>>652
70〜80年代頃は日本映画斜陽の中でスターも映画メインの活動が出来なくなり、
映画・TV・舞台と掛け持ちでみな消耗していたのが現実だよ。

中尾彬あたりの言い分も分かるが、渡は『大都会』『西部警察』と石原プロ作品に専念して
立て籠もる事で「大物」イメージを守れて客観的にはそれで良かったと思う。
結果的に同時代にスターたちが晒されていた「消耗」から守られた。
本人は「アクションものばかりでいいのか?」と葛藤はあっただろうがね。

渡じしんは往年の「恋人」吉永小百合と『時雨の記』98『長崎ぶらぶら節』00と
共演した頃には「もうオレはいつ死んでもおかしくない」と達観はあったと思う。
個人的に最近初めて『長崎ぶらぶら節』を観て「渡は内心ではこういう枯れ方をしたかっ
たんだなあ」と感慨深かったね、、、。