亡霊説が人気がありますね。猛暑が続いて納涼の意味があるのかな。
天国での再会というのは確かにあり得べき演出の一つですね。「支那の夜」の改作版だ。
僕が監督だったら、身投げした桂蘭が、白蘭の花の如く川面を流れていくといった
幻想的シーンを入れますがね。その場合、川は時代を象徴するから、印旛沼の小川
みたいなものじゃ物足りないが。

そういう改作版は、「ミュージカル李香蘭」にも提案したい。たとえば、蘇州夜曲を歌うシーンで。
李香蘭は蘇州夜曲の2番を最後に歌い、佐藤春夫の詩の朗読もいれて、背景に桂蘭の水死シーンを出すと、あのミュージカルも少しは
マシになるかもしらん。川面を流れる白蘭の花というのがあのミュージカルのポイントだったから。

もっとも映画の解釈としては、亡霊説だとちょっと苦しいところがあるね。
映画だと、負傷した長谷(白い包帯で手を吊っていた)が馬車で駆けつけるシーンがあった。
これは、長谷が死んではおらず負傷しただけだということを暗示している。
そして長谷川一夫は、歌舞伎役者よろしく、大見得を切って「桂蘭!」と呼びかける。
このとき桂蘭はまだ、水に半身だけ浸した状態。つまり間一髪のところで長谷が間に合ったという設定なのだね。
だから、普通に見れば、やはりハリウッド映画と同じく、二人はこの世で再会したというハッピーエンドだね。