[李香蘭]−昭和の女優−[原節子]
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四方田の「日本の女優」というタイトルは大風呂敷にすぎる(笑)と思ったが、
しかし、李香蘭と原節子が「昭和の女優」の中で最も興味ある存在だという点には同意したのだ。 もう止めて下さい。関係の者です。
何が目的なのですか? 好奇心で探るのは止めて下さい。
貴方の知らない事が沢山あります。静かに生活しています。
絶対に止めて下さい。
>>3
特定の人物を誹謗中傷する投稿は厳として慎むべきですが、
だれにもスレッドを立ててサロンを開く自由があると思っています。
各自が自分の感じたところを、自由の述べて、また自分とは異なった意見の
投稿を傾聴すれば、得るところは大きいと思いますが。
関心のある人が投稿すればそれで良し。関心がなければ読まないということで
良いのではありませんか。 敗戦という出来事を境にして価値観が激変した昭和の日本を、
映画という表象文化を通じてふり返ることが、僕の今の関心事の一つです。
李香蘭と原節子が昭和を象徴する女優だと思ったので取り上げました。
僕も余生を送っている人間の一人かもしれませんが、この世をおさらばする前に
昭和という時代が僕にとって何であったのか、はっきりと位置づけたいという
希望を持っています。山口淑子さんの「私の半生」を読んで、これは他人事ではなく
自分自身のことでもあると思いました。
原節子さんのプライバシーなどには全く興味はありません。彼女の出演した映画を論じることが
目的です。
>>7
マジレスが好きなのはいいが、ハンドル名を付けたりつけなかったり、
するのは如何なものか。また、書くときはよく調べてからにしてよね。
図書館通いや、ネット検索で研究結果を発表されても自慰行為を開陳
するようなものさ。周旋は精神病なんかではなく、抑うつ神経症だよ。 http://jp.youtube.com/watch?v=v-_g9owxxBk
のカラー映像は貴重なものですが、どういう人が撮影したのか、
どなたかご存じのかたはいますか? だれかが精神病? 抑うつ神経症? そんなことに関心はないなあ。
別のレスの話を憶測で振られても、返事のしようがないなあ。 >>9
森田美由紀のナレーションだから、NHKに問い合わせたら教えてくれるよ。
東宝の第一次ストライキのあとの作品だから、共産党員を主軸とする脚本審議会の
意向が強く入った脚本のはずなので、GHQが検閲(撮影)していたのではないかな。 >>11
糞尿のスレでレスするな
>>12
自分で荒らして強引にスレ伸ばししてんだろうが >>11
Thank you! 有りそうな話だね。
「我が青春に悔いなし」の黒沢と原節子の組み合わせは良いな。農婦姿になった原節子が
薬缶から水を直接に飲むシーンとか、菅笠をかぶって田植えするシーンなど実に印象に残った。
シナリオは、こういってはなんだが、進駐軍向けのプロパガンダで、月並みだが、随所に黒沢の
演出が光る。男優は大御所の大河内伝次郎をのぞくと全くぱっとしないのはなぜだろうか。 学生役がひねているね。10年くらい留年したのかな。万年大学生=左翼知識人かな。
大島渚もこの映画を見て感激したそうだね。映像は天才的、シナリオは最低。
些細なこと。原節子がピアノ弾くシーン、全然さまになってなかった。
本当は弾いてないってことがすぐに分かっちまう。 >>16
原節子は音楽家の役じゃないよ。
黒澤はその辺も承知してたんじゃないかな。
李香蘭と一緒にはならない。
アンタの批判は、砂の器の加藤剛向けのもんよ ww
>>16
学生役がひねている、といっても役はずっと学生じゃない。
終戦前に死刑になったり(藤田進)、戦後検事になったり(河野秋武)、
それ相応の年齢で問題はないんじゃないか。
この二人の男優はかなり複雑な役どころを上手く演じていたと思うが。
そもそも原節子だって既に26歳で、ひねてることに遜色は無い。
そんなことより、>>9のフイルムで見るこの女優の笑顔がなんやら
つくり笑いで、雅○様みたいだ。本編の演技も力が入りすぎで、
無理が鼻につき、見るに耐えない作品だった。最後のほうの農作業の
場面は、七人の侍の津島恵子を思わせる。調子パズレの歌は無かったがね。
>>18
さういふ見方もあるんだね。参考になった。俺はあの作品の原節子が好きだけれどね。
