【谷崎・市川】〜細雪〜について【佐久間・吉永】
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岸恵子は美しいんだけど、着物だとサバサバな江戸風で上方風のはんなりした感じとはちょっと違う。
山本富士子だとピターっとはまったんだろうな。
古手川もポスト吉永くらいに顔が似てたと思うけど
九州女の気の強さが表情に表れてたのが今一つ売れなかったんだと思う。
上方のたおやかで美しい風景より、九州の炭鉱街の気性の荒い美人という感じ。 鯉川筋の画廊とか
魚崎の病院とか
本山とか
北京楼とか
皆神戸です。
自分が神戸の人間だから感覚的にわかるけど
他地域の人にはイメージが浮かばないだろうな。 >>442
今日観てきたけど、プリントが褪色してて残念。面白かったけど、もっとよい状態で観たい
さすが芦屋だけあって、着物のご婦人が多かった。けっこう会場から笑いが起こっていたけど、一番ウケたのはエモやん登場シーン 谷崎潤一郎が晩年、おれんち
の2階で三味線弾いてたんだって。
夫人の買い物の用でついて来てたんだけど
手持無沙汰で。
明治生まれの死んだ婆さんから聞いた話。 冒頭に出てくる家、あれはルナホールの対岸にある家を映したんじゃないかな。
合ってる? 当時の日本の標準からいえば、超モダンで、時代の先端を行っていたにちがいない。「昭和のモダニズム」の尖兵でもあれば、その象徴でもあった。
こういう当時の超モダン、ハイカラな「昭和のモダニズム」に徹底して−いかれた−のが谷崎潤一郎だった
彼の代表作「細雪」は、古い日本を愛着して書かれた作品ではない。彼がその中に住み、生きていた新しい日本にいかれて書いた作品だ。 「春は京都の平安神宮のさくら、秋なら紅葉箕面のもみじ, 魚は明石の前の鯛。 唄なら地歌、踊りやったら山村流
春は京都の花見、夏の蛍狩り、秋は箕面の紅葉見物 今朝、高槻の映画館で見たよ。
満席、60〜70代がほとんど。
DVDで何度も見ていたはずなのに、発見がいくつもあった。
三好のお店の名前が BAR 潤 だったよ。
それと4姉妹が主人公のように長年思い込んでいたけれど、
谷崎を投影した貞之助が本当の主人公なのでは?
原作にはないシーンが、貞之助目線のものが多かったせいかな。
石坂の顔アップが物語の展開を暗示してたし。
そう思えば原作も、貞之助がこう感じる、みたいな書き方だったかな。 北米ブルーレイを観ました。リマスタリングはしてあります。
画像鮮明となっておりますが、色調が全体的に青っぽくなっています ヴィヴィット感がいまいちなようなきがします
DVDだと障子が桜色に染まって見えるのに対し、このBDだと光の色は微かで私には寧ろ紫に近く見える。BDの映像の方が自然だし、
もしDVDの映像がオリジナルに近いとするとそれは多少の誇張を交えた演出ということになる。
ここは細やかな色彩と陰影が観る者を物語の世界に惹き込む決定的に重要な場面なのだから、どちらの光・色が監督の意図を正しく反映しているのか、知りたい 終盤、鶴子と幸子「つくづく思た、姉妹(きょうだい)仲良うせなあかんわ」、ここでいつも館内のご婦人方から、
ため息と「そうやそうや」の相槌が漏れる。 列車の窓から鶴子「今年は京都の花見が出来ひんなあ」(涙) 長女は上流階級のくせにビタミンB1不足になるなんて
どんな食生活しているんだw?
1週間に豚肉の一切れも食べないのか?
もっぱら、漬物で飯を山盛り食ってるのか? 「私は生まれてこのかた京都より東へ行ったことがないんや!」
「今どき何を言う?! 天子様のおられる都やないか!」 貧乏人は具合が悪くなったらうどんを食べて早く寝ることくらいしか出来ませんでしたが、金持ちは自宅でビタミン注射をするとか
日本のブルジョワジー文化は戦争で途切れ、一億総中流となったわけですが、その戦前の金持ちたちの暮らしぶりを垣間見ることができます 「なんやて?私がなんやてェ?」「何にも云うてはらへんがな、こいさん」」
「それもある(怒)!」「それもある?なんちゅう言いぐさや(怒)!」 吉永がむしろ佐久間よりで、古手川とすげえ年離れているってのが信じられないくらい
若く見えた。あの異様な若さは何なんだって思う。
ヘンデルの音楽好きだわ。着物も豪華だし。
演技の下手な吉永に、演技をさせずにただ不気味にぬぼっとさせた市川監督は偉いと思う。 鯉川筋の画廊
北京楼
魚崎の病院
本山
皆すぐにわかる奴はきっすいの神戸人 冒頭のタイトル音楽、ヘンデルの音楽に平安神宮の朱塗りの柱が映っただけで、なぜか感動で
涙が出そうになる。 吉永小百合の役は、原作もあんなに喋りが少ないのかな?
あまり喋らない「謎の人」に市川が演出したのが勝因かな、と
結婚して旦那が浮気なんかしたら、モノも言わずに後ろからブスリのタイプだよねw
女中の目を気にしたりするシーンがいくつか挟まってて面白いな
お春どん、明治のマーブルチョコ宣伝してた女の子だったんだ
知らんかったよ
岸恵子が、妹たちの前と夫の前では違う顔なのが可愛くていいw
パリ暮らしのイメージがあるせいで損してるよな
桂小米朝が古手川に岸部との仲を難詰した後でタバコをねだるシーン
電柱が白っぽいけど、単なるミスか?
昔の電柱ってコールタール仕上げで黒かったけど
電車の中からの風景も、良く見ると現代的だったw 戦前、街中で鉄骨の電柱が普及してたのは意外。
昔の写真。 雪子ちゃんは原作でも「ふん、ふん」としか言わないって設定になっているよ。 >>470
わかる!
>>471
大人になってから見たら、少し頭が足りない人みたいに見えた>雪子 原作は雪子の下痢で終わる。
あれは、結婚が不幸に終わることを意味しているのか、それともその逆か? なぜヘンデルに平安神宮の朱塗りの柱と花見で涙が出るのか?我ながらわからん。
でも何かに感動してるんだ。あえていえば、日本の文化・伝統の素晴らしさ・
日本映画の輝かしきき伝統。滅び行く古き良きものへの愛惜の感情か。それが
ふつふつと胸に湧き上がってくるんだ。 日本の近代文学を代表する作家、谷崎潤一郎が、代表作の「細雪」のモデルになった
妻の松子やその妹に宛てた手紙など、これまで公になっていない288通の手紙があることが分かりました。
このうち妻の妹への手紙には、「創作力の源泉」などと記されていて、専門家は
「2人の女性が谷崎の創作を刺激していたことが分かる極めて貴重な資料だ」と話しています。
手紙は、谷崎潤一郎の養女が保管していたもので、昭和2年から谷崎が亡くなる2年前の昭和38年までに書かれた
合わせて288通で、これまで公になっていませんでした。
このうち184通は、谷崎と妻の松子が交わした手紙でしたが、102通は、松子の妹、重子との手紙で、そのほとんどは谷崎から宛てたものでした。
このうち、昭和26年8月1日に送られた手紙には、重子のことを「自分の生きがいの一つ」で
「創作力の源泉」であり、「精神的の支え」などと記していました。
昭和17年から執筆された谷崎の代表作「細雪」は、松子の4姉妹をモデルに創作された作品で、
なかなかいい見合い相手が見つからない美人の三女「雪子」が重子に当たります。
谷崎は、妻の松子だけでなく、創作の上で重子もモデルにしていたことはこれまでも知られていましたが、
今回の手紙で、重子が谷崎の文学活動を精神面で支える重要な役割を担っていたことが分かります。
また、妻の松子には、結婚前の昭和7年と8年に、結婚を約束する「誓約書」を書いていて、このうち昭和8年の誓約書には、
「忠僕として御奉公申上げ主従の分を守り候」などと記し、松子に尽くしたいという谷崎の強い決意が分かります。
谷崎文学を研究している早稲田大学の千葉俊二教授は「妻の松子のみならず、妹、重子の存在が
谷崎の創作を刺激する重要な役割を担っていたことが、新たな資料で明らかになった。今後、谷崎文学の研究を進めるうえで極めて貴重な資料だ」と話しています 昔、松子がうちの店に服を作りに来てた。
その間、谷崎はうちの二階で三味線弾いてた。
祖母から聞いた話。 ええ?ついに石坂浩二までも…?
まだ若かったのにな。 BS-TBSの放送終了。
何度見てもいいんだが、どこかでデジタルリマスターしてくれないかな?
折角の女優や着物や関西の景色の美しさが勿体無いよ。
そして、伊丹十三はやっぱりいいっ!
もっと役者をやって欲しかったな。 頭の「昭和13年のことである・・・」
あと7年で・・・それを考えながら、この映画を
見ると感慨は深い。戦後、小説「細雪」が発表された
時の読者は、つい10年前にあったはずの平穏な日々
を想起しながら、この作品に接し、失われた日々
を哀惜したに違いない。京都・大阪・神戸の
関西地域の富裕さ、上本町・船場・嵐山・箕面・梅田
岡本といった地名が持つイメージ、すべてがこの映画に
凝縮されて、現代においては、もはや時代劇といっても
よい作品世界だが、こういう生活があったという
ことを知るだけでもこの作品の価値はある。 ↑ほんまやね〜。
嵐山、平安神宮の桜を愛でつつ、
蒔岡家の春の恒例行事をなぞらえてみる。
行き交う人たちが姉妹を振り返って見る風景など想像しながら。 世田谷美術館の「東宝スタジオ展」で市川監督の東京オリンピック等の台本やカット割り、手製の絵コンテ、予告編などが見れるぞ。
他にも黒沢明・成瀬巳喜男・稲垣浩・山中貞雄等そうそうたる監督の台本・カット割り・絵コンテ・手紙・スケッチなどが見れて、相当面白い。 雪子は三十過ぎても独身(処女)なので更年期障害で顔に青い痣みたいなものが
ときどき出るということになっていて、最初の映画化で山根寿子が演じた雪子は
しっかりそのエピソードがあったけど、小百合っぺはきれいなまんまやん。 昭和30年代に阪神間で撮影された大映の映画は誰の監督? 1950年の細雪見たけど
件のと大分違う。
どちらが原作に忠実か? >>494
それだ、島耕二だったのか。
ありがとう。 https://www.youtube.com/watch?v=m7cJJAtdHdA
公開 : 昭和25年(1950年) 5月17日
監督 : 阿部豊 /
花井蘭子、轟夕起子、山根寿子 憲法改悪を謀っている本体は【日本会議カルト=神社本庁】
× 自民党案
○ 日本会議カルト案
【改憲案では政教分離を放棄!】しているため日本会議カルトが支配するカルト宗教国家になる!
【日本会議】
・改憲扇動・戦前美化・希薄な人権意識
・国会議員289名参加
・参加宗教団体
【神社本庁】、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所
キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、新生佛教教団等
・統一教会とは協調関係
【神道政治連盟】
・【神社本庁】の宗教的価値観の政治浸透をはかるために結成
・国会議員289名参加
・日本会議の母体
神社本庁は祭政一致を主張し戦前のようなカルト宗教国家を再現しようとしてる
改憲派議員の国民主権否定、人権無視、戦前美化、軍国志向などの発言を調べると
ことごとく神社本庁の政治主張の丸写しであることに気づく
彼らは神社本庁に洗脳され自分らのやっていることのおかしさが自覚できないので危険 大岡昇平の『酸素』は同時代の1940年の国際政治状況を背景に、「時代と社会全体を動かす力を軍部と想定して、それが個人の運命にかかわることを書く」とした小説でした
谷崎は、船場の上層市民階級のふうぞくと伝統的価値への愛着ゆえに、時代に背を向けてこの逃避の市民生活を書いた。『細雪』に描かれる有名な花見の美しい情景は、
著者のある種の終末観の光によって照らされて一層美しいのだが、その終末観の光が作中人物たちの内部にまで浸透することはなかったのである。こういう『細雪』に大岡昇平は激しく反発する
大岡は谷崎とちがってけっして時代から眼を離さない。じつはすでに基盤が崩壊しはじめている日本の市民社会を描き、危機の上に欺瞞的にあぐらをかいていた
そのありようを告発するというの批評的な姿勢が、明らかにこの『酸素』という社会小説を貫いている。> 警察による税金を使ったいやがらせ犯罪、集団ストーカー。;犯行内容
盗聴、盗撮、尾行、待ち伏せ、家宅侵入、窃盗、器物破損、風評のばらまき、就職妨害、リストラ工作、
暴走族や暴走大型車両による騒音攻撃の繰り返し、住居周辺での事件のでっちあげ、音声送信の強要、
電磁波による触覚攻撃、思考盗聴、無言電話、無実の人間を犯人にでっち上げ、ヘリによる威嚇、殺人、
メディアを使ってのほのめかし、パソコン遠隔操作で対象者のパソコン内部データをいじくる。
こういった犯罪組織に人を逮捕する権限をあたえているという、今の日本は恐ろしい国になっている。 >>485,>>486
「おとうと」でおカマっぽい工員やっててわろたw
「読んでくれました?僕のレター」wwww 他スレをコピー
崔洋一「日本人の少女を口説くときは第二次世界大戦ネタで落とせ」
かつて、在日朝鮮人活動家たちによる<日本女性レイプ事件>が多発した時代があった。
1960〜1970年代、反日政治運動の陰で起きていた『闇のレイプ事件』である。
『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の談義が掲載されていた。
崔「一時流行ったんだな。日本人少女を口説く時は日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」
鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」
梁「男の風上にもおけんなあ」
崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)」
映画監督の崔洋一は笑っているが、笑い事ではないのである。
朝鮮問題に関わる政治運動をしている日本人女性たちが、
朝鮮人と二人きりになった時にレイプされるという事件が少なくなかったのである。
そして、彼女たちは「反日・反体制意識」を持っていたがゆえに、
警察に通報することもなく泣き寝入りした。
当時、団体内でフリーセックスが流行っていると思われていたが、
実態は在日朝鮮人活動家による日本女性の強姦であった。
「我々は人権を重んじる」 と自ら主張していた在日朝鮮人たちが、何故そんなことをするのか。
日本の女性活動家たちが在日朝鮮人の男性に対して、なぜ警戒心を無くしてしまったのか。
昔はそういう時代であったのである。 【大阪】日本人になりすまし不正旅券取得、韓国籍で飲食店店員の
崔海順(チェヘスン)容疑者(49)を旅券法違反などで逮捕
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1423802569/l50 BSのみた。
仲介人の女性が「私なんか女で一つで娘を大学まで入れて〜」ってセリフ、
時代考証されてないよね?
戦前は普通のルートで女子が大学に行くことはできなかったはず。 離婚再婚繰り返す女は母親より女に重きを置いてるからな
相手が何歳だろうと男は好き、女はライバル >>525
井谷夫人の娘のミツコは、原作で日本女子大卒と書かれていますよ
学制上は大学ではなく女子専門学校ですが、日本女子大・東京女子大・津田塾は当時の女子教育機関の最高峰です >>527
井谷夫人は弟を帝大医学部、娘を目白の女子大→原作 にやってるのはかなりのやり手ですね
井谷夫人が自分の想い人が同居の妹に固執してるのを見て、妹の好きそうな男を紹介しまくってるのがなんとも
ゆっこちゃんがちゃんとそこら辺見てるのもなあ 井谷夫人のとってつけたようなお上品ぶりとすべてを飲み込んでその夫人に頭を下げる幸子
その微妙な関係とやり取りが良かった 吉永小百合があまり綺麗に撮ってもらっていないように思う
爪切ってるところとか、ところどころは美しいけれど、
大方の場面で肌はボロボロ、眉毛はゲジゲジで日本美人の感じがしない
雪子の、はっきり主張しないくせに結局自分の思い通りにする、
美人でなければ許されないような我のつよさも感じられない お花見の時の妙子の黄色の着物、お見合いの付き添いの時の鶴子の緑の着物がステキだった〜
羽織の丈は今より長めなんだね 着物ステキでしたね
あと、妙に気になるのが岸恵子さんの唇の輪郭を大きくはみ出して塗られた口紅
演じているとき以外、ふだんからもうずっと現在に至るまであのメイクだと思うのですが、
びよーんと伸びるあの唇は鶴子ではなく岸恵子そのものを思わせてしまう
でも、ま、いいか、とも思ってしまうんだなあ きれいだから 鶴子と幸子の既婚女性らしいゆったりした着物の着方がすてきだった
しかし4人姉妹のひとりひとりにあれだけのお支度ができたってすごい裕福な商家だったんだね
戦争前のずいぶん早い時期に没落しちゃったんだね >>532
逆だね、昔の方が羽織の丈は短かった、お尻が隠れる程度
戦前まではそうだった、戦後いつごろから長くなったのか知らないが
今は、男女とも膝が隠れるくらいの丈が普通、見た目がいいのと、温かい >>534
昭和恐慌やら満州事変やらで得意先が激減したんやろね 幸子が 妹と自分の主人がキスしてると勘違いして 怒りにまかせてキウイを握りつぶして食べる場面があるんだけど あの時代にキウイってあったのかなあ >>538 検索してみたら、キウイは1964年に日本に入ってきて1970年代から国内で栽培されるようになった、
とありました これを信じるなら、「細雪」の頃にキウイは日本には存在しなかったんでしょうね
でも、上のほうで誰かも言っていたように、時代考証の正しさよりも
女の握力で握りつぶせるほどやわらかく、美しいエメラルドグリーンの果肉のキウイを使って
あのシーンを印象深くするほうを重視したんだと思います
キウイの仲間のサルナシなら日本にも山のなどに自生しているけど、キウイよりも小ぶりです ↑ありがとうございます
今44歳の私が 11才の時に祖父のお葬式の果物籠にキウイが入っていて その時に初めてキウイを見たんです 今まで何度も細雪見てますが さっき初めてこの事に気付いて ちょっとビックリして巻き戻しして確認しました(笑)茶色い外皮はキウイそのものでした 友人の母親が、「女優の着物の着方がだらしない。正確ではない」と言っていました。
洋服みたいな着こなしとのことか。
もしかしたらキウイと同様、監督は、時代考証などを気にせずに演出する方なのかもしれないね。
戦艦大和でも仲代の敬礼は陸軍式だとか書いている人がいたよね。 着物については詳しくないけど当時の人でも常にきっちりとした着こなしをするとは限らないのでは?
ほとんど家の中だし 自分も以前から、戦前からキウイってあったの?と観るたびに疑問に思ってました。確かにキュウリとかだと品に欠けちゃうな〜。
回答ありがとうございます! 新東宝も大映も見たんだが、市川崑のは見る機会が無い。
今回の新文芸坐も都合でいけないわ。 非力な幸子が握りつぶせるものってなんだろう、と考えた
桃は大きすぎるし、中心に硬い種がある 皮も果肉もきれいではあるけれど鮮やかさには欠ける
トマトは野菜寄りだし、飛び散りすぎてスプラッタになり、優雅ではない
みかんはそもそも皮が邪魔だし、果汁も多く、果物としては家庭的にすぎる
キウイなら女の手のうちに納まり、柔らかさも果肉の色の鮮やかさも〇
エキゾチックで、どことなくエロチックでもある
これくらいしか思いつかなかったっす ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています