古い邦画好き、最近のはつまらないと思う奴って
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え〜い、しゃらくせい。中だし一発だ!
哲也『最高です兄貴!』
宝田明『お〜い、由里子ちゃん。俺の顔射受けてくれるかい?ムフフ』
星由里子『(男って物好きね)いいわよ』
宝田明『まあ、放尿顔射だがね』
由里子『馬鹿死ね!』 長澤とか沢尻とかガキくせえのがたくさん出てきてウンザリしている
懐かしい邦画好きは浅草名画座〜阿佐ヶ谷ラピュタ〜池袋文芸座へと流れる
今の映画に見切りをつけて
アディオス!現代映画 「百万両の壺」の1935年と2004年のを見るとはっきりした。
ああ役者が違うんだなって 3さんに同意!いやになったよ。レンタルビデオ借りにいっても、新作コーナーなんか、タイトルはすごく良いけど、出演者が!ガキばっか!もう観る気なくなるんだよ!どうにかしてくれ、ちゃんとした女優、男優、使ってくれ! ガキってくくり方してる時点で物をまともに見れてるかどうか怪しい 若手の俳優は確かにイマイチなのは多いけど、蒼井優がいるから大丈夫。
彼女一人の才能であと数十年は間違いなくお腹一杯になれる。 80年代のほうがひどかった。
名のある監督たちでもまともな作品が撮れなかった時代だったと思う。 しかしこんな糞スレでも立てたのは50代以上、おそらく団塊世代のオヤジなんだろうな。
そう考えると情けなくなるな。
邦画は、今も昔も同じような顔ぶれでローテーションしてるけど、
昔の役者のほうが脇にいたるまでしっかり演技の基礎を学んでいる。
今の邦画の弱さはそんなとこにもあるんでないか? 役者の質もそうだけど、マンガやアニメの影響も大きいと思う。
劇画的というか、マンガ的なコマ割りに見られるアップの多用と大雑把な
(いい意味でいえばスピーディーな)展開、全体のオーバーアクション等。
マンガで育ち、こよなく愛する人達がアニメを作り、テレビドラマの現場で
実写に再現する。これらを見て育った世代がまた現場で再現発展させる。
こうして多量生産されて様式が複製化されることで実写とアニメが相互影響し
境界が薄まり、相互依存型となる。
アニメにとっては質の向上と独自世界の構築をもたらすこととなった。
また、それがゲームに流入し、マンガ・アニメ・ゲームと立体的に世界の認知
を得た。昨今の海外のジャパニメーションブームがそれであり、これが海外で
マトリックスやキルビルのように引用されるまでに到った。
一方、いつの時代においても日常に視点を置き、現実的な人間劇を主とする実
写にとっては、マンガやアニメのように突飛な世界観は特殊部類である。
こうした世界観に逃げずに真正面から人間性を見据え、人間描写に長けた
作り手が相対的に少なくなってきているのもあると思う。
非現実的なアニメは若者市場で喜ばれるが、現実的な人間ドラマは、自身が経
験未熟な若者に描くことは難しい。また、それを見る若者の目も不安定だ。
つまり実写において、作る側、見る側共に成熟していないということになる。
こうした現状が、人間を見据えて人間ドラマを作っていた黄金時代と比べて
稚拙に見え、さらに演じる側のプロ意識の薄い役者を含めて相対的に質の低下を
誘引しているのだと思う。
さらに、昔の邦画でも乱作されたゆえに、現代で見る昔の邦画は時代に選択さ
れてきた高品質のものが多い。
常日頃から、こうしたものを見慣れているここの住人からしたら、現代の稚拙さを
見抜くのは到って容易なはずだ。
現代の無数の幕下力士では、歴戦を勝ち抜いてきた大関・横綱には勝ち目はないのだ。
いくら嘆いても、そもそも比べる方が酷であるといえよう。
また、過去の人間ドラマの現場の人から見たら現代のある意味ポップさは
斬新に見えると思うし、現代のポップさに飽き足らない人が過去の真面目な
人間ドラマを見て新鮮に思うのは同じことだと思う。
つまり、歴史学的に見て、現代がそうした良くも悪くもポップな意識で充満
された時代なんだと思う。
数十年をスパンとする「時代の気分」という潮流の中で、今後は「現代の揺れ」の
リバンドがくるのではないかと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています