[李香蘭]−昭和の女優−[原節子]
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「支那の夜」という曲は戦時中に日本軍の宣撫活動の一環として流されていたし
映画「支那の夜」は、米軍の情報将校達の間では日本語教育の教材として使はれていた
といふ事情があつた。従つて、山口淑子は米軍の兵士達の間でも人気があった。
「竹の家」の監督はこの映画のことはよく知っていたであらう。
ロバートスタックが「ひっぱたく」シーンは、明らかに支那の夜と同じ戦勝国の
男性と敗戦国の女性といふ組み合わせのうへで成り立つのが面白い。
つまり、敗戦国の女といふものは、勝者の國の男にとってエキゾチシズムの魅力を持つ征服されるべき異国の女であり、調
教して我有化すべき對象と化すといふ一般法則があることを示してゐる。
之に反して、敗戦国の男性といふものは去勢化されており、さういふ女に対しては怒りを感じ、
売国奴扱いをすると言へやう。李香蘭が征服者の國の男性にとって魅力的で有ればあるほど
被征服国の男性にとっては我慢のならぬ對象となるのである。
>>112
>サディズムといふ暴力性
李香蘭こそ、マゾで売って来たんじゃないの。
日本人にひっぱたかれる役割を演じて北京飯店での糾弾記者会見で、
当時20歳で何も知りませんでした、バカでした、で難を逃れて、
味を占めて今の今までしたたかに生きている気がする。私は被害者
で〜す、のポーズに惑わされてはいけない。原節子のように、筆を
折った潔い役者(表現者)では決して無い。うつつを抜かしている者
は気付かないだけで、一番莫迦なのかもしれない。 >>114
またこの莫迦は格好つけて「よく知っていたであらう」「さういふ女」などと
書いている。 仕事に於ける文書にもそう書いているのだろうか?
いや、もう定年退職をして、毎日が日曜日で、ここに張り付いているのが
日課となっているようである。 >>116
原節子もまた多くの戦争協力の宣伝映画に出演し、敗戦後は民主主義の啓蒙映画に
出た点で他の多くの映画人とさほど変わりせぬであらう。四方田によれば、原節子にしても、
このような価値観の大転換にさいして、自分が如何なる考へを持っているかを表明したことは
一度もなかつたといふ。それとは対照的に、山口淑子は、戦後の映画人の中では例外的に
戦時中の軍部への協力を自己批判し、日本軍部が危害をくわえた中国や韓国の民衆に謝罪し、
軍に事実上強制的に徴用された慰安婦達への補償問題に取り組まうとした。さういふところは
自己の価値観の変化に対してはっきりとした態度をとっていたことを評価したいといふのが
四方田の意見であった。これは原節子を特に非難してゐるのではなく、その点に関する限り彼女もまた
戦後の他の多くの映画人どもと同じだったといふことだらう。
ところで、「熱砂の誓ひ」を近々フィルムセンターでやるらしいが、あのなかで
李香蘭の演ずるヒロインが、長谷川の演ずる技術者にかわって、見事な中国語で、
民衆の前で一大政治演説をぶつシーンがある。国民党の側からすれば「支那の夜」
の例のシーンが問題であつたらうが、共産党政権からすれば、反共匪賊を民衆に訴えた
こちらのシーンのほうが脅威であつたであらう。政治家になった山口淑子が戦後、
はじめて北京を訪れたとき、中国共産党の関係者から深夜詰問されたのも、有る意味では
当然であったのである。小生は李香蘭を戦争の被害者であるなどと言ったことはない。これは
浅利慶太のインチキ・ミュージカルが生み出した幻想にほかならぬのである。 >>117
>毎日が日曜日で、ここに張り付いているのが日課となっているようである。
とは、書き手の事。これこそ横浜加齢臭爺さんですからね、念の為。
県立二俣川工業高校卒。日産自動車神奈川工場勤務のあと年金生活。
77歳。企業年金分をPCに充てているが下手。あちこちで苦情が。 >>120
○○○爺=cosmopolitanらしい。 CATVの黒澤明特集のひとつとして6月は三船敏郎、山口淑子共演の「戦国無頼」も
何回か放送される。この作品は監督が稲垣浩で、黒澤は脚本に加わってゐただけだが、戦7年目に
公開されたこの映画は、生き延びた敗軍の兵士を描いてゐ点で、戦後を感じさせる映画の
一つでもある。
「戦国無頼」の山口淑子は、山賊(海賊だったか?)かなにかの娘役で登場するが、
なかなか魅力的であつた。伝法な物言いをする男勝りの勝ち気な美女というのが、どうも
戦後の彼女の役どころであつたらしい。のちに「竹の家」で彼女を起用したアメリカの
映画監督は、アメリカ兵士の戦争花嫁の役で、物静かな日本女性を演じたシャーリー・山口 と、この戦国無頼の「おりょう(だったか?)」役の彼女が、同じ女優であるとは思わなかったらしい。
おりょう役の女優にエキゾチシズムを感じた彼は、ただちにシャーリー・山口を「竹の家」の
ヒロインにすることを決めたと言ふ。
監督を務めた稲垣は稲垣で、かつての李香蘭が日本の時代劇などに出すのはもったいない
気がして、このあとで、中国を舞台とする「上海の女」を撮影して、李香蘭のリサイタルとも
いうべき音楽映画を撮ることとなる。
かういふさまざまな事情を知ってこの映画を見るのも一興であらう。
かういふさまざまな事情を知ってこの映画を見るのも一興であらう。
と書くなら、漢字も旧字体で書け!統一しろ!このいい振りこき! >>124
小生は、WEB掲示板は、他者の自由を尊重する場所であることを希望する。
小生は歴史的仮名づかひが好きだから使つてゐるが、之を他者に押しつける気など毛頭無い。
124君にも、僕の自由を認めるだけの寛容さを持って欲しいものだ。
ところで、僕が歴史的仮名遣ひに魅力を感じる理由には、まさに歴史的な理由があるのかもしれない。
そもそも現代仮名遣ひ、当用漢字といふものは、マッカーサーの指導のもとに
に行われた日本の戦後の教育体制の一側面なのであった。それには、「簡便さ」という
側面もあったから普及したが、そのために、戦後の世代は、日本の古典からも、
明治から昭和初めにかけての先人達の著作からも遠ざかってしまった。
これは悪しき反面である。
中国語では、文化と伝統を軽んじた共産党政権の画一化政策で簡体字が普及した。
しかし、現実には繁体字と簡体字を併用してゐる。繁体字が読めなければ、中国人は
自国の古典から遠ざかってしまうからである。
どんなに便利に見えるシステムであつても、全員に画一的に強制すべきではない。
効用だけで計れぬ所に、また多様性と他者の自由を尊重するところに文化といふものがあるのだから。 >>126
齋藤さん、cosmopolitan氏は中国語が解せませんよ。 >>127
我不是叫齋藤的白痴人。
cosmo先生能了解中文。 >>126
漢詩など、古來日本人は
|軽|兩|千|朝|
|舟|岸|里|辭|
|已|猿|江|白|
|過|聲|陵|帝|
|萬|啼|一|彩|
|重|不|日|雲|
|山|盡|還|間|
の如く書いてきたのである。小生もこの書き方に親しみを覚えるが、如何せん
ワープロもWEBも「米帝国主義」(笑)の支配下にある故に、右側から書くことが
技術的に難しい。
ついでに言へば、簡体字で漢詩を表記する現代中国流のやりかたでは、
,。? などの句読点や疑問符などを使って左より右へ横書きするスタイルが支配的であるが、小生は、
あれにも違和感を覚えるものである。とくに「?」などの記号を漢詩には使って欲しくないものである。 >>129
横書きの漢詩に?マークですか。
中国のちかごろの若いもんわorz >>128
cosmopolitanさんは、中国語はわかりませんよ。
李香蘭の中国語の歌の訳詩もいい加減ですから。 フルムセンターで「白蘭の歌」を今日午後2時より見ました。二回の会場はほぼ満員で、
チケットを買うために階下から行列で並ばさせられました。
ビデオでこの映画は見たことがありますが、さすがに大画面で見る方が好いですね。
ビデオでは省略されていた多数の場面があったので、より一層、話が通じるようになっていました。
もっとも、最後は、機械が故障したのか、ヒーローの葬儀の場面で唐突に終わりましたが・・・
李香蘭の歌う場面は少なく、長谷川一夫とデュエットで歌う冒頭の「何日君再来」と
、「荒城の月」だけでしたが、とくに「荒城の月」は聴かせましたね。 >>134
フィルムセンター、年配の観客が多い所為か、居眠りをして鼾をかくひとが居る(笑)。
白蘭の歌、李香蘭が実に初々しい! コスモポリタンさん、こちらでは現代の仮名遣いでご投稿のようですね。 テレサテンは好いなあ。
しかし、「ケセラセラ」が「世事多変化」ですか。
歌詞全体を見ると自然につながるけれどちょっとニュアンスが違いますね。
ともかくもあなた任せの二頻道 秋葉原で事件があったね。行かなくて良かった w
四川では大地震だし、黒人が大統領候補になったし。
昔、ジェームズアールジョーンズ主演の映画があった。
確か最高裁長官で、上が死んで順番で大統領になった
物語だ。まさか現実にそうなろうとは思わなかったよ。
露程にだ。私が遅れているのだろう。 不好意思。
明日は株が暴落気配で楽しみだ。暫くそっち。 哈哈。
事事称心如意 時時快楽無憂。 秋葉原で事件があったね。行かなくて良かった w
四川では大地震だし、黒人が大統領候補になったし。
昔、ジェームズアールジョーンズ主演の映画があった。
確か最高裁長官で、上が死んで順番で大統領になった
物語だ。まさか現実にそうなろうとは思わなかったよ。
露程にだ。私が遅れているのだろう。 不好意思。
明日は株が暴落気配で楽しみだ。暫くそっち。 哈哈。
事事称心如意 時時快楽無憂。 下院議長の間違いだろう。
米国で、誰かが死んだがために最高裁長官が大統領に
就任することはありえない。 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=9061
ゴメン、権力分立ゆえに、最高裁長官が大統領になる事は無いな。
日本でも、衆院議長をやった坂田道太が総理大臣に
なれないとの論が起こったことがある。で、結果は
坂田道太→宇野宗佑 でした。
したがって、土井たか子もなれないのである。
現職議長は駄目だが、元議長ならなれないことはない。 教科書的にはなれるが、実際上は謙抑される。
また、国会は国政の最高機関という憲法上の構造からも制限される。 李香蘭の歌声が聴けてダウンロードも出来る中国サイトは幾つもあるが、
スレ主はどうせ何の興味もないんだろうから紹介しないでおく。 http://www.nhk.or.jp/kurosawa/
7月5日21:00からNHK BS2で「醜聞」(スキャンダル)が放送されます。
スキャンダルに巻き込まれる歌手を演じる山口淑子は息を呑む美しさ
だそうです。
DVDで見て、まあ美人だとは思ったが、息は呑まなかったぞ。 邦画板住人の中で「醜聞」を見たことがないのは糞尿だけだよ。 >>155
本当にお前は汚い不潔男だよ。
いつも下品な表現をして。
お前の人格が文章の表現に表れているよ。 7月1日にケーブルテレビのNECOで「白夫人の妖恋」があります。
朝6時から。もちろんそれ以後も何回か上映されるはず。
この作品、ビデオ化されてませんから、お見逃しなく! そんな事いわれてもケーブルテレビなんて俺んちはやってねえんだよ。
何それ? NECOって?
>>153
1950年東宝でなくて、1950年松竹ですよ。 朝方「戦国無頼」を見て初めて李香蘭の魅力を知った気がします。
それまでは国籍不明の日本人?としか認識がありませんでした。
3時のあなたの司会は見た記憶があります。
このスレは60代の方が多いんでしょうか?ちなみに私は50代です。
原節子に比べたら頭はキレそうだし情熱的で、ただし国内での評価は
年配の人はともかく50代いや60代以下の人の間では低いんじゃないでしょうか?
「戦国無頼」では三船は突き動かされる一方の感じでした。あの三国も然り。
すごい女優いや女性がいたんですね。
原節子が6月で山口が2月生まれ。学年は違うものの同年ですね。
続投。
「夜来香」の歌は聴きましたし母がよくマネして歌ってました。 >>159
http://www.necoweb.com/neco/program/program.php?id=4601&month=07
に「白夫人の妖恋」の番組紹介がある。
>>161
「戦国無頼」には歌うシーンがないので、歌手李香蘭のファンとしては、
物足りないけれど、確かに、あの映画の李香蘭はなかなか魅力的でしたね。 コスモポリタンさんの、ますますのご発展を祈ります。 >>165=>>156=糞尿=横浜加齢臭ジジイ w 支那の夜をフィルムセンターで見ました。いやあ、やっぱり魅力がありますね、李香蘭は。 イケメンホスト VS 格闘家3人(空手・フィリピン人キックボクシング・フリー格闘家) 3対1のキックボクシングルール・・・羽交い絞めありで殴る極悪な格闘技 映像
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_080628098993_1.htm 支那の夜では服部富子の歌もきけました。上海のナイトクラブで歌っていた歌、あれは何という歌なのか
ご存じのかたは教えてください。 なんで『白蘭の歌』のような退屈な駄作が三回上映で
傑作『支那の夜』が二回上映なのか
センスねーよ フィルム・センターの上映のとき、水の中から誘うような長谷の声に従って桂蘭が入水していくと
一転して無事に帰還した長谷が登場するシーンで、観客の笑い聲がありましたね。
国策映画のシナリオのご都合主義に笑ったという事もあるのかもしれません。
ただ私の受けた感じでは、そのときの観客の笑いは、なんとなく暖かい感じでした。
つまりわざわざフィルムセンターまで来るくらいですから、ファンの笑いだったようです。
その証拠に笑った同じ人が、映画の最後に拍手をしていました。
そこに至るシーンが少し長い気がします。桂蘭の綿綿たる想いを
描いた後に登場する長谷は、亡霊だったのかも知れません。
ひところハリウッドで流行った、ゴーストものを想起しました。
観客の笑いはどうだったのでしょうかね。 自分もあの長谷さんは鶏卵がいまわの際に見た亡霊なんじゃないかという思いが最後まで拭えなかった。
今となっては確認のしようもないけど。 最後に登場する長谷と桂蘭は、実は共に亡霊だった。(笑)
というよりあの世で結ばれたということを暗示するような演出もあり得たでしょうね。
なんだか「冬のソナタ」のラストシーンみたいですが。あの映画のシナリオというのは、矛盾がいっぱいなのですが
夢のような上海の結婚式や、蘇州夜曲をバックに二人が歩くシーンなどとおなじく
魅力的な音楽で矛盾を誤魔化しているところがあるかもしれませんね。
それから、おっしゃるように「支那の夜」というのは、どこかハリウッド映画みたいな感触がありますね。
たとえば桂蘭の強制入浴シーン。私は「マイフェアレディ」で、イライザがヒギンズに命令されて入浴させられ、
女中達に強制的に着替えさせられる場面を連想しました。どちらも粗暴な乞食娘を躾て淑女に変身させる物語です。
ヒロインが絶世の美女という設定も同じ。映画はオードリーヘップバーンがやってました。
(歌は別の歌手の吹き替えでしたが)
マイフェアレディでは、美しい英語をヒロインが話すようになるのと同じく
長谷と結ばれる桂蘭が次第に美しい日本語を話すようになるところも似ていました。 単に笑う奴にセンスがないだけ
あいつのせいで最後の雰囲気がブチ壊しになった
いびきをでかい声で注意する奴と同じで空気読んで自重しろよ 色んな面白い場面があるね。二人が水辺をランデヴーする場面は
実は千葉県印旛沼で撮ったとか、藤原釜足が敵のアジトに乗り込む
時に放つピストルが上を向いていたり、戦後の大蔵新東宝の怪優、
大友純(黒澤用心棒にもやくざ役で出ている)がセリフ無しの悪漢?
の一人で出ていたりだ。船が襲われるところも地獄の黙示録を思わ
せる。ちょっと強引だが。
長谷が拳銃を突きつけられている時、李香蘭が足を組んでいるが、
この女優はその格好が好く似合うね。黒澤醜聞でもそうだった。 入水自殺を図り、水に濡れていたはずのドレスが、風にひらひら舞っていたのは
可笑しかったです。直ぐに乾燥してしまったのですかね。
これは、二つのシーンが別々の場所で撮られたからという逸話ですね、これ、私も山口さんの自伝で読みました。
だけど、たぶん、そんな話を前もって聴いていなければ私には分からなかったかもしれません。ともかくそれほど
不自然さは感じなかった。
もっとも、二人が架橋の上で抱合うシーンが、この世のものでないと仮定すると、この「濡れ場」の謎は解消しますね。 どうでもいい小さいことあげつらってちゃかして面白がってる奴ってほんとバカだと思うね
『支那の夜』の映画的な素晴らしさはそんなつまらないところがどうだろうと揺るぎはないんだよ >>181
あんた、意見を述べる前に、句読点の勉強をしな! >>182
こんな風に気に入らないといちいち、人に噛み付くケツの穴の
小さい奴は山口さんに一番軽蔑されるジジイだろうな、ああヤダヤダ。 >>183
あんたも、句読点の打ち方を勉強しなさいよ。
それに、私は女性ですけど。 たびたびですみませんが、フィルム・センターの「支那の夜」の感想を続けます。
服部富子さんも印象的でした。良い女優さんですね。清楚な日本女性を好演していました。
「想兄譜」でしたか、戦死した兄の墓前で、長谷と一緒に墓参するシーン、上海のジャズバンドをバック
に歌うシーンがあったので、長谷に思いを寄せる日本女性として大切な役割が与えられていたようです。
これが見られただけでも、やはり京橋まで見に行っただけのことはありました。
もうひとつ、長谷の宿舎の管理人の息子に侮辱された桂蘭が、立腹してその坊やを打擲するシーンがありましたが、これは後で
長谷が桂蘭を叩くシーンの伏線だったのですね。つまり長谷は優しすぎる紳士で、桂蘭の暴力を
赦してしまう。これをカットしてしまうと、なぜ桂蘭が宿舎の女主人や長谷に、子供に暴力を
ふるったことを、後になってから詫びたのかわからなくなるでしょう。すくなくも、
もとのシナリオでは、長谷が理不尽な暴力を振るって、抗日娘の桂蘭を「調教」した、
というふうにはなっていないのですね。桂蘭を叩いた後で、長谷が桂蘭に「自分の負けだ」
といって謝罪しているシーンがそれを物語っているでしょう。 >>174
私もその説はあり得ると思います。
最後長谷は馬車に乗って駆けつけますが
その時長谷のほかに二人乗っていますよね。
一人は小太りの山崎だとわかります。
しかしもう一人が誰だかはっきりしない。
彼が戦死した仙吉だとすれば、
間違いなくラストシーンは桂蘭のみた幻でしょう。
>>185
ではなぜ、長谷のビンタで桂蘭は心を開いたと思いますか?
何故桂蘭は長谷のビンタを「愛の鞭」という、日本の文化として理解することができたのか
今一つ理解できないもので。
それにしても全編見てみると、ビンタの場面というのはこれまで言われてきたイメージと
違いますね。伏線も多いし、作品全体として暴力を否定しているように思えます。
cosmopolitanさん、貼り付いていますね。 四方田犬彦の「日本の女性」だが、支那の夜関係で
事実誤認が多すぎる。
@P117
桂蘭が抗日になった理由が中国人が家屋敷を破壊したのを
日本人のせいだと誤解したせいだと書いている。
ノーカット版を見てもそんなシーンはないし、そうであっても
日本人のせいだと想わせる演出をしている。
AP118
悪い日本人は存在しないとしているが、支那の夜の冒頭
に現れるハンチングの男や桂蘭に洗面器の水を足で掛ける
子ども(ビデオではカット)など、悪役は存在する。
BP115
中国の風券的家族制度に由来する「叔父」の登場は
悪そのものを体現している
「いとこ」だって長谷にいってたじゃん。
CP112以下多数
服部富子演ずる「とし子」を「徳子」だと間違えている
DP119
鴛鴦歌合戦の音楽は大久保徳次郎なのに、服部陽一が担当していると書いている
支那の夜には悪いイメージがあるが、だからといって資料を確認せずに
書いていいわけはないだろう。
ここまでいい加減だと、自説を通すためにわざとやってるんじゃないかと
思いたくなる。
http://jp.youtube.com/watch?v=mj4adGbG7iM
[恨不相逢未嫁時]這首歌的原主唱者是日本美女--李香蘭(山口淑子),
?前後灌了兩 次唱片。
第一次是1942年左右,在上海百代公司所灌?的。
李香蘭運用?所擅長俄式宮廷聲樂的 唱法,那時二十?出頭的?,
聲音相當清脆、?亮,猶如?鶯出谷。加上?那一口標準流利 的京片子,
將那種?徨、無奈,把已幻滅的[少女情懷總是詩]那般情境,
詮釋得讓人一陣 鼻酸。
相隔十餘年,李香蘭到香港EMI百代公司,再度灌?這首「恨不相逢未嫁時」,
這時?的 歌聲變得渾厚、成熟,但再也不像過去那樣清脆、?亮。
彷彿有點美人遲暮的感覺。 >>193
ここに公開されている「恨不相逢未嫁時」は上海版でなくて
香港版ですね。
また、歌詞が“冬夜裡吹來一陣東風”となっていますが、
“冬夜裡吹來一陣春風”の間違いです。 >>194
たしかに dongfeng じゃなくて chunfeng と言ってますね。散文的な意味は同じでも、
ここは絶対に「春風」ですね。歌詞の二番の「一篇春的詩」の、過ぎ去りし青春を歌うときの哀切な
「春(chun)」の音と響き合う。 風邪で仕事を休んだお陰で、BSで麦秋と東京物語を見ることができた。
笠智衆が、麦秋では東山千栄子の息子役。東京物語では亭主役。しかし、全く違和感がないことに
あらためて驚く。原節子は良い監督と脇役に巡り会ったものだと思う。杉村春子の藝にもあらためて
感心。 いや麦秋の笠と東山の親子はさすがに無理があったな。
夫婦しか見えないよ。
>>197
それは笠智衆=お爺さん役者 という先入観かも知れないなあ(笑)。麦秋の時は笠の実年令は47歳だろう。
東山千栄子は61歳。僕には笠は若々しく見えた。それが東京物語では東山千栄子より年長に見えたのだから
これは演技力だろう。 >>199
コスモポリタン先生、相も変わらずお元気のようです。 長谷川一夫の東宝移籍後第一作「藤十郎の恋」を見た。後半部分の緊迫感、とくに
雪の中を傘をさした群衆が芝居小屋に押しかけるラストシーンには感心した。
なんとなく黒沢の映像美学の原点はこのあたりではないかと思った。 この映画、ケーブルテレビのNECOで明日の午前9時50分より上映します。
>>201
「藤十郎の恋」戦後も長谷川一夫主演で映画化されましたが、戦前版のほうが
僕は好きです。雪の丞変化の場合も同じ。 支那の夜、ラストシーン撮影現場は下総印旛沼。と来れば
当時の映画人なら、佐倉宗吾の怨霊伝説が頭にあったろう。
監督伏水修は結核を患っていて、このあと入院生活を送り、
あと一本(黒澤明脚本、原節子出演の青春の気流)を撮って、
他界してしまった。長谷亡霊説はあながち不当ではないよ。
衣装も白だったような気がするが。
お盆の季節で、俺と法政出の某君以外みんなジイサンなので
どうしてもこういう書き込みになってしまうわ。 ラストシーンの長谷も桂蘭も共に亡霊か(笑)。ただ、当時の観客は、もっと単純にハッピーエンドで
終わったということに満足したんじゃないかな。
現在の我々から見ると、日本と中国の架橋を象徴する蘇州の橋上で二人が結ばれる
シーンそのものが幻想になってしまったから、亡霊説もハッピーエンド説も結局は
たいして変わらなくなってしまったということだろう。 長谷は彼岸から現れる。三途の川での逢瀬だと解釈したい。 三途の川じゃあ景気が悪い(笑)。 船の中で、長谷の煙草に桂蘭がマッチで火を付けるシーンだが、
三途の川は禁煙じゃなかったかな? それにあのラストシーンは、短調じゃなくて長調だ。
相期遙雲漢、天の川にかかる橋の上で再会するというほうがよいね。
私も亡霊説に一票。
桂蘭が身を投げた川岸で、かつて長谷が唄った水辺月夜の唄が鍵を握っていますね。
「水の光になげかれる
身をうたかたと思えども
うたかたならじわが想い」
つまり、体は滅んでも桂蘭への想いは永遠だというわけで。
桂蘭は死の瞬間に駆けつけた長谷の魂と出会うことができ、
ラストシーンは天国での幸せな二人であった、と私は考えています。
そういえばホテルで首つりがあって、部屋代を払わない藤原釜足がそこに押し込まれる
という展開があったよね。
釜足は幽霊が出ると言って怖がってたんだがそれも
伏線だったんだろうか。
釜足は長谷の弟分で出ていたが、味のある良い役者だった。
長谷川一夫が、傷害事件の後で、本名で出演した復帰第一作「藤十郎の恋」
の脇役も記憶に残っている。 長谷が亡霊であるとしても、桂蘭がその侭天国に導かれた
とは言えないだろう。自分は此の世の者ではないが、君は
まだ若い、付いてきてはいけない、などと説諭されたかも
しれない。或いは、通りすがりの僧などにより、死霊から
引き戻された道程も考えられる。李香蘭自身が持つ強運や、
それに裏付けられた旺盛なパワーからすると、桂蘭は戦後
日本に渡り、逞しく生き抜いていった展開もあってよい。
>>212
大陸三部作の第一作の「李雪香」は長谷川一夫演じる「康吉さん」と心中したはず。
だから、当時の観客からすると、李雪香が、上海に「転生」して桂蘭になったというイメージが
あったろう。つまり、死んで亡霊になるという日本的な頼りないイメージじゃなくて、
なんというかもっと逞しい。死んだとみせかけて輪廻転生すると言った方がピッタリする。
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