★何で?映画を撮らないのか?石原プロ★
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日活大スターだった石原裕次郎が1963年に立ち上げた石原プロモーション。 かつては「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」等名作を製作して斜陽だった 日本映画界に一石を投じた。スタープロの中で現在でも渡哲也二代目社長を中心 にテレビでは存在感は相変わらずだが・・1973年「反逆の報酬」以来映画 34年間映画製作から遠ざかってるのは「ある兵士の賭け」の失敗が原因とされて いるが是非、もう一度映画製作を望むんだが果たして・・ 「何で?映画を撮らないのか?石原プロ!」皆さん大いに語りましょう。 http://www.oricon.co.jp/news/2059943/full/ NMB48藤江れいな、石原プロ初制作舞台の密着映画語り手に アイドルグループ・NMB48の藤江れいな(21)が、石原プロダクションが初めて企画制作する舞台『希望のホシ』 (10月10〜18日、東京・北とぴあつつじホール)の稽古期間に密着したドキュメンタリー短編映画『靡く、我々(なびく、われわれ)』のナビゲーターを担当していることがわかった。 監督は『オードリー』『いつかの、玄関たちと、』など制服女子たちを描き続ける勝又悠氏。 勝又監督と藤江は過去に3度、監督と主演としてタッグを組んでおり、今回で4度目。2人は9月上旬からスタートした舞台『希望のホシ』の稽古に現在も密着し、撮影を行っている。 舞台に出演するのは、金児憲史、池田努、宮下裕治、緒月遠麻。 藤江は「実際の舞台稽古を見学させていただいて、皆さんの熱量にとても圧倒されました。この作品に関わらせていただけてすごく光栄です。4度目の勝又監督作品、今から完成が楽しみです!」とコメントを寄せた。 『靡く、我々』の第1弾映像が公式サイトで公開中。10月上旬に第2弾、10月中旬に第3弾を動画サイトで無料配信される。 https://youtu.be/rbi9M_G8_XE >>725 渡哲也の花道にも程遠い、 主演&主題歌:舘ひろし 脚本:柏原寛司 監督:村川透か村田忍の いつもの固定メンバー使って、舘ひろしのPVを制作するレベルだろな。 西部署だか城西署だか知らんけど、 とにかくグラサン刑事(舘ひろし)がショットガンを撃って、 悪党No.2(徳重聡)の乗った車(セドリック)を砕石場の絶壁から落っことし ラスボス(神田正輝)と殴り合った後で、正輝をガバメントで撃ち殺し チョット豪華なプレハブ爆破して人質になってた 女と石原プロの新人君を救い出す。 最後は、遺影の石原裕次郎と渡哲也にブランデーと薔薇の花を供えてオシマイ。 エンディングテーマは舘ひろしがパクった石原裕次郎の曲。 ストーリー途中で、正輝率いる悪一味に殺されるのは 寺尾聰・小野武彦・勝野洋・古手川祐子・酒井法子たちの 過去の石原プロ作品レギュラー出演者。 >>737 映画の前に おそらく奴ら3人は問答無用でクビだろ。 「映画を撮らない」じゃなくて「撮れない」んだよな。 今盛んに宣伝してる4Kうんちゃらも頓挫だろ。 映画は疎か、ドラマすら撮れんし もうホビーショップ同然に落ちぶれてるだろ。 石原プロは公式で正式発表したことは必ず実行する会社。 必ず映画を作ると信じています! まずは、オーディションで良い人材が発掘されることと、 映画の完成までのあらゆる意味での無事と 公開された映画の大ヒットを祈念いたします。 >>741 嫌味にさえなっていない。 せめて、石原プロが、「その言葉が嫌味として受け取られるレベル」くらいまでは立ち直って欲しい。 - というのは嘘で、俺はもう諦めている。 もう誰も期待してないでしょ。 寺尾や峰とか稼ぐようになった離れるのは会社にも問題あるんだろうな >>747 不謹慎なことを言うものではありません。 と、いいつつも、あなたの誕生日が命日になりますように。 昔は浅丘ルリ子や黛ジュンが所属していたのに 今ではたまに女性の応募者があっても門前払いらしいな >>750 あの頃も俳優じゃないけど、 御木〜谷川〜徳重・池田等みたいな存在価値の希薄な 石原プロ所属の門下生歌手が居たらしいよ。 その人、当時としちゃ何かある種凄いようで、 今じゃ適当過ぎるだけの芸名を与えられてた・・・ 神田正輝がデビュー当時に名付けられそうになった「石渡哲次郎」っぽい感じのネーミング 黛ジュンは峰竜太と一緒で、稼いでも稼いでも 自分のギャラに反映されずに、 峰が独立と称して、15年近く和田アキ子に依存しきってるように ある大物歌手のツテでそっちに寝返って石原から逃げたっぽいね。 今TBSでやってる「報道の日2015」の「富士山レーダー建設」で富士山頂の映像が流れてたぞ 徳重聡がパパへ 舘ひろしが暴露「できたよ!」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160203-00000102-nksports-ent 結婚してる事も知らなかった。 デビュー以来15年間、「一度も注目された事ないのに芸能ニュースのネタにはされる」というのが珍妙だ。 この男のファンって、一人でもいた事あったの? >>726 AKBやジャニーズは、だから生き残ってるんじゃないか。 AKBなんか面白いぞ。 護憲派とか演歌好きとかクラシックヲタとか30才近くの落ちこぼれお局とか小学生とか、いろんな女がいる。 一番人気は、ドスケベだと複数の男にバラされた過去があるヤリマンだし。 だから、いろんな話題がある。 石原プロは、徳重が節分の日に豆まきした話題しかない。 石原プロ次世代スター発掘オーディション 第二次選考を通過した40人のウェブ投票開始!! https://next.ishihara-pro.jp/ この際、カーアクションや社会派の実績のある、外部からの強力な才能を持った監督を 招へいしたらいいと思う。長谷川和彦とか。 国会前でデモをやってるSealsの若者たちとか、AKBのメンバーたちとか、メイドカフェでバイトしてる女の子とか、 女性誌の読者モデルとか、若手の人気漫画家とかゲームクリエイターなどに、 片っ端から「石原プロについてどう思いますか?」とだけインタビューして、 それをつなげただけのドキュメンタリーを製作する。 で、今度は、渡哲也や館ひろしを拘束して「時計仕掛けのオレンジ」方式でそのドキュメンタリーを強制的に見せ付けて、 その様子をドキュメンタリーにする。 その2本立てなら、見てみたい。 2ちゃんねる★スマホ版★■掲示板に戻る■全部1-最新50 【男性俳優】裕次郎ハワイ別荘に次世代スターが感激 (デイリースポーツ) [無断転載禁止]©2ch.net 2016年3月3日 石原プロが16年ぶりに開催している「次世代スター発掘オーディション」の4次選考となる米ハワイ合宿が1日(日本時間2日)、ホノルルにある石原裕次郎さんの別荘で開幕した。 別荘が使用されるのは、2004年6月に裕次郎さんの生涯を描いたドラマ「弟」のロケ以来、約12年ぶり。ゆかりの地で大スターの圧倒的スケールを体感させ、新たなスターを発掘につなげる。候補者15人は一様に目を丸くし、気持ちを新たにした。 裕次郎さんが亡くなった1987年以降、ほとんど人が足を踏み入れてこなかった高級別荘地・カイモクにある大邸宅は、「ハレ・カイラニ(天国の家)」と呼ばれる。 さざ波の音が耳をくすぐり、やさしい風が肌をなでる。700坪の敷地にプール、6部屋のベッドルーム、プライベートビーチ…。時価10億円とされる大邸宅に、スター候補生たちは目の色を変えた。 また勝手なことやってますな・・・ 大手のTV局は相手にしてもらえないのかな 小林と仲がいいテロ朝はなんで石原新太郎たたきしてんの? 酒の強さでレジェンド級なのが、石原裕次郎だ。「業界では有名な話ですけどね。 ドラマ『太陽にほえろ』の撮影時、裕次郎さんが座るデカい椅子の下には大きなビールケースが置かれていたんです。 で、ワンカット終わるたび、缶ビールを開けて一気飲み(笑)」(ドラマ関係者)それでも顔色一つ変えず、 カメラが回ると、あのシブい顔でセリフも完璧に言ってのけるのだから、「正直、“この人、化け者だ”と思いました」(前同) 酒の強さでレジェンド級なのが、石原裕次郎だ。「業界では有名な話ですけどね。 ドラマ『太陽にほえろ』の撮影時、裕次郎さんが座るデカい椅子の下には大きなビールケースが置かれていたんです。 で、ワンカット終わるたび、缶ビールを開けて一気飲み(笑)」(ドラマ関係者)それでも顔色一つ変えず、 カメラが回ると、あのシブい顔でセリフも完璧に言ってのけるのだから、「正直、“この人、化け者だ”と思いました」(前同) 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) まあ、裕次郎が稀代の大物だった事は間違いないよ。 日活撮影所の食堂には、廊下側の入口から入った事は一度もなく、 いつも、外に面した窓を飛び越えて入っていたという。 スタジオを出てから、わざわざ食堂の建物に一度入って廊下を歩くのが面倒だったんだろう。 最初の「太陽の季節」の端役出演の時からそうだったというんだから、野放図極まりない。 (それを許してしまう雰囲気が当時の日活撮影所にあったというのも凄いが) で、昼メシ喰いながら、やはりビールを飲んでいたらしい。 まだ学生だったのに。 いまの時代にそのくらいスケールの大きい新人はいるワケないんだから、発掘オーディションなどハナから無意味だ。 居残り俳優のマネージメントと著作権管理だけやってりゃイイんだよ。 >>759 の件を取材した芸能ニュースをワイドショーで見たが、 候補者たちの小粒ぶりは、見てるコッチが情けなるくらいだった。 コマサが消えて、大バーゲンセールの如く過去作品の投げ売りがすさましいね。 やはり封印の元凶はコマサだったんだろう。 しかし、小政は引退後、まったく公の場に出てこない。 病気もあるんだろうけど、 すでにIPの見切りをつけた石野憲助のように過去作品の解説等にもいっさい登場しない。 クーデターで追放されたというのは本当だからなのだろうか? 石原プロとは縁もゆかりもない(と、思われる)熊本に 炊き出しに行くとは驚いた。 新潟県中越地震の時は行かなかったからだ。 これじゃ今後、各地で巨大地震が起きるたびに行かなきゃならないぞ。 ま、被災された方々が一時的にでも元気になってくれれば それが一番だけれども。 ところで今年、制作発表〜クランクインするはずだった映画は来年に延期か? オーディション受賞者のトレーニングに一年費やすそうだから そういうことになるよな。石原プロの刑事アクション映画、 早く観たいんだけどね。 コマサは石原プロ草創期〜全盛期の大功労者ではあるが 停滞期になると一気に老害になってしまったな 北海道小樽市の石原裕次郎記念館は1日、施設の老朽化などのために来年8月末で閉館することを明らかにした。石原裕次郎さん(1934〜87)が出演した映画のフィルムやレコード、衣装など約2万点の展示品の多くは東京都世田谷区の自宅に戻すという 裕次郎が映画に出演したのは75年の「凍河」が最後だが まだ40歳にしてまさかこれが最後の映画になるとは本人も思わなかっただろな。 唯一の松竹作品出演で、珍しいと思うが中村雅俊との絡みが見られる >>766 過去のコンテンツを出し渋ったのはマジで大失敗だったな 西部警察なんかさっさとDVD化してたら お世辞抜きで国内ドラマで最大の売り上げになった可能性があるし 裕次郎を神格化し過ぎたせいで、もはや化石のような存在になった HPに新人3名の写真がUPされてた。 これ本気で4Kアクション映画とか撮れるレベルなのかね。 >>771 何よりもまず大前提として、スポンサーが付かないよ。 石原プロ映画製作委員会なんてのが立ち上がっても、 「幹事社:石原プロ / メンバー:テレビ朝日(だけ) / 特別協賛パートナー:松竹梅、日本興亜損保」 の顔ぶれに決まってる。 神田譲がTBSのスポーツ頂上決戦に出てた。 話変わるが今の石原プロに映画を撮る財源やノウハウがあるとは思えない。 小林さんは10月30日午前8時すぎ、都内の外出先で突然体調を崩し、倒れた。救急車で病院へ搬送されたが亡くなった。 日活ホテルのホテルマン時代、バーでただ飲みした外国人プロレスラーをねじ伏せたことがきっかけで日活撮影所へ異動 出会いは裕次郎さんが所属していた日活の撮影所に勤務していた59年だった。バイタリティーあふれる仕事ぶりが裕次郎さんの目に留まり、65年に石原プロに入社した。 70年公開の映画「ある兵士の賭け」の興行的失敗で経営状況が極めて深刻となった石原プロを立て直したのも功績。裕次郎さんが72年に「太陽にほえろ!」で、それまで軽視していた テレビドラマを制作。小林さんはその成功をヒントに、テレビ界への本格的進出を裕次郎さんに提言した。 「大都会」「西部警察」など制作したドラマを、広告会社を通さずに直接テレビ局にセールスする道筋をつけたり、世間の注目を集める「西部警察」の大掛かりなアクションシーンなどのプロモーション力で石原プロを再建。 80年代には30億円相当の資産を持つ会社に急成長させた。当時を知る関係者は「裕次郎さんの広くて深い人脈をとてもうまく使うことができたのが、彼の才覚」と話している。 84年に裕次郎さんが肝臓がんを患ったときは兄の石原慎太郎元都知事が告知を望んだにもかかわらず断固拒否。その理由を「裕次郎さんは死ぬのが分かっていた。それなら最後まで石原裕次郎でいてほしかった」と周囲に語り、スターとしての裕次郎さんを守り抜いた。 最後の大仕事は09年7月5日の裕次郎さんの二十三回忌。国立競技場内に、裕次郎さんが眠る横浜・総持寺の本堂を再現し、12万人のファンを呼び込む一大イベントを執り行って日本中を驚かせた。 小林さんには回想録を出して欲しかったね。 冥福を祈ります。 