小津安二郎『麦秋』
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最後の砂丘場面は、辻堂と茅ヶ崎の間だったんだな。
烏帽子岩が右側に見えたので確認できた。
クレーンは必然だな。 >>265
同意
戦後の晩春から急激に路線が変わってしまった
戦前の小津映画は庶民的で親しみや好感が持てたのに ふぅん。晩春は公開が1949だっけ?
前年の暮れの今の天皇の誕生日に
巣鴨プリズンで東條たちが吊し首に
なった。 活劇とか、サスペンスとか、時代劇ならともかく、
小津作品のようなタイプは自分の実感できる世間のものしかムリでしょ。
小津は戦前から高給取りだけど、廻りは喜八ものの世界だった。
けど戦後しばらくすると、そういう世界ともかけ離れてきて、
鎌倉で里見トンなんかと付き合っていたのだから、
ああいう世界が舞台になるのは仕方がない。 晩春の原節子の方が綺麗って言われたみたいだけど
断然こっちのナチュラルメイクの原さんの方が美しいよ 物語自体はありふれたホームドラマなのに、とても豪華で美味しい料理を
味わったような満腹感がありました。
あーおいしかった、満足です。 あの風船、矢張り小津監督の大好きだった渋めの赤色でしょうねぇ。 「ありふれたホームドラマ」自体が特に80年代以後は
記憶に薄いね。結婚前のバラ色の日々か、結婚後の
氷のような夫婦生活かみたいな世界で。 家族というのはローカルな世界だが、
都会的華やかさを家族的空間に持ち
込んだら、虚飾と冷たさも一緒に入っ
て来る。そういうのがマスメディアを
通じて全国一律に伝播する。 バブル時代は某宗教右派カルトだけが家族主義で
気を吐いてたもんだったな(笑 紀子が結婚することでなぜ両親が田舎へ引っ込むのでしょうか? 紀子は給料の幾ばくかを家に入れていて、
それで家族の生活が成り立っているのです。
笠智衆が必死なところ、ケーキを買って贅沢しているところ、
その辺を念頭に入れて見直すとまた印象が変わってくると思います。 生涯独身の人の撮った映画というのが
アレだなぁ・・・。 黒澤なんかは小津映画について、戦前のサイレント時代が好きで
トーキー以降の小津映画は批判的だったみたいだね 黒澤明
「小津さんは、サイレント時代の方が良かった。
でもトーキーになってから一本だけいい映画を作った。それが晩春だ。
でも小津さんの映画を見てると、小津さんの事を思い出して涙が出てくるんだよね。」
>>287
戦後の小津+野田の脚本は、黒澤の苦手なことばかりだからね。
あまり好みでないのは当然かと。作劇法が真逆だね。 晩春で笠智衆に最後に男泣きさせたがったのは分かるw リュウが居眠りしても観客は何も感じません
オトコナキしてくれていれば感情移入も簡単にできたでしょうが
名優リュウ一生の不覚ではないですか?あの場面は それって、井上ひさしとの対談じゃなかったっけ?
井上ひさしは「東京物語」は大好きだが小津映画は会話が不自然で苦手だと
いったら黒澤も同調してたらしい。
サイレントの小津映画は二人とも絶賛してたみたい
会話が不自然だと思ったことは一度もないな。
むしろ自然すぎる感じ。
あの切り返しは今でも独自だと思うが。 女性陣のおっとりした上品なやり取りの中にも、
「そうよ」、「違うわよ」の応酬で自分の意見を
持った意志の強い女性を描こうとしてる風かな。 おそらく80年代後半頃の対談でしょ、何回対談したのか知らないけど
全集黒澤明(88年発行)6巻にも井上ひさしとの対談が掲載してる
ちなみに黒澤スレにあった過去スレにあったコピペだけど
黒澤「あの台詞変ですよね。他人行儀って言葉があるでしょ。
他人だからこそ気を使って親切に振舞う。身内だからこそっけない。
それは、親に対する甘えもあるんですが。」
井上ひさし「そう。そうです。」
黒澤「小津さんもわかってますよ。
でも映画だから、この台詞で感動させてやろうと欲が出たんでしょう。
『東京物語』は評判の良い映画なんですけど私はあまりいいとは思わない。
小津さんのそういう計算が鼻に付くところがあって。
この映画の原君なんて、正直いって・・・うーん・・・僕・・・気持ち悪いなあ(爆笑)」
井上「ええ、ええ。非常にわかりますよ。
でも黒澤さん。本当はあまり好きじゃないというよりは(東京物語が)大嫌いと言いたかったのでは?(笑)」
黒澤「(爆笑)」
行儀作法をちゃんと躾けられて育った
人たちの世界だね。そう割り切って背筋
を伸ばして見るのが良い。 >>297
どうも
じゃあその後変わったんだろう。
晩年は小津ばっかり見てたっていうから。 黒澤の娘によると晩春を見て小津との思いでにふけっていたらしいね
ちなみに小津ばっかり見てたってのは
山田洋次が黒澤の自宅へ尋ねた時に東京物語を鑑賞してて
それを伝聞で聞いた蓮實重彦が大げさに広めた嘘だと思うw
いや、最近小津をずっと見てるってのはその山田との対談で黒澤が言ったこと。 自分は逆に晩春はどこがいいんだか全く分からん
黒澤に限らずサイレント時代の小津こそ最高って当時の映画人達の声はよく聞くね >>302
笠と原が結婚できる義理の親子だと思って観てれば? 私は別に重いパイルを打ち込まれたとしか
思いませんでしたよ? リメイクの原はいい表情していたな
誤解されることも無くな
竜の演技あれじゃ誤解されてもしょうがないよ
三枚目の岡田真梨子もいいね
この前見直したら月丘夢路はおじ様の竜に
キスして竜驚いているんだね
これこそ名演技かな
実際夢路はおじ様の家には行かないでしょう
おかしいもん しかしエンディングが慟哭ってのは全く想像できないな。
小津は結構ドラマテックなの好きだからな。野田さんと違って。 そうそう童貞話が出ていたけど
最近A6輔のラジオで聞いてびっくりしたんだけど
昔は中学(旧制中学?)の修学旅行は関東だと大概京都で、
なんと遊郭にいって筆おろしをさせていたらしいんだよね
割引券を配布するっていっていたっけな
まあ自由行動の時に、お好きな人はどうぞみたいな感じ
だったのかな 公娼ってのがいた時代だな。
昭和に入って廃止になったん
だったか。 恥の書き捨て
映画麦秋の中の大和(やまと)って大和の国 奈良県のことかと思ってた。
おかしいな、おかしいな、何で奈良県が?と思ってた。
神奈川県にそんな名前の市があるなんて、マジで全然知らなかったわ。
多分、西日本の人間は殆ど知らないと思うよ。 やはり、奈良県ですか?
恥の上塗りですか?
地名としは大和なんて普通は使わないと思うが。
奈良というよ。 なんたって「国のまほろば」じゃからな。
すでに戦前から小田急が通じていたから、鎌倉の家からは大船藤沢
経由でアクセス良好であったと思われる。しかし年寄りにとっては
人生終わった的な感慨を持つ辺鄙な農村だったのだろう。 >折から間宮家へは周吉の長兄茂吉が大和の本家より上京して来たが
神奈川県の大和から北鎌倉へ上京ですか?????? http://katsuyaterakado.com/blog/archives/900
>★ラストの信じられないぐらい美しい当時の大和市の風景に目を見張る。
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/library/movie/movie_data.php?code=0000000005
>その後両親は大和の本家に引きこもる。
>最後にその民家から2人が 眺める耳成山の麓を映し出し、この映画がフェードアウトしていく。
大和が神奈川県の大和市なのか
大和盆地の大和なのか、
説が分かれているようです。
自分は関西人ですが大和を地名としては使わないと思う。
使うなら奈良。 説なんか分かれてないよw
まほろばと言っているんだから倭だろ。
やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし
大体、山の様子からカメラポジションまでだいたい特定されてるって。 いや、あれは巧妙なカメラワークと時代を先取りした特撮技術に
騙されやすいけど、やはり神奈川県の大和だろう。小津監督は
鎌倉とか茅ヶ崎とか大磯とか、神奈川大好きだからな。ロケにも
時間かからないし。あの山はたぶんマットペインティング。 >自分は関西人ですが大和を地名としては使わないと思う。
>使うなら奈良。
親類が奈良(県)にいるとか奈良(県)の出身とはいうけれど「大和」なんては普通は言わない。
グーグルの「大和」だって、奈良県をあらわす使い方はどれだけ下位かもわからないほど。
大和の国なら通じる。
要するに、小津先生と野田先生が偉すぎてケチを付けられなかったのでは? >>318
http://katsuyaterakado.com/blog/archives/900
>★ラストの信じられないぐらい美しい当時の大和市の風景に目を見張る。
この人によれば神奈川県の大和市らしい。
誤解だけど、誤解されるほうにも責任があると思う。 >>320
君とは世代が三回りくらい違う人の言い回しだよ。
家のおじいさんは普通に、伊勢、伊賀、大和って言ってるよ。 普通の会話として、伊勢、伊賀は言うけど大和は言わないのじゃないか。
大和は日本中各地にありすぎる。
脳内ソースだけど。 車内アナウンスも殆ど聞こえない老人が1人で奈良から鎌倉に出てくるって無理に近いと思う。
小津大師は尊敬していますが。
聖所を踏み荒らす積もりはありません。 耳成山が映るから、奈良ですねあそこは。間違いなく。 >>325
そんなこと、初めから分かってると何度言ったらw
問題は「大和」という?けったいな表現をなぜか使ったこと。
東京の人だから違和感を感じなかったのでしょう。
私の里は大和です。 ありえない。
お盆なので大和に帰省します。 ありえない。
親類が大和に居ます。 ありえない。
今度の観光旅行先は大和です。 ありえない。
大和路です ならあり。
地名なら大和郡山とか大和高田とか指定する。
土着の関西人(奈良県人ではありませんが)の感想でした。
気になるのでちょっと調べました。
http://www.tkynarakenjinkai.com/
東京奈良県人会
東京奈良県人会110年のあゆみ
によると明治26年から1962年昭和37年までは「東京大和会」
だったそうです。
今、”東京大和会”でグーグル検索しますと島根県の美郷町東京大和会
が上位に来ます。 >>326
> 問題は「大和」という?けったいな表現をなぜか使ったこと。
君の乏しい知識だと分からないってこと。 >>328
知識の問題じゃないでしょう。
大和が奈良の旧国名であることぐらい誰でも知っている。
しかし、普通、そういう、使い方はしないということを
君の粗末な脳みそでは理解できなかったこと。 あのおじいちゃん、まだ江戸時代だったころに生まれた人でしょ
そのくらい昔だから、奈良のこと大和と呼んでいても違和感ないんじゃ >>330
そうかも知れない。
明治26年には東京大和会の名でが設立されたのに
時代が進んで、大和 ハァ?どこ?っと反応されるようになり
昭和37年には、東京奈良県人会に改名した。(>>327のとおり)
平成の大合併でかなり消えたが大和の地名は全国に多数あった。
本家と分家みたいなもんだけど、「 うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」
と歌われたぐらいだから全国に地名が広がったのだろう。(神奈川県大和市も)
(小津先生も野田先生も明治生まれの人だし。)
関西では相当以前から大和は使わず奈良を使っていたような気がする。
大和といえば江戸時代より更に前の感じ。 それより、耳の聞こえない半分ボケた爺ちゃんが1人で奈良から乗り換えありで出て来れるのかな? >>331
当然、大阪駅だか京都駅だかのプラットホームまでは家族が同伴して汽車に乗せ、
何番列車の何号車に乗せた、何日何時何分東京着と間宮の家に電報を打つ。
史子か紀子がその時刻に東京駅のホームまでお迎えに行ったんだろうな。
そういう時代。 >>333
ご明察ですね。
なかなか大変。
>笠智衆
笠智衆さんは、この頃の作品では老け役が多いのに、
珍しく、麦秋では10歳近く、若作りしてましたね。
40代で30代を演じなきゃならないから。
紀子(原節子)の兄だから。 遠い距離だと、東海道線を途中で降りて一泊も普通の時代。 奈良からだと、京都か名古屋に出てから東海道本線に乗り換えだね。
耳が殆ど聞こえない爺ちゃんがね。
名古屋ってことはないだろうが、まあ京都だろうね。
あの頃は人情もあつかったから、二等急行にでも乗せてボーイさんに
何がしかのチップでも渡しておけば、終点まで付かず離れずで面倒を
見てくれただろうね。ボケ気味だから名古屋とかで勝手に降りられて
も面倒だから。 「東京物語」と同じく一家の離散をテーマにした作品だが、「東京物語」とは
異なって、なにか「未来への希望」が感じられる映画。
老境に入る前の小津監督のまだ若いエネルギーが画面全体にあふれている。
見終わったあとの感慨はヴィンスコンティの「山猫」に近い充実感がある。、
「山猫」もまた没落していく貴族の悲哀を描いていたが、映像に力強さがみなぎっていて、
冬に向かいつつある季節の中にも晩秋の暖かさが感じられるという傑作だったが、
麦秋にもそれと全く同じ感慨を抱いた。
不思議と何回見ても見飽きないし、見るたびに新しい発見がある。
小津映画のベスト作品は世評では「東京物語」なのだろうが、自分にとっては
迷うことなく「麦秋」がずば抜けて最高傑作だと思う。 >>338
小津はどっちかというと身も蓋も無い話が好きで、
共同脚本の野田が希望の見える話が好き。 子供が悪すぎる。
一体、家庭でどういう躾、教育をしたら
あそこまで悪く育つのか? >>341
現代の家庭ならああいう子供がいてもおかしくないけど、
当時にあっては想像を絶する不躾な子供らと感じただろうね。 > 子供が悪すぎる
あー俺もそれ思った
特に食べ物を粗末にする、ましてや足蹴にするなんてうちだったら獄門クラスの折檻だよ
戦中戦後の食糧難を経験した人(うちの両親もだが)ならもっときびしく躾けるじゃなかろうか? 戦争に敗けて大人たちはフヌケに、子供たちは大人をバカにして言うことを聞かない
価値観が180度転回して大人たちもそれまでの自分の躾に自信が持てなくなった時代
大人たちは自分がした苦労を子供にさせまいと子供をさんざん甘やかす
今の60代70代の犯罪率が異様に高いのもわかる気がする、彼らも時代の被害者
戦争に敗けた国はその後百年は倫理が崩壊すると説いたのは孫子 「そんなに叱って子供がいじけたらどうするの?」
と牽制している場面さえある。
あの時代の特色も強いが、案外、日本の伝統かも知れないね。
大昔、読んだルースベネディクトとの”菊と刀”にも
日本ほど子供と老人にしたい放題させる国はない
とか書いてあった。
あと女にも。
「日本の女たちは夫に告げずに平気で外泊してくる、
ありとあらゆる不貞がまかりとおる光景は信じ難い。」
と書き残したのは戦国時代の日本を見たルイス・フロイス。
明治政府はこうした日本の「伝統」に挑戦し、
女に「良妻賢母」という理想像を押し付けようとしたが、
先の敗戦で元の木阿弥、性的に自由奔放なのが日本の女の自然な姿かも。
紀子からは女としてこの「良妻賢母」の枠におさまってたまるかというパワーを感じる。 自分なんか、いじけて育ったわ。
いつも良い子でおどおどして大成しなかった(笑 「麦秋」の素晴らしい点は、ごく普通の家庭に起こる平凡な日常生活を淡々と描きながら、
「会者定離」の無常感をものの見事に描写しきっている所。
さらには間宮家の家族全員の心理描写を風景の中に溶け込ませて自然に表現している。
人間の業と悲哀を静かに描きながらも、不思議と突き放した冷たさは感じられない。
老境に入る寂寥感と同時に若い生命のみずみずしさとの両極端を映像化した映画で、
「麦秋」に比肩できうる作品はベルイマンの「野いちご」くらいだろう。
日本が世界に誇るべき唯一無二の傑作といっても、決して褒めすぎではないと思う。 ものの始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりは淡路島 まあ、映画としては駄作やな、小津式ホームドラマの一作として可なり 昔の高校野球で紀和代表って括りがあった。
子供心に紀州と和歌山って同じやん、と思っていたが、
紀州と大和(奈良)のことだったのを知ったのは大分あと。
大和(神奈川県)なんか東海道沿いでもないし、単独で名乗れるほど人口に膾炙してないだろ。 日本人は本来、海洋民族だから大和が始まりなんてヨタ話。 なんか、せっかくの学術論もここ2chの阿呆どもまで達する間にはだいぶ変質してるな。
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