雅子さんか。彼女も皇后になったら、天皇と一緒に田植えをすると国民的人気が出るかもしらん。
原節子のピアノ演奏だが、カメラは本人の手元を写している。あれはダメだ。
別人に演奏させて合成するか、手元を写さないか、どっちかにすべきだろう。 もっともピアノを引く手と農作業をする手を対比させたかったのかもしらん。
そうだとするとピアノ演奏が嘘くさいのは、案外、黒澤の狙いだったか。
戦後の原節子は、「我が青春に悔なし」の路線の逆を行ったのに、
山口淑子は、「醜聞」「暁の脱走」の路線から抜けられなかったね。 「晩春」で、主人公の親子が能を観賞する場面、原節子が三宅邦子を見る視線!………マジでゾクゾクした! >>21
さうかもしれない。原節子は、戦後の民主主義の旗手から、小津に出合って
日本の伝統的な価値観と美意識の世界へと回帰して成功した。夢千代を演じた吉永小百みたいなものか。
山口淑子は、原節子にとっての小津のような、己の可能性を引き出す日本人監督には巡り会えなかった。
戦後、彼女の出た日本映画は、結局、「暁の脱走」をこえては視るべきものがない
とよく言われるのも一理ある。しかし、山口淑子という日本の女優名ではなくて、
李香蘭は戦後の香港映画で昔の名前で復活している。香港で再会したかつての上海映画・音楽の
同僚たちのほうが李香蘭の魅力が何處にあるのかよく知っていたのだろう。
>>22
同感ですね。そういう演技を引き出した小津の凄さでもあるし、笠智衆の存在感もあるね。
藤田進は姿三四郎、三船は椿三十郎。二人が原節子や李香蘭の恋人だと云われても、
どうも俺にはぴんと来ない。(ひどい偏見かもしらん)
二人の恋人役だったら、森雅之が断トツだったのではなかろうか。 >>26
対象(中国語)=恋人(日本語) だね。
漢文風に言えば、「いかなる男演員を任ずるも遠く森雅之に如かず」か。 また爺の連投かよ
戦後の映画すべて見てないだろ?お前>>23 >>28
27は26への応答で、全く別人の投稿です。断言できますよ(笑)
また、23も21への応答でしょう。だれも戦後の映画を全部見た人なんていないでしょうから、
こういう見方に対する反例となるような戦後の日本映画があるのでしたら、そういうのを紹介して頂けると
話が展開すると思いますが、如何でしょうか。 全部見てもいないのに
戦後、彼女の出た日本映画は、結局、「暁の脱走」をこえては視るべきものがないのは一理ある
なんてどうして言えるんだよ
自分の発現に責任を持てよボケ どこに何書く場合もとにかく自己自己自己自己なんだね。 >>32
DVDしか視てないが、あらすじが字幕で出てくるのには苦笑した。
ノーカット版は制作者以外に見た人がどれだけいるんだろうか。
アーカイブで完全版を保存してないとしたら犯罪的だね。もったいない話だ。
戦後まもなくの頃に、よくぞこんな映画を撮ったものだとも思ったが、考え直してみると
敗戦を経験したからこそ、ドストエフスキーの小説を日本映画に翻案できたのかもしれない。 >>35
>敗戦を経験したからこそ
侵略戦争が挫折に終わったから、という事か、つまりは
フロイドのエディプスコンプレックスの話かな? チョモランマ級の馬鹿だな。
エディプスコンプレックスが何の関係があるんだ。 >>38
馬鹿ではなくて白痴といってくれ。
「白」はイノセント。「痴」は病の中に智慧がある。ウマシカとは嘘の三八、王八のことだ。
本当に、ここは烏合の衆だ。
いい年したジジイ同士が馬鹿なことを言っている。
ああ、恥ずかしい・・・・。 ジジイはお前だけ
ジジイのくせに「烏合の衆」の使い方も分からないのか、馬鹿め >>43
よう、そこの烏合、なにか節子について騙って、じゃなくて
語ってみろよ >>44
何だと、この臭鶏蛋!俺はまだ20代だぞ。20代でジジイかよ!
オメエこそが臭いジジイ、いや臭鶏蛋だろう! エディプスコンプェックスとはこれのことだな。
http://www.coara.or.jp/~dost/5-a-6.htm
「白痴」は「羅生門」の次の作品だが、俺は、この映画のおかげで原作の世界が身近になったという経験をした。
つまり、ムイシュキンに森雅之、ナスターシャに原節子、映画の造型を通して、あらためて小説を読み直した
経験がある。随分と前の話だが、それほどこの二人のイメージが強烈だったのだ。 >>47
独り言するのにネタ検索してるのか!