金宇さんはお元気かな? また裕次郎さん関連の本を出してほしいです 僕がいつもおかしいと思うのは、視聴率にはビデオリサーチとニールセンの二種類あるけど、 うちの『西部警察』がニールセンでは二十何パーセントいって、ビデオリサーチは十四パーセントとかね。 六とか七とか八とか、めちゃくちゃに違うわけ。 両者の差が一パーセントくらいの差なら ――仕組みはどうあれ―― そうかな、と思わなくもないけど、 六パーセントも八パーセントも違っちゃえば、何百万人ぐらいの差になるわけだ。 そんなもの、信用してられないよ。 これはハッキリとは言えないんだけど、ビデオリサーチは電通だよね。 電通の息のかかっている番組は視聴率が高くなって、そうじゃない番組は低くなるのはしょうがないんだよね。 (中略) だから僕は、ビデオリサーチなんていうのは、電通の息がかかって不公平だと思う。 ※ちなみに、現在ではニールセンは調査を止めてしまった。 出る数字が全般的に低い為、広告主から不評であった為とも言われている・・・。 広告代理店が独占する視聴率調査・・・あなたは信用できますか? 政府機関が独占調査する内閣支持率を信用するような事です。 デイリー新潮 4/19(水) 16:59配信 「今、語っておかないと、これまで40年間、石原プロで勤め上げてきた僕の人生に悔いが残ってしまう」 と語るのは、「石原プロモーション」元常務の仲川幸夫氏(77)である。仲川氏が、設立者・ 石原裕次郎の未亡人であるまき子会長(83)から、配達証明郵便で“クビ”を宣告されたのは3月10日のことだった。 同月30日、石原プロは新役員人事を発表し、渡哲也(75)を「相談取締役」とした。これを知った 仲川氏は、自身の退任に渡が関わっていたと察し、ショックを受けたという。 「僕の退任劇は昨年11月12日、渡さんの自宅で、会社の今後について話したところから始まったと思います」(仲川氏) 以前から会社を畳みたいと公言していた渡は、この日も“会社をまき子さんに返して自由にやってもらえばいい”と こぼし、石原プロを辞めると言い出したという。会社を残したい仲川氏は当然慰留したが、これを機に 渡との関係が悪化。その後、仲川氏の“失言”もあり、渡・まき子会長側との溝は決定的なものになる。 今回の役員人事は、会社を畳むための布石であると仲川氏は断言する。 「僕から直接話を聞かず、この仕打ちは本当にひどい。僕は渡さんを、一生お恨み申し上げます」(同) 石原プロの統括取締役・浅野謙治郎氏は、「渡さんの頭のなかに、解散という選択肢があるのは事実です」と したうえで、仲川氏の退任と解散との関係は否定するが――。 石原ブロさん。 今のフジテレビなら、強引に売り込みかければ 徳重聡くん主演ドラマが実現するかも。 もう昔のやり方に拘っている時ではありません。 バーターで神田くんを。 視聴率は気にせず。どうせ、今や低空飛行の フジテレビですから。 何十年も勤めて退職金0って・・・真っ黒どころかそのものだろ? そういや恒彦が 石原プロは炊き出しの時しか仕事がないみたいな事言ってたな パッタリと仕事が切れて 渡と舘が裕次郎の穀潰しして飢えをしのいでた頃だな。 >>783 退職金は、2011年頃にコマサが専務を辞めさせられるとき、同時に常務を退任してそのときに5000万円もらってるぞ。 その後、常務に戻って6年間働いたが、今回の退任でさらに退職金6000万円を要求してんだよ。 https://www.dailyshincho.jp/article/2017/04260801/?all=1& ;page=3 >小林さんに辞めてもらうには、荒療治が必要で、まき子さんを除く全役員、つまり渡社長、小林専務、常務の僕、取締役の舘ひろしと神田正輝、そして監査役の渡さんの奥様が退任し、 >社員もみな退職する形をとったのです。 >すべての退職者に退職金を支払いましたが、金額が一番多かったのは、辞めてもらわなければならない小林さんの3億円超。 >僕がまき子さんに提示して了承を得ると、入院先に専務を訪ねて伝えました。ご本人は辞めるつもりがなかったようですが、この金額で納得してもらったのです。 >社長だった渡さんにもほぼ同額が支払われ、僕は約5000万円。役員と社員を合わせて退職金の合計は10億円ほどになりました。 >そのうえで、まき子会長の下、僕が実務のトップの常務執行役員になり、社員を再雇用しました。僕は13年から常務取締役に戻り、 >この3月いっぱいまで、石原プロの役員はまき子さんと僕の二人だけでした。 https://www.dailyshincho.jp/article/2017/04260801/?all=1 >その際、『退職慰労金として6000万円をいただけないか』と、まき子さんに伝えてもらうように言いました。 >新体制になってから6年、僕の月給は20万円で、ボーナスを入れても年収320万円。会社に貢献すべく、どの社員よりも少ない報酬でやってきました。 >結果、毎年黒字になったため、僕がいただく何十倍もの金額をまき子さんにお渡ししてきたのです。 >ところが、次に弁護士に会うとゼロ回答。『退職慰労金を支払う理由がありません』とのことでした。最終的には『250万円をお支払いしましょう』と言われましたが、とても納得がいかない。 本来は映画製作会社だが、最後に直接製作に関与したのは40年以上前だし、 裕次郎記念館も閉めちゃうし、稼げる若手もいないし 潔く会社を畳んだほうがいいよな 渡さんは義理堅い性格だから文句言わないだろうけど、俳優として大事な時期にオファー全部断って角刈り団長をやったのは後悔しかないだろうな >>787 ほぼ同意だが しかし、落ち目の石原プロに加わっていなかったら、それはそれで後悔の念が残ったと思う 裕次郎没時に円満解散出来ていれば、ベストに近かったと思うのだが・・・ 北海道・小樽の石原裕次郎記念館が8月31日に閉館。 同館を訪れるメモリアルツアー「石原裕次郎伝説の旅 fin in 小樽」の受付が、本日5月12日の13時に開始される。 これは、石原プロモーションの協力のもと実施される限定500名のツアー。 記念館の最終日に優先的に入場できるほか、裕次郎の妻・石原まき子との記念撮影会、そして舘ひろしと神田正輝による特別トークショー付きのディナー“The yujiro's晩餐会”に参加が可能となる。 なおディナーではまき子監修のもと、裕次郎が愛した逸品が提供される。 日程は8月30日から9月1日の2泊3日。詳しい条件や応募要項は、特設ページを確認してほしい。 ■石原裕次郎 伝説の旅 fin in 小樽 2017年8月30日(水)〜9月1日(金)※2泊3日 旅行代金:1人につき14万4000円〜(2名1室利用) 食事条件:朝2回、昼1回、夕2回 石原プロモーション様へ。 もし、解散する事があったら、 一つ、アイデアがあります。 ま、石原プロ様の事ですので 言われなくとも、ご承知していると思いますが。 舘ひろしが個人事務所設立し、そこへ 石原プロ側の判断で所属俳優を移籍。 神田正輝さんも個人事務所設立。 これは、舘さんも神田さんも親友ですし年齢も 学年が一つ差があるだけなので、 舘ひろしが社長で神田正輝が副社長はあり得ない。 ですので、あえて別々に個人事務所設立というわけです。 こんな事は言いにくいのですが 事実、石原プロの冠が外れた方が 若手は活躍の場が広がるかと思います。 石原プロモーションという 映画制作会社、芸能プロは消えても 版権管理会社としてこの先何十年も名は残ります。 出来れば、最後に、映画制作( 西部警察劇場版 )し、 大きな打ち上げ花火を、と思います。 以上、失礼いたしました。 いやいや 神田正輝は娘の沙也加を連れてサンミュージックに役員待遇で移籍 渡と舘ひろしは渡瀬恒彦の遺志を尊ぶ意味で東映に移籍 此れがモアベター 残念ながら、もう映画を撮れ無い石原プロです……(泣) 映像作品制作事業からは完全に撤退します。 版権管理会社としては、存続致します。 とりあえず「アクション映画撮る」つってわざわざ今回のオーデイション 開いたんだよな? それが出来ないならせっかく役者になっても何の意味もないんじゃ・・・ 同時期に雨後のタケノコみたいに作られた独立プロでここまで生き残った それで十分だな 三船プロみたいな分裂や勝プロみたいなどんぶり勘定の映画製作をコマサの独裁政治が抑えていたのが大きい コマサが隠居、死んだ途端に独裁時代に抑え込んできた膿が一気に吹き出してきた コマサは石原プロを大きくすることだけを考え、結果裕次郎の寿命を縮め、渡から映画俳優としての可能性を奪った >>32 2017年現在、ゆうたろうも既に過去の人となってしまった…。 裕ちゃんを一個の人間として好きでした。なんて言うのかな。 スターの孤独ってあると思うんです。スターはみなからちやほやされていますが、すごく孤独なものだという気がする。裕ちゃんもそうだった気がします。 スターと役者は違います。スターは人に見られるもの、役者は人を見るものです。喫茶店に入ったときに、壁を向いて顔を見せないのがスター。壁を背にして客を観察するのが役者です。 僕なんかは壁際に座ってそこら中を見回しているっていう仕事でしょ。そうしないと作家なんてできませんから。もちろんスターの 中にもちゃんと観察しようとするスターはいますよ。でも、裕ちゃんは人に見られちゃうからね。裕ちゃんには最後に文芸作品を撮らせたかったなぁ テレビドラマの場合はとくに、作品を監督や脚本家のものにしたくない、テレビ局のものにしたいから、わざと各話で違った監督、脚本家を使う。 昔は石原プロダクション、勝プロダクションといった制作会社がドラマの権利を持っていた。 今は、制作会社は単なる下請けで、権利は全てテレビ局が持っている。テレビ局の力がどんどん強くなって、指示通りに従わないと下請けから外される」 監督、脚本家の作家性が消され、組織の人間であるテレビ局員たちがコントロールしやすい無難なドラマばかりになる――。 「渡さんは肺気腫を抱えており、普段の生活では酸素呼吸器の力を借りています。 ストレッチやスクワットといったリハビリも行っているのですが、調子が悪いと散歩のための外出すらできない日もあるそうです」(別の芸能関係者) . その渡が2年ぶりに公の取材に応じたのが、CM撮影当日のことだった。渡は吉永を見やって、次のように冗談めかしていた。 . 「元気になったら、最後の1本は吉永さんとご一緒したいなと思います。大ラブシーンがあるのを」 . 渡と吉永は、1966年の『愛と死の記録』を皮切りに、これまで9作の映画で共演を果たしている。もし実現できれば吉永との記念すべき「10作目」となり、渡にとっては悲願だという。 . 「冗談ではなくもう一度映画をつくりたいという思いは強いと思います。それも、倉本聰さん(82才)脚本の作品というものです。これは石原裕次郎さん(享年52)が存命の頃から構想されていた超大作です」( いろいろと役に立つ副業情報ドットコム 少しでも多くの方の役に立ちたいです グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』 KSVDQ いまにも雨が降りだしそうな曇天の下、東京の下町にある商店街の理容室に、一台の車が止まった。開いたドアから現れたのは、俳優・渡哲也(76)。運転手に支えられるようにして、 理容室に入っていく渡は右手で紺色のバッグを持っており、その中から半透明のチューブが彼の鼻へと伸びていた。 本誌が渡を理容室で目撃したのは5月上旬だったが、実はそれに先だち、編集部にはある広告代理店関係者からこんな証言がもたらされていたのだ。 「4月に東京都心の寿司店で、渡さんをお見かけしました。私が驚いたのは、渡さんが以前より痩せていたことと、酸素吸入器を鼻につけたまま、ご来店したことでした」 2人は結婚を視野に入れて密かに交際を継続していたが、当時の芸能界ではトップスター同士の恋愛はご法度だったため、駆け落ち同然でアメリカへ婚前旅行へ行ってしまう。 なぜ裕次郎さんは、クビを覚悟してアメリカ婚前旅行を決断したのか。 「周りのスタッフさんたちは認めてくれましたが、会社が認めなかったんです。私もその時は、会社が反対していることはいけないことというのは常識で分かっていましたから。でも、どちらを選ぶかとなったら裕次郎さんを選ぶ。 会社に抵抗して実力行使です。そうしたら社長から『結婚を許す、帰ってらっしゃい』と。帰ったらまた飛行場が大騒ぎですよ」(石原まき子さん、以下同) 帰国した2人を約200名の報道陣が待ち構え、2人は謝罪会見を行った。これが日本で初めての謝罪会見だと言われている。 そして、2か月後には結婚を発表。 まき子さんは女優業を引退し、家庭に入って裕次郎さんを支えることを決断した。 普通の旦那さんとしていてくれたというが、結婚する時にある約束をしたという。 「ネオン街が嫌いな人じゃありませんから。キレイどころ大好きな人ですから。結婚する時に約束があるんですよ。『お酒は飲みます』『お友達は家へたくさん来ます』『ネオン街から足は洗いません』それに慣れないとダメなんです」 能人の被災地支援の動きがゾクゾク報じられるなか、アノ軍団の名が見当たらない。炊き出しといえば元祖の「石原プロモーション」である。 2年前の熊本地震の際には舘ひろし(68)や神田正輝(67)らが赴き、カレーや豚汁、しょうが焼き、おしるこなどを振る舞っていたが、今回は行かないの? 「実は事情がありまして……」と話すのは、石原プロの広報担当者だ。 「昨年8月末に小樽にあった石原裕次郎記念館を閉館したのですが、同じ敷地内に100坪程度の倉庫も所有していたんです。 その倉庫に炊き出し用具を保管していたのですが、閉館に伴い、それらすべてを処分してしまったんです」 毎度、遠路はるばる小樽からキャラバンしていたとは驚きだが、「道具に加えて、スタッフの人員不足や年齢的なものもあって、なかなか難しいんです」。 とても簡単な在宅ワーク儲かる方法 暇な人は見てみるといいかもしれません いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね PXJ 渡哲也さん、肺気腫の特効薬が開発されないものだろうか。いくらなんでも悲しすぎる。 がんに次ぐ死因第2位!「恐怖の心臓病に効く」ミラクル食材 2018.10.31 06:30 公開 がんの恐ろしさがよく報じられるが、実は同じくらい怖いのが心臓病。命を奪う重大病を防ぐ食べ物を調査!…... がんに次ぐ死因第2位!「恐怖の心臓病に効く」ミラクル食材の続きを読む 続きを読む 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 黒部の太陽って基本が穴掘るだけの物語だから仕方ないけどビックリするくらい退屈な映画だよな 時々家族の物語が挟み込まれるけどこれまた退屈な話を無理矢理膨らましているだけだから眠気こらえるのが一苦労 結局のところ豪華な企業PR映画でしかないと思う >>818 育てられないのになんで採用すんのかとか、コマサ時代の弊害は色々あるにせよ、本人が亡くなってるのにFC会員募集し続けて、何もしない事務所よりはましな方。 https://news.nicovideo.jp/watch/nw5139739 石原プロが年内解散報道 記念館は閉鎖、“21世紀の石原裕次郎”はどうなった? 2019/04/11 23:00リアルライブ 週刊大衆のオフィシャルサイト「日刊大衆」が老舗の芸能プロ・映画製作会社の「石原プロモーション」が近日中に解散するのではないか、と報じている。 石原プロモーションは昭和の大スター・石原裕次郎が1963年に設立した個人事務所で、石原の主演映画を製作。 後に渡哲也、舘ひろし、神田正輝ら石原を慕う俳優たちが集まり、芸能プロダクションとして再スタートを切った。 1987年に石原が亡くなった後も、渡哲也や石原の妻である石原まき子が中心となり、会社を経営している。 所属俳優はそれぞれ別の芸能事務所に所属する見通しで、年内には何かしらの発表があるのではないかとされている。 さて、日刊大衆によると、石原プロは長年闘病生活を送っている渡哲也の健康問題のほか、石原夫人の高齢化などもあり、お互いの体力があるうちに店じまいを決意した、 とされているが、上記以外にも抱えている原因は多数ありそうだ。 現在、石原プロは渡哲也、神田正輝、舘ひろしらベテランをはじめ、 徳重聡、宮下裕治、池田努ら「21世紀の石原裕次郎を探せ!」および「石原プロ次世代スター発掘オーディション」で選ばれた俳優ら9人で構成されている。 しかしながら「裕次郎を探せ」も「発掘オーディション」もテレビを巻き込み大々的に取り組んだにもかかわらず、スターを育てることができず「先細りでは」と心配されていた。 また、石原プロはもともと映画やテレビドラマの制作プロとしてスタートを切ったものの、ドラマ業界そのものが斜陽化。 「石原プロの大番頭」として有名だった名物専務・小林正彦氏(2016年に死去)の引退もあり、2008年以降はドラマを制作していなかった。 また、そもそも石原プロの原点である石原裕次郎の姿をリアルタイムで見たことがあるファンも減少。 北海道・小樽市にあった「石原裕次郎記念館」も2017年に閉鎖するなど、暗いニュースが相次いでいた。 実は抱えていた事業の多くが「軽量化」していた石原プロモーション。新元号とともに解散するのも時代の流れとして、仕方ないのかもしれない。 石原と渡を印籠代わりにしなけりゃ 神田も舘もみんな何も出来ない連中ばかりだから 独立しようが移籍しようが、これまで通りやっていけないのは明確。 渡哲也 石原軍団解散へ…決断の背景に俳優の高齢化と体調問題 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6320463 「渡哲也さんが、ついに俳優引退と、石原プロモーションの幕引きを決断したのです」 そう語ったのは石原プロの関係者だった。 「以前から“高齢化”は問題視されていました。現在、代表取締役会長を務めている石原まき子さんが85歳、 そして渡さんが77歳。渡さんが辞任してから8年になりますが、社長職は空席のまま。それは、まき子さんの 『後継者が決まるまでは、社長の席は空けたままにしましょう』というご意向があったからです。 しかし結局、裕次郎さん、渡さんの跡を継いで“三代目社長”に名乗りを挙げる人材は現れなかったのです」 「実はこの4月に幕引きを発表する予定だったのですが、移籍先がまだ決まっていない若手の所属タレントたち もおり、資産の整理もまだめどが立っておらず、公式発表はとりあえず延期することになりました」 「石原プロを“自分の目が黒いうちにきれいに終わらせる”というのは、渡さんにとって長年の悲願でも ありました。つまりほかの“スタープロダクション”のようにはしたくない、ということです」 「渡さんとしては倒産とか分裂とかで、石原裕次郎の名前を汚したくない。それが彼の美学なんです。 社長ではありませんが、渡さんが決定したとなればほかの社員たちも従います。幕引きを急いでいるのは、 渡さんが自分の体調に自信を持てなくなっているからなのでしょうね」(前出・元幹部社員) 渡は“20年までには石原プロの資産を、まき子さんにお戻しする”と、知人に語っているという。 神田は感謝しなきゃならない立場だろ?wwwwwwww 新人オーディション4K映画とはいったいなんだったのだろうか!? 石原プロのサイト見に行ったら40代以下のプロフにスリーサイズあって興奮した どういう事なんです? 「今年は映画を撮ります」 「今年こそ映画を撮ります」とか 渡、舘、石原まき子が かわるがわる散々毎年のように言い続けきて 「もう映画製作できません」ってザマだからな。 >>787 ただ渡が『大都会』⇒『西部警察』に専念していた76〜84年頃は日本映画がいよいよ ボロボロになっていた時代だし、、角川やキティだって所詮は客観的にはそうした沈滞を 動かせなかったからね(「動かした」と思っている人が多いがそれは幻想) 大物俳優だって結局はみんなTVに出てたし(高倉健を除く。健さんも倉本聰の『あにき』 には付き合った) むしろ映画界から距離を置いて「石原軍団の渡哲也」キャラに専念したお陰で生き残れ た面はあった様に思うが、、 俳優女優にとって名刺代わりの「当たり役」はあった方がいいのだろうか? それとも「そのイメージで固定されて違うキャラを演じにくくなる」から避けた方が いいのだろうか? 、、難しい処だな、、 渡も『西部警察』の後番組『私鉄沿線97分署』ではまたキャラチェンジしてたもんな、、 >>828 「石原プロの映画制作」については倉本聰が言ってる事が全てだと思う。 https://dot.asahi.com/wa/2017071300079.html?page=2 >当時、裕ちゃんが入院していた慶応病院の特別室の応接間で話したんですが、 >すでに相当悪くなっていたんでしょうね。 >病室を出てから渡(哲也)が追いかけてきて、「ちょっと飲みましょう」と言うんです。 >そのとき、実際は裕ちゃんは今、とても映画ができる状態ではないと明かされました。 >それでも裕ちゃんに生きがいを持たすべく映画をつくるという姿勢を示すために僕が >頼まれちゃったらしいんです。「言わなくてすみませんでした」と渡に謝られて、 >「それならそれでいいよ」で終わりました。渡たちの気持ちにも搏たれましたしね。 、、裕次郎晩年の頃から「石原プロの映画制作」は石原プロ一派の結束を固める為の 「共同幻想」でしかなかったんだよ。その惰性が裕次郎没後も延々と続いただけ。 、、ま、『黒部の太陽』などをやっていた頃も「配給興行を押さえているメジャー映画会社との 駆け引き」「企業スポンサー筋との交渉(出資額や前売の買取額などの調整)」と「労多くして 益少なし(むしろ持ち出しばかり)」で疲弊するだけだったし、、 結局はTVやった方がラクだったわけで。スポンサー・局から予算を引き出して足りない分は タイアップで埋めて、あくまでその枠内でやれば黒字になる(但し勝新などはTVでも この部分で持ち出しをやって大赤字を作ってしまったけど、、) そういうトラウマがあるともう映画なんかできないよ。 本音では日本のメジャー三社(東宝・東映・松竹)の外部に損ばかり押し付けてくる 体質にも嫌気が差してただろうし。 後年に渡が東宝の『誘拐』97に出た際も当時の東宝の都合で封切日が変わってコマサ たちが仕込んでいた宣伝のスケジュールがおじゃんになってコマサが激怒したというし、、 、、映画を待望して、結局は映画界に裏切られたのが裕次郎だよ。 裕次郎も内心では「どうせ映画なんか出来はしない」と分かっていたのさ。 分かっていてコマサや渡と「映画やろう」と互いに優しさごっこ・騙されごっこをやっていたんだよ。 >>831 高倉健や日活撮影所がらみの話になるとノコノコ現れて 延々とわめき出す知的障害者な 警視庁捜査第八班 脚本をもっとしっかり練り込んでいれば… あと爆破(火ばかり)と銃撃戦(マズルと銃声が地味過ぎ) ある兵士の賭け ゴリラ この辺りがターニングポイントか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる