>>574
渡は1965年デビューだが、既に日活も東映に影響されヤクザ映画が多くなっており、
さわやか好青年メインでイケたのは本当に初めの頃だけだった。

これは60〜70年代デビューのスターはみなそうだが、渡も既に映画斜陽の時代にデビュー
してしまった不幸があり、結局は芸能人生の大半をTVに捧げる事になってしまった。
これは実弟の渡瀬恒彦も同じだがね。

結局は渡も「映画スターになりきれなかったスター」 で生涯を終えてしまった。
訃報については個人的にはさほどショックはない。既に90年代頃から癌などで体調は
良くなかったからね。ここ数年も呼吸器疾患だった。

往年の日活仲間の(若い頃の一時は真剣に結婚も考えていたという)吉永小百合と共演で『時雨の
記』98や『長崎ぶらぶら節』00をやった頃に既に渡の中でも「自分はいつ死んでも
おかしくない身」という達観はあっただろう。

渡については昔から「石原プロの大都会や西部警察に付き合い過ぎて俳優人生を棒に振った」
と言われてきたが、個人的にはそうは思わない。
70〜80年代当時の時点で多くのスターたちが映画にTVに舞台に掛け持ちで消耗していた
のが現実だからね。日本では既に映画メインでやっていける時代は終わっていた。

渡はその中でTVの石原プロ作品に引きこもり専念する事で逆に大物スターとしての地位を守護で
できたのではと個人的に思っている。いろいろ出て結果的に消耗するよりは実は良かったのでは?