人生の表舞台から立ち去り方の「あざやかさ」で「伝説」となったスターがいます。
「山口百恵」でございます。その絶頂期における突然の「結婚」そして引退表明は
「謎」とされ、その真相をめぐっては当時さまざまな憶測を呼びました。

所属プロダクションとの不仲説。人気の限界説。夫、三浦友和の「異常な嫉妬」
と諸説かしましいのでございましたが、そのなかで説得力を持って語られたのが
「大信田礼子の呪い」でございます。

「大信田礼子の呪い」とはいかなるものであったでありましょうか。

1974年大信田礼子は作曲家の都倉俊一と「結婚」しました。
前年山口百恵も映画「としごろ」で芸能界デニューを致しました。
映画と同時に同名の曲「としごろ」で山口百恵は歌手デビューも果たしております。
その曲を「作曲」したのが都倉俊一でした。その後「ひと夏の経験」
など都倉、山口コンビで数多くの「ヒット曲」が生まれております。
そうした関係があって山口百恵は「レッスン」の為、
ヒンパンに新婚の「都倉邸」を訪れていました。
新妻大信田礼子も二人の「芸術活動」に理解を示し、山口百恵が
「レッスン」に来ると用時をつくって外出することを常としていました。

いつものように山口百恵が「レッスン」に訪れたその日も、デパートに
買い物に行く為に大信田礼子は入れ変わるように家をでました。
しばらくして忘れ物をしたことに気がついた大信田礼子は急拠家へと帰りました。
応接室を開けると、そこで素っ裸の汗まみれになってジュウタンの上で「レッスン中」
の「二人」を発見したのでございます。

新妻大信田礼子は夫、都倉俊一に「百恵」と別れるように「懇願」しました。
しかし夫都倉俊一の反応は煮えきらないものでした。
「山口百恵にとって自分は最初の男だから責任をとらなければいけない」
というのが都倉俊一の言い分でした。

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