しかも検索して出たサイトの文を全然読んでないな。 宮沢りえ主演で「どぶ」リメイクしろというスレ立てて一人で書き込んでるが、あれも検索して出たネタそのままスレタイにしたんだろ。 黒澤自身、「白痴」にはずいぶんと思い入れがあったと思う。俺も、その後の時代の
通俗的な時代劇なんかよりも「白痴」のほうが好きだね。
ところで、ポーランドの映画監督ワイダが演出して坂東玉三郎が主演した「ナスターシャ」の
舞台か映画を見た奴はいるかなあ。ナスターシャ=ムイシュキン というのは
面白い解釈だと思ったが・・・・ スレッド立てるや否や荒れ始め、いまだに収拾つかず。pu ここはスレ立て人が自分で荒らしている不思議なスレです。pupu >>51
森雅之はどこかで、ムイシュキンは自分の柄ではなかったというようなことを言っていた。
それでも、他に演じることの出来る役者が居なかったらしい。玉三郎よりも、原節子に
二役を演じさせたかったね。どちらも、どこか人間離れした美しさがなければならないからね。
ナスターシャの遺体のそばで、ラゴージン(だったか、三船がやった役)とムイシュキンが夜を明かすシーン、
ムイシュキンに変貌した原節子にやって欲しかったな。
俺は原作に耽溺していたもんで、作品冒頭の森雅之を見て
イメージのギャップに耐えきれず、見るのをやめてしまった。
黒澤映画で唯一見ていない映画
森雅之の他作品をみてハマってしまったもんで、そろそろ見なくては
と思ってはいるが あの映画の森雅之は、見ていて、「なんて巧いんだ」と呆れてしまう。
それが弱点かもしれないね、原節子のほうは、突き抜けているから。 森雅之といえば「我が生涯の輝ける日」のヒロポン中毒(だったか?)のアンチャン役が
決まっていたなあ。あれは良かった。相手役はもともと原節子を予定していたんだろう。
何かの事情で、李香蘭もとい山口淑子に変更されたとか。ところで原節子のキスシーンてのは、
ありえたのかな。(笑) 原節子が演っていたら、巻頭の、父親が暗殺される場面の、
「お嬢様演技」が、もう少し、ピシッと決まっていたかもね。
俺はむしろ、李香蘭のナスターシャが、見てみたかったな。
北海道ではなく、北満を舞台にした、戦前の超大作として。
いや、ちょっと厳しいかな。 アグラーヤのほうがいいかも。 >>60
たしかに、黒沢の「白痴」にはどこか満州、ハルピンあたりの感触があるね。
「雪のカーニバル」なんて、あんなもの日本にあるわけ無いよなあ。
李香蘭は「白痴」よりも「復活」が似つかわしいね。彼女は、終戦直後、舞台で森雅之と一緒に
カチューシャ役をやっている! しっかし、いかんせん新劇じゃ彼女の持ち味はでなかったろう。
ミュージカルにすれば、松井須磨子以上のカチューシャとして李香蘭の当たり役になったろうに。
この点は香港の映画人の方がよく分かっていたと思う。
李香蘭の「一夜風流」の挿入曲は、名曲中の名曲として、今に至るまで
東アジア全域で愛されているよ。
女王様信仰の書き込みばかり。
我が青春〜の学生さん達みたい。
歳は取ってもマザコンは治らないね。 女王様て、どういう意味だ(笑) そんな趣味はないんだけれどね。
そういえば「エリザベス」て映画があったなあ。あれは面白かった。
ああいう「女王役」なら、原節子がぴたりかもしれない。 「雪のカーニバル」なんて日本にあるわきゃないと思っていたが、当時の撮影記録を視ると
実際にさういふものがあったらしい。ただ撮影の時には本物のカーニバルが終わった後だったので、あらためて雪かきを
して撮影したとのこと。ちなみに、映画に出てくる張りぼてを置いたら氷が割れて大変だったらしい。
撮影時には野次馬が5万人も集まって大変だったとあった。 第一回の雪祭りじゃなかったかな。
しかし、やっぱり、北海道というよりは、ハルピンだよなぁ。
だいたい、黒澤という人は、『暴走機関車』の企画にしても、
シナリオの『敵中横断三百里』とか、『消えた中隊』にしても、
意外なほど、満洲にこだわっているところがあるんだよねぇ。
その発展形として、『デルス・ウザーラ』を位置づけるならば、
『白痴』は、北海道で「妥協」したんじゃないか、とも思えるね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています