【立派な】ミンボーの女【恐喝だぞ】
あの右翼の街宣車が流していた音楽って、本場のトルコ行進曲でしょう。
やっぱ著作権とかあるから、ああいう版権のない音楽にしたのかな。 伊丹十三ってのも不思議な人間だなあ
エッセイなんか読んでも、この映画やスーパーの女みたいな世界観とは対極にいる感じがするが…
すごくスノッブな割には、こういう映画作るんだなあ。
いや、別に好きだけどね 反社会勢力の対処法やスーパーの裏側なんて散々、各メディアで取り上げてる素材を映画にするって事で何が出るか期待したけどね、ありきたりで驚いた。
狙いだったのかな >>230
本多俊之作曲
公開当時、本人が監督に軍歌を作らされたと苦笑していた でも、あれってトルコ行進曲じゃないの?
作曲というよりも編曲じゃないの? 本多のオリジナル
マルサ以降、静かな生活を除き
伊丹全作品が本多俊之の音楽
似てるかパクりかは知らんがね 現実の団体が使うような曲を流すのは
刺激するから、オリジナルでやったんじゃないかな。
本当の軍歌だと、まだ著作権も切れていないからね。トルコ行進曲は
もう版権なんてないからね。作者も不詳だし、ここで使っても問題は
出ないでしょう。楽器を使わずに複数の男性にコーラス。いかにも
右翼の使いそうな音楽だ。 やっぱ東宝なんだから
ここは怪獣大戦争の伊福部マーチだろ 伊丹映画って苦手でマルサ以外はまともに見てなかったけど、初めてミンボー見てマルサ以上に好きになったわ。 スピーカーで「悪魔のごとき!」ってそりゃあんたらだよ、あんたらw この映画、ヤクザ側の演者がみんな楽しくて仕方がないって感じで演じてる。 すべて金目当て
強く弱く、弱きに強い
ヤクザって単純やん 初めて観てるが、ヤクザの因縁の付け方、尼崎のホンジャマカグループがオマージュしてるんだなと思った。
そういえば今日、NHKの未解決事件シリーズでやるな、ホンジャマカグループ。 街宣車のホテルへの嫌がらせのシーンはバカウヨのデモ行進に似ているな レストランの食事に自らゴキブリを入れてクレーム(慰安婦、南京)、
手みやげを持って謝りにいく(河野・村山談話)とそれをネタに
やくざの嫌がらせはさらにエスカレート、さらなるゆすりたかり(アジア女性基金)
まさに慰安婦問題で政治が右往左往してた時期。
1989 土井たか子ブーム、社会党圧勝
1991 朝日新聞、吉田清治の記事掲載
1992 朝日新聞、「軍関与示す証拠」報道
1992 ミンボーの女、公開
1993 河野談話、発表
1995 アジア女性基金
http://www.ianfu.net/history/history.html ホテルのレストランの食材の誤表記問題見てると何が「弱きをくじき・・」
だよって思う。詐欺師だろ。 勇気というか根性という点では伊丹十三が一番だね
伊丹十三にくらべたら黒澤明ですら
映画という様式のなかでちまちまとこねくりまわしていただけ
というように感じてしまう 「ヤクザの前ではみんな誇りを踏みにじられ、屈辱に耐えねばならない。私がヤクザを
許せないのはそこなの。人々を恐怖で支配し、人々に屈辱の人生を強いることなの」
このセリフが秀逸。 ミンボーの女好きな人にとって
大江健三郎「取り替え子」は必読 大江健三郎「日常生活の冒険」も
こちらは若き日の伊丹十三 >>259 それから読みます。
取り替え子wiki見たら、ドラマで「氷点」(三浦綾子)ってあるんですけど。
これも類似作かな。 取り替え子には伊丹十三が自殺の理由が書いてある
日常生活の冒険は伊丹十三の最期を予言するような本である ミンボーの女を作った伊丹十三という人間はどういう人間か
ということが実感としてよくわかる
という意味でおすすめするのが上記の本です 図書館で「日常生活の冒険」を借りてきた。
1日1時間くらいしか読めないが。
しかし文字が小さすぎるな。 「日常生活の冒険」を50ページ読んだ。
時代を感じさせるね。
初版が昭和46年。
この時代は安保闘争ービートルズーフォークシンガー。
あの闘争していた学生が音楽や芸能、マスメディアに方向を変えていった時代。
まさに犀吉が知識をひけらかすが、経験がないから言葉に力がない。
当時の若者をまさしく再現している。
他の学生よろしく映画に転身する様子が伺われる。
モラトリアム、なんでも物事を考え尽くして結論を出す。
しかし、その答えは経験を積むたびに調整される。
政治家で言うと枝野の時代、年代か。
頭でっかちで、マルクス読んですぐに行動する。
赤軍は北朝鮮にそのユートピアを求めた時代。
そんな頃の小説だね。
しかし、この屁理屈の犀吉がどうして「マルサの女」や「スーパーの女」
「ミンボーの女」など。社会派で庶民的な映画を作れたのか疑問だ。 この小説を読んでいると、白昼の死角を思い出す。
東大の学生が会社を作って、やがて落ちぶれていく。
頭でっかちの末路。
今、政治に携わったり官僚でいいポジションにいる
奴らはこの年代なんだよな。 伊丹十三=モラリスト
ってことでしょう
その様子がリアルにわかると思うが つまり伊丹十三の映画はモラリスト的映画である
そもそもこれはこうであるべきだ
という伊丹十三の見識の塊なんじゃないか モラリストもいいけど、結局は義勇軍には行かないで。
小さな日本の映画という世界に収まっちゃう。
若い時の勢いでスエズに行くって考えてたけど。
冷静になれば、熱が冷めれば日常にうもれてしまう
人間なんだよ。 >>269 いや、伊丹に限らずその時代の若者は総じてそうだよ。
結果として、フォークソング、NPO、マスメディア、弁護士に流れた。
フォークソングはさだまさしとか。
マスメディアは筑紫とか。
弁護士は人権擁護派になった。 一種の熱病だったんだよ。
マルクスの資本論読んで感化された。
今で言うネトウヨと同じ状態。 ほとんどの人間が伊丹十三よりもっと低い段階で投げ出すのが普通だと思うが… モラリストというのはそういうのと正反対のような気がするけどね
自分が実際に観察して
本当に心から思ったことだけを書く
だから映画もイデオロギー的なものでなく
具体的で明日から役に立つようなもの
を目指した
面白くてためになる映画
っていうのはそういうことかと やっぱり>>266が正しいね。
自分ができる範囲で冒険(日本を変える)していこうと
映画の世界に入った。
そして、ミンボーやマルサ他が出来上がった。
なるほどね。 伊丹十三が生きてたら
現在どんなテーマの映画をつくるのかなあ… 伊丹十三
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1379635211/
こんなスレ見つけた。
今「「日常生活の冒険」を読んでるけど。
読みづらくてなかなか進まない。
気長に読んでいくよ。
感想は上記スレに書いたほうが良さそうですね。 今、マルサーみんぼースーパーの女、トリックを循環して動画を見てる。 「日常生活の冒険」は読み終えなかったけど図書館に返した。
で、「取り替え子」を借りてきた。
ハードカバー。
読みやすいといいなwww 「取り替え子」 一気に100ページ読んだ。
大江健三郎の文体にも慣れてきた。
俺みたいな俗っぽい人間にはこっちのほうが読みやすい。
それで興味を持ったら「日常生活の冒険」に行くって寸法だな。
十三の自殺にみんな迫ってるね。
俺も読み終えたら感想書くよ。21ページが面白い。
大江の小説が世間から乖離されてる理由は、やっぱ俺の思ったとおりだ。
他にも面白いところがたくさんある。
大物女優の話とか。
ヤクザの話は鬼気迫ってるね。
大江の作家活動、右翼やマスコミに脅される生活なんか。
日本に巣食ってる汚い連中がまだまだいるんだね。
現憲法で生きたくないからって、明治憲法で生きようとする右翼たち。
しかし、戦争で負けた際アメリカに助けてもらった恩はかけらも感じてない。 伊丹十三の本を読んでいるまさに今。
ミス世界一が893に狙われてる。
なんとタイムリーな。 たけしも内向きのどうでもいいような映画ばっかり撮ってないで
伊丹十三路線に舵を切ってほしい
伊丹十三路線ならたけしならなんぼでもテーマがあるだろうに たけしみたいにヤクザや暴力を肯定する映画を作ってる奴は反社会的だよ。 たけしのヤクザ映画といっても毒にも薬にもならんようなマンガでしょう
なによりたけし本人が何を撮っていいかわからなくなったみたいな映画を作っていた
本当は伊丹十三みたいな映画を作りたいんじゃないかな 浅草のストリップ小屋で働いてる池沼が何を撮りたいかなんて考えないだろ。 伊丹さんお気に入りのマサ・インターナショナル
不破万作 伊丹は2作目で創価、3作目で暴力団を批判して殺されたんだよね ヤクザが怖いところは、柳葉みたいなキチガイが実際いるからな。
映画では刺されても助かったけど。 むしろカルトの方が怖い
地下鉄サリンの時乗車してた所がちょっとズレてたら…
でも俺がなにより怖いのはエロカワ系のセクスィーショットのうp 鉄砲玉はカルトの方がコワイな
893は損得で動くせいか同業者には容赦しないらしいがパンピー相手のコロシは損する…ってのも多い こんなスレがあったんやね。
某牛丼屋のスレからやって来ました。
ヨロ。 まひるさんはどうしてヤクザが怖くないんですか?
ヤクザは暴力を振るわないと知っているからよ
そんなバカな
ヤクザは暴力はふるわないのよ
ふるいたくてもふるえないのよ
というようなやり取りがあるけれど
結局まひるは刺されるので
観客としては
やっぱりヤクザは暴力をふるうんだなあ
という感想になる
これは矛盾であって
映画として何が言いたいのかわからんようになっとるね 私の言うとおりしていれば
ヤクザを追っ払うことができます!
という人が刺されるのだから
やっぱりあんたの言うこと聞いてたらダメじゃないか!
となる 井上まひる(監督の伊丹十三)はヤクザの存在自体は否定していなかったと思うんですよね。
ブランコのシーンの台詞なんかそうでしょ。
伊丹を襲った人たちはチョイと早とちりだったんじゃないかな。 ガキっぽい理屈乙
あの場面って、いくらやれない立場だろうが、ここまでコケにされたら命狙うぞ、っていう立場じゃん
映画論、語れ無さすぎ だから、あんまり本職煽るなよ、ともとれるワケ
脳ミソ脳筋のバカはずっと理解出来ないだろうね シナリオが破綻していますな
何が言いたいのかわからんようなっとる ヤクザは暴力はふるわないのよ!
ふるいたくてもふるえないのよ!
↓
ヤクザに刺されて瀕死の重傷
↓
観客「?」 この感性
答えが一つの人間には映画見ても判らない感性らしいw まあ、伊丹映画みても理解出来ない残念な脳ミソまでは理解できた 「えっ?
ヤクザはまず絶対といっていいほど暴力をふるわないのよ!
ってついさっき言ってたよね???」
観客の声 「下っ端だと血気盛んな奴はいるよ」くらいの意味に感じた。 柳葉敏郎が初めて登場するシーン
リンカーンから降りてきた我王銀次
おう若杉ワレに話があるんじゃ
私は弁護士です!これからは私を通してください
なんやと?なんで弁護士が立つんじゃ!弁護士たのんだんお前か?
みたいな会話あるけど
なんか前後関係がおかしくないか?
その前の街宣車のシーンで
井上まひる弁護士先生
あなたの命を狙うものがいますよ
気をつけて下さいね
と我王銀次が演説している
途中でシナリオを書き換えたのかな? >>314 >>315
自分はあなたの言ってることがわかんない、まじで。
その「?」 て何なんですか。 書いてる人間がその観客設定なんだろ
もう構うな
伊丹映画を見るレベルに無い、低脳までは理解できたけどなwww 私がヤクザを怖がらないのは
連中が決して暴力をふるわないことを知ってるからよ
ブスッ!
観客「ポカーン」 「たとえ刺されてもヤクザに負けたらイカン!」
伊丹十三が映画「ミンボーの女」で言いたかったこと 間違いをしないロボットやコンピューターならいざ知らず、生身の人間の
言った通りにならないたんびに驚いてたら年がら年中驚いてなきゃいかんな 伊丹さんは、結果、自らが生み出したこの映画によって命を縮めてしまったな。
ケンカを売った相手が悪すぎた。 伊丹さん惜しいよね
生きてれば時代風刺をリアルかつ面白愉快に4コマ漫画的展開な映画で楽しませてくれたのにと。