいことは伝わったのか不明
でも、小津が好きなことは分かった。 「紀子3部作」は、必ず戦争の痕跡がついて回る。「東京物語」がその中でも1番尾を引いているかな。最後の原節子の「ずるいんです」以下……
ずるくはないといってやりたい。ずるいのは誰だ? 長女の志げ(杉村春子)ー葬儀のあと
「ねえ、京子、お母さんの夏帯あったわね。あれ、あたし形見にほしいの」.
普通は、形見って四十九日にやりそうだよね。俺の家ではそうだった。尾道は遠いから請求したかな。四十九日には来ないだろう。 「東京物語」はTVでも、何度がリメークやっているけど、みたことがない。再放送もしないか。映画が有名すぎるしね。 全集黒澤明(88年発行)6巻にも井上ひさしとの対談
黒澤「あの台詞変ですよね。他人行儀って言葉があるでしょ。
他人だからこそ気を使って親切に振舞う。身内だからこそっけない。
それは、親に対する甘えもあるんですが。」
井上ひさし「そう。そうです。」
黒澤「小津さんもわかってますよ。
でも映画だから、この台詞で感動させてやろうと欲が出たんでしょう。
『東京物語』は評判の良い映画なんですけど私はあまりいいとは思わない。
小津さんのそういう計算が鼻に付くところがあって。
この映画の原君なんて、正直いって・・・うーん・・・僕・・・気持ち悪いなあ(爆笑)」
井上「ええ、ええ。非常にわかりますよ。
でも黒澤さん。本当はあまり好きじゃないというよりは(東京物語が)大嫌いと言いたかったのでは?(笑)」
黒澤「(爆笑)」 >>858
黒澤はそんなこといっている割には、晩年に山田洋次が訪問したときに熱心に「東京物語」を観ていたのは有名だ。まあ、黒澤明が映画100本挙げている中に、小津映画は「晩春」のみだが 黒澤明は小津と溝口は、先輩として尊敬していたことは確かだ。「赤ひげ」で、笠智衆と田中絹代を出演させたのは、両監督へのオマージュがあったのは、よく知られている。 取り巻き連中が、「黒澤映画に出ておいたほうがいいんじゃないですか」とアドバイスしたのかと思った。 周防正行は東京物語や小津安二郎が好きだったらしい。「変態家族兄貴の嫁さん」(1984)は観てないが、小津安二郎へのオマージュだった。ピンク作品だが。
そうか、それで原節子さんを好きなんだ。 香川京子は、尾道ロケでは2カットのみだったと語っている。後ろ姿だけ。それでも一週間ぐらいいたそうだ。「この映画に出られると伺ったときに第一に嬉しかったのは、原節子さんとご一緒できることだったんです。大変なファンでしたし、女優として
原さんに憧れて映画界に入ったような
ところもありまして」 「…私が初めて日本映画を見た頃、日本の社会や女性の抑圧を批判するという意味で大島、溝口映画が挙げられるのが普通でした。ですから、「東京物語」を初めて見たときには、本当にほれ込みました」(シャルル・テッソン). フランスのある会社の社長が「東京物語」に感動して尾道に来たらしい。誰だったか。思い出せない。 東京物語のロケが尾道であったとき、尾道にいた大林宣彦は中学生だったらしい。また新藤兼人も尾道にゆかりがあった。この映画は自分の家族で死者を出し、死が身近になって分かるという人がいるらしい。 つべで、舞台の「東京物語」(2013)を観た。脚色演出は山田洋次、紀子は瀬戸摩純、義理の母親は水谷八重子。舞台だから、ずっと同じ場所=長男の家でやる。母親は長男の母親で死ぬ。断絶小津映画には負けている。が、まあ少しは面白い。 そこはミスです。母親は長男の家で死去する、の誤りです。
山田洋次は、舞台だから長男の宅を中心にすえた。「東京家族」でも、長男宅で母親は死去する。舞台では、紀子は見合いしているよ。 日本の俳優の記念館は殆どないけど、映画ごとに、その場所が記念館のような役割を果たす。「東京物語」で使用した尾道の旅館は、記念館のようになっていて、色々展示してある。これは面白い現象だね。 見終わった
はじめ退屈だったが「あ〜あ、とうとう宿無しになってしもた・・・」
と笑いながら言うところで泣きそうになった 東京物語で泣くシーンの最も多いのは、ラストの原節子と笠智衆との会話だよ。
「ずるいんです…… 周吉「なかなか親の思う様には行かんもんじゃ(笑)。
欲を云やァキリャにゃァが,マァええ方じゃよ」
とみ「ええ方ですとも。よっぽどええ方でさァ。わたしら幸せでさァ」
周吉「そうじゃのォ。マァ,幸せな方じゃのォ」
とみ「そうでさァ。幸せな方でさァ」 全集黒澤明(88年発行)6巻にも井上ひさしとの対談
黒澤「あの台詞変ですよね。他人行儀って言葉があるでしょ。
他人だからこそ気を使って親切に振舞う。身内だからこそっけない。
それは、親に対する甘えもあるんですが。」
井上ひさし「そう。そうです。」
黒澤「小津さんもわかってますよ。
でも映画だから、この台詞で感動させてやろうと欲が出たんでしょう。
『東京物語』は評判の良い映画なんですけど私はあまりいいとは思わない。
小津さんのそういう計算が鼻に付くところがあって。
この映画の原君なんて、正直いって・・・うーん・・・僕・・・気持ち悪いなあ(爆笑)」
井上「ええ、ええ。非常にわかりますよ。
でも黒澤さん。本当はあまり好きじゃないというよりは(東京物語が)大嫌いと言いたかったのでは?(笑)」
黒澤「(爆笑)」 >>874
杉村春子が「刺身なんか余計よ。すき焼きだけで充分よ」と言う所はキッツイのなんのw 就職して労組の活動家に
杉村春子を知らないというと変な顔をされた。
大阪万博の年 名作だとは聞いてたけど、今日初めて見てみた。
こういう淡々と知った映画は好きなんだけど、ちょっと長すぎて退屈な部分も多かった。
あと、原節子が美しくて上品なのは素晴らしいんだけど、常にニコニコというよりもニヤニヤしてるような表情だったのが気になった。 原節子は確かに美人だけど、でもあまりにもバタ臭いから好き嫌いの別れる顔だよね。
当時の女優はみんな上品だった。 「今のテレビはつまらない」と散々言われてるし俺もそう思ってたけど、この映画ってまだテレビどころがラジオも無かった時代なんだっけ?
みんなで集まっても、とりあえず話題探しにテレビつける事もできず、沈黙が多いのが妙にリアルだった。
原節子だって未亡人であんな4畳半で、テレビはもちろん、風呂も無いような部屋に住んでて、当時の人はどうやって時間潰してたのかね。
もっぱら読書とか、女性だったら編み物とかかな。
男性の一人暮らしはどうやって過ごしてたんだろう。すごく興味ある。 戦後だから都市部の中流家庭にはラジオくらいはあっただろうよ。
昔は洗濯機も掃除機も電気釜もなかったから家事には時間がかかったんだよ。 そんな事言ったら江戸時代はどうやって過ごしていたんだよ、何にもないぞ 江戸時代の平均寿命は30歳代らしいから
15歳くらいで結婚して必死で子育てして人生終わり。 貧乏人の口減らしで遊女屋に売られた女性は平均20歳で死亡 蓮実重彦bot‏
『東京物語』の原節子は、微笑をたやすことのない老父の笠智衆に向かって、その否定的な言辞を強い口調で投げかけている。
ですから物語や事件がなくっても映画は充分にやっていけるわけです。動いている車のなかのその動きの体験だけで、
十分それが事件化されるということもあると思います 淀川長治
この小津映画のオーバーラップなしの映画の囁きことは、日本そのものの香りを見せて、西洋人をびっくりさせたが、これは一種の映画の破壊でもあった。
映画のもともとは流れる物語、そのリズムに魅了があふれた。
黒沢映画のどの作品にも、そのリズムが美しかった。くわえてイマジネイションが美しかった。「生きる」のブランコに腰かけた老人、「羅生門」の雨、「夢」の狐の嫁入り。
映画はその始まりから美術のリズムその流れを見せた。映画がそのリズムを失った今のトリック映画の貧しさよ >>889
いや、乳幼児の死亡が多かっただけで死亡年齢がそこまで若かったわけじゃないよ 淀川さんも洋画劇場の最後のほうは、浅ましい映画ばかりでテレビの仕事はやりがいなかっただろうな。 出演者の家系の話ばかりしていたな。誰それの息子だとか娘だとか。 大正時代に水道水の塩素殺菌が始まってから
乳幼児の死亡率は激減した。
子供が疫痢で死ぬのは日常茶飯事。
それまでの水道水は雑菌だらけ。
江戸時代の長屋の井戸水に至ってはお話にならない。
公衆浴場も。
タイムマシンで行けても、何も口にできない。 いろいろと役に立つ副業情報ドットコム
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
HFYUB この映画の当時の笠智衆さんの年齢を追い越してしまったのだが、どう見ても笠さんの方がひと回り以上年上に思えて仕方ない
あと戦後8年で復興した東京見て、この1年後にゴジラが来襲するのかと複雑な心境に >>817
内科はともかく、小児科はなり手が少ない診療科目の一つ。
儲からないし、やはり責任も大きいから。
まあ、だからといって、山村聡が美容外科とか包茎専門クリニックとかやってて
豪奢な生活してても、それはそれで笠さんが嘆きそうな気がするw >>894 淀川長治は小津が嫌いで溝口が好きだな。東京物語で笠智衆は娘の杉村春子と1歳しか違わない。殆どタテマエで話していた笠が、唯一ホンネで息子のことを話すシーンがあるね。分かるかい? 東京物語の当時はベビーブーム(第一次)で生まれた子供らが
わんさかいて(その後の団塊の世代である)小児科の需要は
とても大きかったし忙しかったと思われる
しかし町医者をやっていて儲かるかどうかは別問題か レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。