【無頼】渡哲也 3シリーズ目【紅の流れ星】
※初めに→阿佐ヶ谷北は書きこまないで下さい。
迷惑です!
こちらは渡哲也の本スレッドです。
渡哲也の映画作品についてマターリと語りましょう。
最近の情報、ドラマ、バラエティ等のTVに関しては
俳優板のほうが確実だと思われますので
そちらをチェックしましょう。
基本sage進行、荒らしはスルーでお願いします。
>>2へ続く
芸能人生55年突破と日活出演時代の20本HDリマスターDVD発売おめええー祝福
全作とも上映当時の予告編が収録されていてうれしい○ 第2弾として石原さん主演を
省く処女作「暴れ騎士道」を含めた残りのDVD化も実現しておくれ!!お辞儀 「やくざの横顔」 見ますた。
しかし内田良平がなあ、一騎打ちで自分だけ刺されて死ぬのは「無頼 人斬り五郎」の
佐藤慶と同じで、いくらリアリティ皆無の日活だからとはいえ、こんな奴いねえよ、と
思えて困る。東映任侠物のような、しがらみで自分が命を捨てるより他に組を守るには
どうしようもないといったような設定ならまだしも。
内田は「日本暴力団 組長」のラスト、鶴田との勝負でも同じような死に方してたが。
渡も正当防衛でもなんでもなく二人殺して3年で出所、まあ仮出所だろうが、だとすると
身元引受人が必要な筈で、住居制限もある筈だが勝手に海へw
親父の勘当は一年で、あと3日で帰ってもいいとか勘当に期限があるのにも驚くが、更に
二人殺して、ほとぼりが冷めるまでまた海へ、って凄くないですか?
沖雅也が殺されなかったのも物足りないなあw 「昭和やくざ系図・長崎の顔」を見たとき、「狼の王子」を思い出した
「やくざの横顔」を見たとき、「長崎の顔」と「狼の王子」を思い出した
作品の出来は
「狼の王子」>>「やくざの横顔」>>>>>「長崎の顔」
やっぱりこの差は監督の差なのか? 石原裕次郎スレが何故かないからここで歌おう
オイラはドラマー
やくざなドラマー
おいらが怒れば嵐をよぶぜー
けんかがわりにドラムを叩きゃ
恋のうさもふっとぶぜー
最初はフックだボディだチンだ
えーいやりやがったな倍にして返すぜ
(あと忘れた) 裕次郎との共演CM見たけど声が掠れてて長くない感じだった 何で若い頃のさわやか路線でいかないで角刈りサングラスがトレードマークになったんだろうか 戸田さんよぅ、オレはねぇ天皇陛下万歳をやめたんだよ。
その時にこう思ったよ。
南無阿弥陀仏もアーメンもオレには一生縁がねぇ。
南妙法蓮華経だっておんなじでね。じゃあ。 >>574
渡は1965年デビューだが、既に日活も東映に影響されヤクザ映画が多くなっており、
さわやか好青年メインでイケたのは本当に初めの頃だけだった。
これは60〜70年代デビューのスターはみなそうだが、渡も既に映画斜陽の時代にデビュー
してしまった不幸があり、結局は芸能人生の大半をTVに捧げる事になってしまった。
これは実弟の渡瀬恒彦も同じだがね。
結局は渡も「映画スターになりきれなかったスター」 で生涯を終えてしまった。
訃報については個人的にはさほどショックはない。既に90年代頃から癌などで体調は
良くなかったからね。ここ数年も呼吸器疾患だった。
往年の日活仲間の(若い頃の一時は真剣に結婚も考えていたという)吉永小百合と共演で『時雨の
記』98や『長崎ぶらぶら節』00をやった頃に既に渡の中でも「自分はいつ死んでも
おかしくない身」という達観はあっただろう。
渡については昔から「石原プロの大都会や西部警察に付き合い過ぎて俳優人生を棒に振った」
と言われてきたが、個人的にはそうは思わない。
70〜80年代当時の時点で多くのスターたちが映画にTVに舞台に掛け持ちで消耗していた
のが現実だからね。日本では既に映画メインでやっていける時代は終わっていた。
渡はその中でTVの石原プロ作品に引きこもり専念する事で逆に大物スターとしての地位を守護で
できたのではと個人的に思っている。いろいろ出て結果的に消耗するよりは実は良かったのでは? スターの訃報を見るたびに「もはや日本には映画スターはいない、映画スターが生まれる
土壌もない」日本の不幸を思う。
渡の出演作は映画TVと膨大だがここ20年内だと例えば08年放送の『告知せず』など
を観ると、やはり本人は内心では人間ドラマで成功したかった人なんだろうな、、
07年の『マグロ』なども実際に観ると中途半端なデキでちょっと残念だったな、、
あれはどうしてあんな雑な作品になってしまったのか、、まず「製作費¥10億」じたいが
絶対に嘘だし、、鎌田敏夫の脚本がいい加減だったのかねえ、、
渡が出た70年代の加藤泰の3本『人生劇場』72『花と龍』『日本侠花伝』73などはもの凄い映画だが
(加藤泰なので現場は大変な事になった様だが)、日本でこんな映画が作られることは、
もうほぼない、、 >>578
70年代に子供だった自分には大都会や西部警察の渡さんが裕次郎や旭、文太、勝新よりスターだったからな。
ウルトラマンや仮面ライダーの主役みたいなもんなのかな? >>574
角刈りサングラスは大都会・西部警察のイメージだが、体育系の渡も長髪は好きでなかったらしい
長期入院時を終えたとき長髪の甘いマスクになっていたのを、やがてスッパリと短くした
それを、裕次郎は気に入らなかったらしいが、本人の好みとして長髪は好きではないのだろう
個人的には、日活入社当時ではなく、人斬り五郎あたりの髪型がいいと思う。大門スタイルは渡の魅力をかなり削いでいる
「紅の流れ星」、「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」辺りが当たっていれば、やくざ一辺倒にならずに済んだのだろうが、残念ながら、少ないながらも、やくざ路線の方が興行収入はよかったようだ
演技が棒だとよく云われているが、日活自体はそれなりの演技をしていた
TVにでるようになってから監督のレベル低下や毎週放送のシステムで、渡が厳しく指導されることが無くなったのだろう
自分で役作りをするような役者タイプでないため、監督の演出で渡の演技は大きく変わる
その意味でも、石原プロに入らずに、映画の世界に席を置いていたら、高倉や菅原くらいまでは行ったと思う
しかし、倒産寸前の石原に知らぬ顔をする渡も見たくないと云う気持ちも強いから、ファンとしては複雑である 俳優としての息の長さは弟の方が上だったな
渡は若い頃は凄かったが晩年は祭り上げられた感があってあまヒット作も
なかったし パッとせず中途半端に終わってしまった俳優だったな
これといったヒット作が一つもなかったし
弟のほうがシリーズものを持っていた 大体、石原がいない石原プロなんて存在自体がナンセンスだった。
裕次郎が死んだ時点でとっとと解散すべきだった。 日活時代のヤクザ映画で刺されて最後、バレーボールをしてる女の子たちの
所で息絶えるラストが斬新だった 兄弟共演でNHKのドラマに出演したこともあるんだよ >>583
石原プロに入った弊害だな
フリーでいれば、高倉健や松田優作、そして渡瀬恒彦がやった角川映画がほとんど渡の作品になっていた
仁義なき戦いが渡のために企画されたのは有名な話だし、石原プロに入る、入らないは大きな分岐点
だが、それらを判っていて、恩師舛田の意見にも耳を貸さず、入ることを自ら選んだ
そのため、TVでしか彼を知らない若者が大多数。残念なことだが、、、
>>588
シリーズ2作目の「大幹部・無頼」
倒れ込んだが、死んではいない
そのシーンと「無頼・人斬り五郎」でのラストの死闘、そして長い時間の経過後、塩田に落ちているサングラスに、夕陽を浴びた松原智恵子のシルエットが映るラストシーンが印象的で好きだ 渡哲也の軌跡が
日活でデビューした →吉永小百合と共演した→
負債を抱えた裕次郎に180万円差し出した
→石原プロに入社した→「自分は西部警察の大門だ!!」→銃撃戦・爆破シーン
大門殉職・大爆破シーン→炊き出し
こんなんじゃあまりにも不憫すぎるし
殆どの情報番組が、どれもこれも同じ映像ってのも、
石原プロで何かを企んでるのがミエミエだよな。
吉永小百合と舘ひろしばかりが渡哲也の最大の仲間みたいな
映像表現っていうか・・・ テレビなんてそんなものだと思うけどなあ
ワイドショーだって各局が同じ内容、似た映像のオンパレード
だから情報の差別化を図るために自分はネットの報道番組を頻繁に見るし、
MXテレビなどローカル局も見る あこがれの裕次郎のリメイク版「嵐を呼ぶ男」もズッコケたし
たいした結果を残さなかった三流俳優だったな 吉永小百合と結婚していれば、
展開もまた変わっていたかも・・ >>595
吉永小百合の父親が本当、糞だよなって思う!
あんな岡田とさ 高倉健と対談したら・・・・
沈黙の時間がやたら多い対談となるかな 渡哲也の追悼コメントをよせたのは
吉永小百合しか居ないような
マスコミの偏向報道っぷりと
どこの局の情報番組も
【渡哲也をイチバン慕ってた人物=舘ひろし】ではなく
【渡哲也をイチバン慕っていた人物=吉永小百合】に
仕立て上げてるよな 昨日やってた徹子の部屋見てたら、黒柳徹子の一番のお気に入り作は浮浪雲だと。
倉本聰も、松田優作なんかとつるんで暴力一辺倒の世界から連れ戻そうと頑張ったんだろうが、
結局ダメだったってことか。 映画「時計アデューリベール」も素晴らしい存在感でした >>597
それは単なる世間のイメージ
二人が対談すればすぐに時間オーバーになるわ
>>600
優作自身が、石原プロやめてこんなドンパチ止めましょうよ、と云っているんだが 1964年、のちに奥さんとなる大学の後輩と交際開始。1970年婚約会見。
小百合と交際してたらしいけど、二股だったの? >>603
小百合と交際してたらしいけど、結局 小百合が泣いて終わったみたい。
小百合の父上が悪い。 小百合と交際するまえにのちの奥さんと交際してたけど、
小百合と交際してるときはのちの奥さんとの交際は中断してた?二股だった? >>605
奥さんとは大学時代からの付き合いだから、奥さんが先
小百合の割り込みに、流石に渡も落ちたが、小百合の親の反対により、破局
既に俊子夫人を知っていた裕次郎が、まとめたらしい 肝心のことを書き忘れ
だから、二股といや二股
俊子夫人は親戚の娘ということで、石原プロに出入りをしていた >小百合の割り込みに
渡に恋人いるの知ってただろうから、小百合はけしからん、実にけしからん。 渡も二股はいかんね。でも、結局いっしょになったから、まあいいや。 二股と云うのは隠して二人と付き合うものだと思っているが、渡の場合は少なくても俊子夫人には隠してはいなかった
だから、夫人の親も娘に諦めるように言っていたらしい 日活は石原裕次郎とか吉永小百合とかもそうだけど、浅丘ルリ子ですら作品には恵まれなかった
ほとんどが大衆娯楽映画で、映画史的に評価されるような作品が少ない 田坂具隆が長く日活に残ってたら、小百合の青春映画もちょっと違ったものになってただろうなあ。 >>597
>>602
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008170000849.html
渡さんと石原裕次郎さんが強い絆で結ばれていたことは知られているが、実はもう1人、敬愛していた人物がいた。高倉健さんだ。
7年前、東京・調布の石原プロで開かれた新年会。三々五々、参加者が帰り始めると、渡さんは応接室に消えた。確かめたいことがあったので追い掛けた。「高倉さんが『ぜひやりたいね』と共演を望んでいました。どう思いますか」。
実はその1カ月前、高倉さんにインタビューする機会があり、渡さんについて聞いた。「元気かな。僕は大好きなんです。石原プロはもちろん、本当にいろんなものを背負っているでしょ。もっと自由にいろんなことをやりたいと思っていると感じます。それでも毅然(きぜん)として生きている。本当は歯を食いしばっているのに、そんなところは見せない。1人で生きている自分にはできません。尊敬しています」。手紙のやりとりはするが、直接会う機会はほとんどない。「いいホン(=脚本)があれば、ぜひご一緒したい。いつでも待っていますよ。今度会うなら、そう伝えておいてくれませんか」。その言葉を伝えると、渡さんはうつむいた。
高倉さんは10歳年上。自分が日活入りした頃、既に東映の看板スターだった。裕次郎さんには弟分としてかわいがってもらったが、高倉さんの姿にも憧れた。「裕次郎さんは、自分にはないもの全てを持っているように感じましたが、高倉さんを見ていると、自分はこうありたい、感じる部分があるんです」。
高倉さんは任侠(にんきょう)映画で一時代を築いた後、東映を退社してフリーになった。どんなに好条件でも、納得できない作品の出演依頼はきっぱりと断った。日本映画界で、もっとも作品選びのハードルが高い俳優といわれた。
一方の渡さんは、男としてほれ込んだ裕次郎さんのため、映画製作で巨額の負債を抱えた石原プロを救うため、ひたすら目の前の仕事に向き合った。いつだったか、刑事ドラマの銃撃シーンの話をしてくれた。リハーサルでは、ロケ現場を取り囲む何百人という見物客の前で「いい年して自分の口で『パン、パン、パン』って銃声の音を叫んで走り回るんです。大事なことだと分かってはいるんですが、どうにも気恥ずかしくてね」と笑っていたが、内心は複雑だったと思う。
実は2人には、幻の共演作がある。渡さんにとってデビュー11年後の75年に、高倉さんが主演した映画「大脱獄」だ。当初は、初共演作として準備が進められたが、渡さんが病に倒れ、菅原文太さんが代役を務めた。
渡さんは、応接室のソファで背筋をピンと伸ばして言った。「今も憧れています。自分だって(映画で)ご一緒したいですよ。どんな役でもいい。高倉さんが納得してくれる、いいシナリオがどこかにありませんか」。結局、2大スターの共演は実現しなかった。
高倉さんが貫いた「孤高」という生き方に強くひかれながらも、兄貴分や仲間のために粉骨砕身する道を選んで駆け抜けた。高倉さんは、その生き方をまねできないとたたえていた。先に旅立った高倉さんとは、胸を張って再会して欲しい。【松田秀彦】 「居酒屋兆治」なんか渡哲也もピッタリ合ってるように思う 石原裕次郎、高倉健両方と共演した俳優と言えば松田優作くらいか >>616
いーぱいいるよ。思いついただけでも
丹波哲郎、三国連太郎、大滝秀治、成田三樹夫、中丸忠雄、神山繁、舘ひろし、下川辰平、久富惟晴etc 小林旭とはどういう関係でしたか?
日活はむしろロマンポルノのほうが後世に残る作品がありそう
渡哲也はテレビの浮浪雲はよいと思った
でもテレビでは弟のほうが少しやさぐれ感があって好きだったな >>616
三國連太郎、成田三樹夫、金子信雄、大滝秀治
奈良岡朋子、神山繁、ガッツ石松、梶芽衣子
沢たまき、奈美悦子、藤岡重慶、石原良純、
三浦友和、下川辰平、竜雷太、チイチイ、小池朝雄
宍戸錠、郷A治、丹波さん、石橋蓮司、小林稔侍、
木の実ナナ、桃井かおり、ハナ肇、菅井きん
舘、吉永 >>617
>>619
脇が主戦場の俳優を並べられてもなあ
丹波と共演していない昭和以降のスターを探すのが難しい
ズバリ!!
勝新太郎 >>618
>渡哲也はテレビの浮浪雲はよいと思った
そう思うなら、「紅の流れ星」なんか気に入ると思うけど、あまり気に入ってないの? 松原智恵子や星由里子や加賀まりこもいるで
健さんオタのおれだが、俳優としての器ではむしろ渡のほうに感じたな
それは健さん自信も感じてたんじゃないんかな
裕次郎なんかははなっから「こいつにゃかなわねえ」と思ってたろう、俳優としてはね アニメ映画の三国志で曹操の吹き替えやってたけどハマり役だったな、ご冥福をお祈りします >>605
モテるからしかたない。
たぶん重なってた頃は、どっちの女もあきらめられなかったのだろう。
小百合と破局したことで、一気に流れが傾いたのでは。
これは誰が悪いとかじゃなく、よくある人生の機微さ。 >>623
「渡君を主演にしたい」裕次郎は制作陣に言った
仕事から私生活まで後輩の世話を焼く裕次郎は、日活に入った渡を厚く迎えた。自宅へ招き、食事をさせ、撮影所へ送り出す。呼び名も「渡君」から「哲」に変わり、やがて渡は裕次郎の代表作のリメイク版『嵐を呼ぶ男』(66)と『陽のあたる坂道』(67)で主役を務める。裕次郎や吉永小百合の主演作を撮った監督・西河克己は生前、こう語った。
「渡君を主演にしたいと石原さん自身が制作陣に述べた。スターとして華があるのと同時に、渡君には赤木圭一郎の面影があったから。5歳下の赤木君は石原さんが怪我で降板した『激流に生きる男』(62)で代役になり、撮影所での事故で亡くなった。石原さんには心の傷がずっとあったと思う。そこへ現れたのが赤木君より2歳若い渡君だった」 『東京流れ者』の渡哲也、ちょっと恥ずかしそうでよかった
テレビだけど、『大忠臣蔵』の堀部安兵衛もいい
まだ二十代で三船敏郎や司葉子や萬屋錦之介に貫禄負けしてるんだけど、石原軍団のイメージがつく
前の若々しい演技 「仁義の墓場」の渡さんて怖いわー
あれ、ほんまもんのやーこやで ほんまやで >>582
週刊文春、チラッと立ち読みして
中尾彰のコメントが
「渡さんは、石原プロにいなければもっといい作品にいっぱい出れたと思うし、いい演技も出来た。西部警察は自分は見てない。だってつまらないんだもの」と語ってた
やっぱりそう思ってた人はいっぱいいたんだね
本人も感じる部分はあったろうが、それを貫き通したのも渡さんの誠実さ >>635
>本人も感じる部分はあったろうが、それを貫き通したのも渡さんの誠実さ
渡哲也をみていると三国志の関羽が目に浮かんでくる
「忠義の士」
裕次郎→ 劉備
コマサ→ 張飛+孔明(の劣化版)
東映岡田社長に口説かれながらも、「裕次郎さんを裏切ることはできません」のシーンはまさに曹操に口説かれていた関羽そのもの
https://news.yahoo.co.jp/articles/98618aaa2f9e31a73832ff053610263587ecbc43
二人が岡田社長から招かれたのは赤坂の料亭だった。その席上、岡田社長は、こう切り出したという。
「渡君、高倉健の後を君にやってもらいたいんだ」
この時すでに高倉健の東映退社が決まっており、後継者として渡さんを引き抜こうとしたのだ。岡田社長は“東映の天皇”と呼ばれ、日本映画の黄金期を築いた立役者。しかも、あの高倉健の後釜に指名されたのだから、これ以上の口説き文句はあるまい。しかし、渡さんは動じることはなかった。
「尊敬する岡田社長のお話は大変有難いのですが、それだけは勘弁してください。恩人である石原裕次郎を裏切ることはできません」 東映の松方弘樹や菅原文太は面白くなかったんじゃなかろか。
松方は渡とは同年代の生えぬきだし、文太だってまだこの頃は揺るがぬ
牙城を築いていたわけではない。
そこへエースとして外様の渡を加入させようってんだから。 渡さんは石原プロ縛り別にしても体調問題でかなりの機会を逃してるよな。
残した成果は梅宮辰夫や松方弘樹あたりより下だと思うけど裕次郎に忠節貫いた事で変に名声は得たな。 >>635-638
石原豚次郎が全てイケナイのです >>638
うーん、さすがにその2人よりは上だと思う >>635
正論。
こういう正論がちゃんと出てくるのは良い事だ。
いまは何か、「西部警察」をホメなくてはならない雰囲気になっている。
渡自身は1クールで止めたかったに決まってるのに。
可哀そうな人生だったな。 >>641
太陽にほえろからシリアスさ無くして、ドンパチだけの内容。頑張ってたのはカースタントのチーム。 渡哲也というのはやっぱりbQであることに自分の存在意義を感じてた男なんだろうね。自分でこれと決めたbPに身命を賭して奉公するってことが人生のなによりの充実であったというふうな。
本来個人事業の役者稼業で、しかも飛び抜けたスターの資質に恵まれながら、
bPへの誘惑にも栄光にもまるで執着しなかったまことに珍しい俳優。 >>639
同意。TVの世界に首突っ込んでなきゃ昭和40年代前半で終わってた。
>>641
太陽にほえろってそんなシリアスだったか?俺には質の悪いギャグにしか見えなかった。 仮に渡さんが、独立した俳優人生を送ってさらなる良い作品群を残したとして(この推測は間違いない)現在の死を迎えたとする。
それでも石原裕次郎に殉じた生き方を、本人は良しとしたであろう。
ただ、ただ、ただ、ファンとしては、健さんのような俳優人生を見たかった!!
素材としては、No.1だったのに!!
惜しい!!
合掌。。 無頼シリーズ、関東シリーズから、仁義の墓場まで、
渡さん、ありがとう。 NHK、渡哲也さん追悼番組を30日放送「あの日あのときあの番組」
8/22(土) 5:00 サンケイスポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/2914222e5131888bbf39015bb9f3a67c75a0dfdc
渡哲也さん(2009年撮影)
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200822-00000505-sanspo-000-1-view.jpg
NHKが21日、肺炎のため10日に亡くなった俳優、渡哲也さん(享年78)の追悼番組「あの日あのときあの番組」(後4・40)を30日に放送することを発表。60歳の新人弁護士を演じた2007年の主演ドラマ「新マチベン」や1978年の「ビッグショー『渡哲也 おれには苦手な歌だけど』」で代表曲「くちなしの花」を歌唱する映像を公開。ゲストは日活時代の先輩俳優、中尾彬(78)ら。 >>644
完全に同意なのだが、俺流に云わせてもらうと
仮に渡さんが、独立した俳優人生を送ってさらなる良い作品群を残したとして(この推測は間違いない)現在の死を迎えたとする。
その時彼は、裕次郎(石原プロ)を見捨てたことを後悔するかもしれない
ただ、ただ、ただ、ファンとしては、健さんのような俳優人生を見たかった!!
素材としては、No.1だったのに!!
しかし、見捨てて後悔する渡も見たくない俺もいる
人生は一つしかない
せめて、裕次郎が死んだ後、コマサが石原プロを畳んでくれていたら。。。
しかし、人生は一度しかない
合掌!! >>643
>渡哲也というのはやっぱりbQであることに自分の存在意義を感じてた男なんだろうね。
それは違うと思う
彼にはNo1もNo2もない
たまたま、石原裕次郎と云うNo1の出合ったから、No2になっただけ
裕次郎がカツシンや三船だったら自分の道を行ったと思う >>644
【人にしてあげた事は忘れろ】って言っておきながら
『富士山頂』『ある兵士の賭け』『甦る大地』とか
【人にしてやった】的な映画ばかり作るようになり
それらの作品で【人にしてやってんだぜ】的な人物を
豪華俳優陣・演技派俳優陣をはべこらせて演じたが
コケまくって自滅。 >>648
松竹のプロデューサーとの独立計画が頓挫したのが
映画俳優・渡哲也として致命的だったし
東映に入社しても、80年代はビーバップやあぶない刑事とか
黒澤満のセントラル・アーツ作品の方が主流になっちまって
東映制作の土曜ワイド劇場の主演
東映テレビプロ制作の刑事ドラマの捜査課長
東映Vシネマの主役
恒さんみたいに、おみやさんやってるか
最悪、SUPER戦隊シリーズで長官役やらされてるか
テレビ朝日専門のドラマの制作会社に落ちぶれた、高倉健なき後の
東映の凋落ぶりを見てると、そんな感じするし
裕次郎に一蓮托生しても、東映の専属になっても結局
【テレビドラマの大物俳優=渡哲也】【刑事役者=渡哲也】だったんじゃない? 石原を見捨てなかった渡は偉かったと言われても
別に当時の石原は渡に頼り切りの介護老人じゃないんだから >>616
南原宏治、佐藤慶、渡辺文雄、戸浦六宏、小松方正、今井健二、江原真二郎、寺島達夫、高木二朗、葉山良二、待田京介、内田良平らを入れてあげて チャンネルNECO、9月は渡の追悼企画を当然組むだろうと期待したのだが・・・、
甘かった・・・Orz >>653
倒産寸前の中小企業社長だったから、それ以上だろッ!! >>636
渡哲也が『仁義の墓場』75の頃に岡田茂に東映正式入社を誘われて断った話は美談に
なってるけど、まさに高倉健こそ「映画がヒットしている割にはスターのギャラが安いん
じゃないか?」「儲かってもどうせ岡田たち本社の幹部が夜の豪遊で無駄遣いしてるだけだろ?」
と岡田と確執の果てに決別しているわけで。
東映なんぞまさに銀座のど真ん中に本社がある時点で「察し」だかんなあ、、
結局、高倉健の東映出演は『冬の華』78で一区切り。
正確には角川制作・東映配給『野性の証明』78、シナノ企画制作・東映配給『動乱』80
にも出てはいるがね。
そして後年の『鉄道員(ぽっぽや)』99出演でようやく東映と和解する。
実際、高倉健と岡田茂の確執は70年代には定番のゴシップネタ。狭い業界で渡も知らん筈がない。
当然、弟の恒彦からも東映の内情はいろいろ聞いていた筈(恒彦は晩年まで所属は東映で通したがね。
これは恒彦にくっついてる東映の古参マネージャーや現場のスタッフ・役者との義理故だろうな)
その「高倉健の後釜に」と言われても「どうせ岡田のオッサン、口先で美味いこと言って
オレを利用したいだけだろ」と渡も見抜いてたに決まってる。
文太さんも結局は『トラック野郎』終了後は岡田茂と縁が薄くなる。岡田の葬儀で感動的な弔辞を読んで
みせたのは文太さんの晩年の「大芝居」に過ぎんよ。 >>652
70〜80年代頃は日本映画斜陽の中でスターも映画メインの活動が出来なくなり、
映画・TV・舞台と掛け持ちでみな消耗していたのが現実だよ。
中尾彬あたりの言い分も分かるが、渡は『大都会』『西部警察』と石原プロ作品に専念して
立て籠もる事で「大物」イメージを守れて客観的にはそれで良かったと思う。
結果的に同時代にスターたちが晒されていた「消耗」から守られた。
本人は「アクションものばかりでいいのか?」と葛藤はあっただろうがね。
渡じしんは往年の「恋人」吉永小百合と『時雨の記』98『長崎ぶらぶら節』00と
共演した頃には「もうオレはいつ死んでもおかしくない」と達観はあったと思う。
個人的に最近初めて『長崎ぶらぶら節』を観て「渡は内心ではこういう枯れ方をしたかっ
たんだなあ」と感慨深かったね、、、。 >>566
非常な,ひじょ〜〜うな亀レスですが、、、
内田が死ぬのは、渡を活かす為ではなく、過去に惚れていた(今も愛している)女の幸せを願ってのことだから、それが判らんお前がアホ
日活映画では、東映のように組織を守るために死ぬことなど基本的にはない
死ぬときは「誰かのために」が基本の日活アクションだ
組織に準ずる話が好きなら日活映画は見るべきではない
この話は、渡の唯一のムードアクションだが、渡-香山の二人だけではなく、内田-香山のムードアクションと云ってもいい
それに、丘みつ子が絡むと云う、結構複雑なムードアクションに仕上がっている ムードアクション?要するに体が肥えて動きが鈍くなった役者たちを誤魔化すための
デッチ上げられた堕落した路線てことだろw >>661
無恥で、無知なお前に出来ることは、クソして寝ることだけだ >>659
高橋英樹や藤竜也は
外部の映画やドラマの波にきちんと乗って成功したんだから、渡哲也の取り口は成功とは云いづらい