小津安二郎『麦秋』
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
小津安二郎と笠智衆は、1歳違いなのか。でも、ずっと笠さんは先生と呼んでいるね。 淡島千景が、佐野周二を怒るよね。
あれはセクハラか。 昭和20年代の20代の女性は、お見合いが多いイメージ。付き合ってなければ、普通は処女かな。紀子は、やはり結婚するまでは許さないタイプかな。それは不明だなあ。 11月3日(日) 茅ヶ崎市立図書館。「麦秋」上映予定。茅ヶ崎は小津映画と関係が深い。原節子と三宅邦子の浜辺のシーンは、茅ヶ崎だし。 季節の順序では「晩春」の次が「麦秋」だよねぇ
小津さんは、それから 初秋とか晩秋とか初冬とか作らんかった? 早春で前日譚を作って、彼岸花〜秋刀魚の味は秋だろうな
次回作予定だった"大根と人参"は冬野菜だから、ここから冬シリーズが始まったに違いない 小津安二郎は、秋まではつくった。彼は俳句をやっていたから、季語でタイトルをつけるとは。いいかも。でも、黒澤明の「わが青春に悔なし」のタイトルも好きだな。 黒澤明監督はロシア文学がお好きだったの?
文学に表われたロシアの風土に憧憬していらしたみたい 黒澤明はロシア文学は、大好きだね。「白痴」はもちろん、「どんぞこ」など。
「白痴」は、8回くらい読んでいる。 『赤ひげ』の後半(二木てるみのエピソード)はドストエフスキーの『虐げられた人々』。 >>791
「白知」をそんなに読んだのか。読み込んで、いろんなイメージを
作っていたんだろう。
映画の北海道は異郷の風土みたいに思えた。
黒沢の最高傑作の一つだと思うが、公開当時から日本では人気がない。
キャストもよいし、スタッフも良いし。
長すぎるのか? そんなことはないだろう・・・ 俺も好きだな白痴
黒澤は海外原作の現代舞台が一番合ってると思う
それだと海外人気は無かったかもしれないけどさ 白痴は、現在もロシアでは人気がある。黒澤明が、一番力を込めた映画らしい。当初は4時間30分あった。前半、後半の2部構成のはずが、松竹により削られた。でも、現在は日本でも評価は上がってるね。 4時間30分をカット、編集しないで上映してもらいたい。 「みんな、離れ離れになっちゃったけれど、しかしまあ、私たちはいい方だよ」菅井一郎〜父親のセリフ。場面転換か。 「東京物語」の笠智衆と東山千栄子さんの演ずる老夫婦のセリフですね
「そうですよ・・・わたしたちはいい方ですよ」 ↑
老優たちがゆっくりと喋る こういう台詞を聞いていると、映画は台詞が
大事だなと思う。
アメリカ映画、フランス映画もよく観たが、俳優たちのセリフがわかったら
何倍か良い体験が出来ただろうか。 逆にアメリカ人やフランス人が何故小津を評価できるのか不思議だ
独特の言い回しやリズムを理解できてるはずもないのに >>797-799
戦争を経験した人の言葉だね
今の日本人が言っても何の感慨もわかない >>801
日常生活の孤独や利己主義や苦悩の感情は普遍的であると、小津を敬愛する評論家ノエル・シムシロは述べる。彼は言う。「晩年の小津の作品以上に丹念に作り上げられた芸術は存在しません」。 「東京物語」を最初に評価したのは、イギリスだった。1958年に、サザーランド賞を受賞した。これは、小津がイギリスに送った訳ではない。やはり、1970年代に入ってからかな。評価が高くなるのは。黒澤や溝口より遅れたね。 今は小津は、世界の評論家の間ではとても評価が高い。 「麦秋」での原節子の亡き兄は、しょうじという。漢字でかくと、何? >>804
丁寧に作られた映画が、結局、最後は「古典」として
いつまでも残る。
邦画もフランス映画も、ハリウッド映画も全部そうだ。
小津さんの場合、製作に1年もかけたりしているからね。 ノエル・シムシロって検索しても出てこないんだが、実在する人物か? >>808
これは、ノエル・シムソロの誤り。彼は俳優、映画監督、脚本家、映画評論家、作家。彼は2003年小津安二郎生誕100年記念シンポに来日。『国際シンポジウム 小津安二郎』(2004)をみよ。 小津は、確かに戦後は1年に一作品だった。
冬から春かけて野田高梧と酒を飲みながら、茅ヶ崎の旅館(茅ヶ崎館)や蓼科の別荘で脚本を書き、5月くらいから撮影に入り8月から9月くらいで完成。いいな。小津組。原節子ちゃん。 小津さんの映画の質の高さは、そういう時間をかけて熟成
させた成果なんですね
戦後、1940年代〜1960年頃まで作られたハリウッド映画を、最近
時どき観ますけが、実に丁寧に作られているなと思います。
「芸術」はおカネをかけないと出来ません。
映画が娯楽の頂点だった時代で、とうぜんおカネをかけて作っても
儲かる時代だったからですが、やっぱり物質的に豊かな時代に芸術も
栄えるんですね。 映画の黄金期は1950年代であり、巨匠が揃ったたよね。溝口、小津、黒澤、成瀬は巨匠だな。第1次黄金期は1930年代。この頃、映画本数が世界一(戦前)。女優も、田中絹代、原節子、山田五十鈴、高峰秀子ら。今、活躍中の吉永小百合は、やはり格下だね。 木下恵介は国内では、黒澤と同様に評価は高いが、欧州では良くない。途中からTVに行ってしまったしね。昨年、フランスで木下恵介特集があったけど……。 邦画や欧米映画は、1930年代から50年代がいい映画が多かった。映画が監督の者という感じ。監督が予め俳優を決めて脚本も書いていた。最近は、変わってきた。吉永小百合みたいに、女優がキャスティングしたり。まずいと思う。 >>815
スターと云われる俳優は監督たちよりずっと、ずっとカネ持ちだから
資金力でプロデューサーになれる。
自分の主役で自分として、こういう作品を映画化したいという
欲求は誰でもあると思う。 でも、監督はできないな。田中絹代みたいにやる気があれば。吉永小百合はないな。 絹代の映画は欧米でやたら評価されてるな
日本人監督TOP20位には余裕で入りそうだ 監督をやる女優さんは東西の映画界でも多くはないでしょう
仏のジャンヌ・モローとか。
ハリウッドでも男優はいるな。 でも、田中絹代の映画は、撮影助手なんかに任せていたらしいじゃないか。始めは小津安二郎や、成瀬が支援していた。溝口は反対した。頭が悪い女ってにはできませんよ、みたいに。 >>820
田中絹代さんは、あの頃はもうお歳だったし、頭がキレるというタイプ
の人ではなかったけれど人柄は良いし、恐らくスタッフ、キャストの
たちに全面的に協力して貰えたと思いますね。
映画の出来が良ければ万事OKでしょう。 そういえば、黒木瞳も監督したような。ヒットしたかは、定かではないが。
でも、今は女流監督は増えたよ。 「麦秋」は、自然に原節子は演じており、好きなんだ。が、「晩春」は喜怒哀楽が激しい原節子。これも大好きだ。嫉妬で三宅邦子をにらむのは、ちょっと怖いけど。29歳が最も魅力的かもな。 「麦秋」の菅井一郎は、悟ったようで、なんかいいな。原節子の父親だ。別の映画では、原節っちゃんを襲ったりする。悪役が似合う。 菅井一郎は、笠智衆より歳下なんだよな。
戦前から俳優しているが。原節子との共演では、「望楼の決死隊」や「熱風」に出演していた。 小津映画は、始めは景色を必ず写しており。定番だな。最後も景色でおわる。小津の特色だな。意外に好きだね。 「東京暮色」は、テーマはなんだろう。
最後に原節子にいわせている台詞に、子供は両親の元にいた方がいい、といったことかしら。 小津映画のセリフに深い意味はない
ただ登場人物が喋ってるというだけ
その客観性が映画を不朽にしている 安二郎の作品は外人が字幕なしで意味もわからず観るだけでも感動するらしい
逆に、外国語の吹き替え版なんかを作っても面白くもなんともないんだろう >>827
景色は登場人物の心象風景でしょ、
そういう映像的メッセージとして観ないと無意味になるわよ まだ人物紹介もされてない冒頭の景色が誰の心象風景なんだよ 「麦秋」をオマージュした映画がある。
「釣りバカ日誌」15だと。まだ観ていないので、レンタルで借りようと思う。15をみた人がいたら、コメントしてね。恐らく山田洋次らが脚本を書いたから、先輩小津安二郎へのオマージュかも。 「晩春」と「麦秋」では、どちらが好きかい。
俺は両方好きだが、最後は「晩春」かな。 晩春はシンプルだからこそ、壺を一秒足らず映しただけのシーンが未だに論争になるほど奥深いんだよな それはいえる。
あと、「麦秋」ラストシーンで、笠智衆がりんごの皮を剥いて、うなだれる。これを、寝たという人がいることに驚いた。 >>839
あれ? 林檎の皮を向くラストシーンは「晩春」でもあったよ。
「晩春」は、脚本では泣くシーンを想定したが、笠智衆が、それはおかしい
不自然だと意見を述べて、ただ皮を静かに剥くことにしたらしい。
それで良かったなと思う。 小津は何を求めて笠智衆に「声をあげて泣いてください」なんて指示したのかな
そんな事が出来ないのはよく分かってただろうに >>839
りんごの皮をむくのは、「晩春」。「麦秋」は間違いです。失礼しました。 「麦秋」をオマージュしたような映画「釣りバカ日誌15」(2004)をみた。面白かったよ。経営コンサルタントの江角マキコ(早川薫)が辞めて、故郷の秋田に戻り、同級生筧利夫(福本哲夫)と結婚する話。薫は、哲夫の母親(吉行和子)に土産を持って挨拶に行く。 2.哲夫は結婚する相手と破談し、母親は貴女(薫)のような方と結婚してくれたらと、いう。薫は「私のような売れ残りでよかったら」といい、母親は本気にしていいのね、という。高校時代から、20年間哲夫は薫を好きだったらしい。仲人は浜ちゃん夫妻。社長も秋田へいく。 薫と哲夫は38歳だから、紀子より10歳は歳上だけど。秋田に行く前日、社長の妻(奈良岡朋子)はTVで「麦秋」の名場面をみて、「原節子、いいわねー」という。例の杉村春子と原節子の会話をみている。これは小津安二郎へのオマージュでもあるね。 「釣りバカ日誌」は、14作から監督が交代したのか。 >>842
「東京物語」のラストは香川京子の末娘が原節子の次男の嫁が東京へ
帰る列車を見送るシーンだったと記憶している。
その頃、家で一人になった笠智衆の父親が何かやっていなかったかな?
この映画でも、リンゴの皮を剥きだしたと記憶するが、違っていたか? 橋とよのおかみさんに「お寂しいこってすなぁ」と言われて
「独りになると急に日が長ぉなりますわ」
そして肩を落として空気枕をもてあそぶ >>847
笠智衆は、高橋とよに話しかけられる。団扇を仰いでる。
>>849
「晩春」に桂木洋子は出ているよ。 >>850
「東京物語」のラスト、団扇を扇いでいる父親か・・・・全く覚えて
いない、高橋とよの映像も浮かばない。
何十年も前に観た映画だから消えてしまったのかもしれない。
でも、ラストシーンをいつまでも記憶している映画ってありますね。
例えば、「第三の男」では有名なシーン、秋の墓地の道を遠くから歩いて
来る女性(ヴァリ)の顔が手前で消えてしまってから、ホリー(J・コットン)
が煙草を吸う、あれがラスト。そこは忘れていない。
ヒッチの映画も、終わりを覚えている作品は多い。どういう頭の構造
なのだろうか? >>851
「東京物語」のDVDくらい買おうよ。1番の映画だし。「第三の男」のラストシーンは、「山の音」のラストシーンに似てる。原節子と山村聰との。こちらは新宿御苑だが。続く枯れた樹木の群。 麦秋は、子供たちも必ず話題になるよね。
これは小津映画の特徴かな。親に逆らい、弟と家を出てしまう。 子供の使い回しを松竹はしている。小津安二郎も。
黒澤明もやったか。 「麦秋」といえば、やはりガールズトークが好きだなぁ。原節子と淡島千景らの。独身組と結婚組。 ねーえ、 ねーえ、 ねーえ。
ねー。ねーって、おもろいぞ。 奈良から来た伯父さんは、高堂国典は1887年生まれ。明治20年生まれとは。当時64歳か。
我々は生まれてないけど。 小津安二郎が戦後に松竹で撮った多くの映画は、TYが開始される
前の「朝ドラ」みたいだった。
公務員や、通常の企業にお勤めの人たちなど大都市の郊外に住む
裕福ではないが、貧乏でもない普通の家庭の話が小津さんが作った
諸作品だ。
淀川が退屈な会話と言っていた、小津映画のセリフや、平凡な
家庭の出来事を共感しながら日本人は鑑賞した。
それが「小津芸術作品」だった。 淀川に、小津映画は分からないな。
溝口健二は好きだけど。 限界ってがあるからな
小津作品に関してはステレオタイプ的な
解釈の範囲までだな、俺も >>861
小津安二郎の晩年の作品は、大正から昭和初めに続く日本人の典型的な
中間層家庭を描いている。そこの戦後の環境だ。
父親が映画好きで、幼少期から父親とよく映画を観ていたカネ持ちの貿易商
家庭の少年だった淀川長治には全く想像しない家庭だろうね。
淀川は共感が沸かない、だから評価しない、こういうことだ。 淀川長治は、サイレント時代の小津について、なにか言及している? 戦前は、淀川長治は映画雑誌の記者だった。小津の3年連続してキネ旬1位の映画、「生まれてはみたけれど」などを、知っているはずだが。
当時は目立たないかな。少しは書いてると思う。 子供の頃、日曜昼間のテレビで観た
当時は分からなかった 淀川さんの「退屈な会話」がいつ頃の発言なのか知らないけど
そう言いたくなる気持ちもよく解るw
けどまぁ今では小津さんも無形の小津神社で祀られてるみたいに
なってしまってるから、今更淀川さんの評価をお持ち出したところで
何のゆらぎもない訳で、、それもちょっとだけ悲しいかもw 蓮見は淀川長治を嫌いらしい。
蓮見は、小津安二郎の本を書いている。 英国やアメリカで映画関係者たちが選んぶ優れた作品には必ず小津さんの
「東京物語」が選ばれています。
この種のアンケートの結果を複数見ましたから、この作品への高い評価は
時代や国を超えたものです。
どんな家族にも起きる普遍的な内容で、役者の演技も日本の社会を全然
知るらない観客たちにも納得できるものなのでしょう。 「東京物語」「晩春」は普遍的で、世界的評価は高い。その他に、「麦秋」、「生まれてはみたけれど」「秋刀魚の味」〜小津映画。
淀川長治は、育ちが置屋か。小津映画が好きではないな。 淀川さんは小津安二郎の描く家庭には馴染めなかったでしょうな。
明治以降の都会に住む人たち、祖父母は武士も町民も農民もいたが、
いわゆる「山手」の人たち。
庶民的で地味な暮らしはしていてもインテリです。
隣家とは垣根越しに挨拶をし、話しをする。隣家のお勝手口から
中のことは知りません。 お隣り家庭内の会話も聞きません。
そういう人たちですよ。 淀川さんの雑誌編集者デビューと小津さんの監督昇進は共に1927年らしい
雑誌で小津さんは29年頃から名前の前に英才、鬼才、才人とか書かれるようになって
30年頃にはすでに名匠小津安二郎監督なんてのもある
まあ半分宣伝文句だろうけど新人の頃から業界ウケは良かったとかよく言うね 「風の中の牝鶏」、「早春」、「お早よう」は庶民を描いているんだけどね。
>>872は見ていないんだろうな。 まぁ自分の評価とは裏腹に小津監督の世界的評価が上がって行くのが
内心おもしろくなかったんだろうな 会話がつまらないっていうのはちょっと分かるな
島津保次郎を初めて見たとき戦前にこんなテンポのいい会話劇あったんだーと感動したもの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています