★☆ 新藤兼人 ☆★
60年代以降のねちっこい映像は、どうも肌に合わなかったなぁ・・・
やっぱり初期の「原爆の子」「縮図」「狼」「裸の島」あたりがいいと思う。
特に「原爆の子」は全世界の人々に見てもらいたいほどの傑作。
「どぶ」もいいけど、ラストあたりがちょっとくどいね。
「鬼婆」も上質のホラー映画なんだけど、さすがに上品な乙羽さんに
あの役はミスキャスト。 篠田正浩が語っていた「新藤との出会い」の話が面白い。
大島渚一派が「日本の夜と霧」事件の後に松竹を退社し、篠田も「乾いた花」をオクラ入りにされた後は自分の企画がなかなか通らなくなり、
「こんなことならもう退社してしまおうか。しかし、独立して個人プロダクションでやっていけるだろうか」と悩んでいたころの話。
篠田が道を歩いていたら、向こうから新藤が歩いてきているのが見えた。
彼はそれまで新藤と会ったことはなく、ただ雑誌などに載った写真で顔を知っているというだけだった。
「あ、あれは新藤兼人だ。どうしようか、挨拶しようかな」などと思っているうちに、二人の間の距離はどんどん近付いていく。
すると、何と新藤の方から足早に近寄ってきて篠田の前で立ち止まり、その目を見据えて、
「君、篠田正浩君でしょう? 君は松竹なんかさっさと辞めてしまいなさい。辞めるべきです!」と言ったという。
「その言葉で、僕の決心は固まった。初対面の大先輩の一言で、僕の人生は大きく変わった」と、
篠田はエッセイなどで何度も語っている。 >>491
市民ミュージアムの新藤特集って、追悼特集じゃなく、以前から決まっていたモノだったんだな。
タイミングが良過ぎる。
馬場当もあそこで特集上映があった後に急死したし、
市民ミュージアムっていうのは死神の手下なんじゃないかね。 左翼でなく右翼だったら
マスコミに無視されたのだろうな。 >>524
そういうのって何なの? そうあって欲しいっていう願望を書いてるわけ? >>525
もし新藤さんが無視されたら、マスコミの悪口を書けたのに・・・って、残念がってるんだよ
左翼人がマスコミから賞賛される事と、右翼人がマスコミに無視される、
どっちもネトウヨは闘志を燃やすが、より嬉々としてそうなるのは後者の方
誰かが賞賛されたことを批判するよりも、不公平さを糾弾する方が、
正義は我にあり!って強く思えるからね 新藤は100歳の人だから
戦後GHQから作られたつまらん反日団塊左翼やニューアカ左翼なんかとは違うよ
再放送したインタビューでも、これからも日本はずっと強い国ですって言ってたじゃないか
天皇陛下にも敬意を表していたし
結局、作れなかったが遠慮せずに原爆を落とした側を描こうとしていたあたりも
日本だけを悪者にし続けようという戦後左翼とは違うところ っていうか、>>526は何言ってるのかわからん。
解読できるのは一行目だけだが、何でマスコミの悪口を書きたがるのかがわからん。
悪く言う理由がないんだったら、言わないままでいいじゃないか。
マスコミが悪でないと何か都合が悪いことがあるとでもいうのか。 戦争は人を破壊する
家族を破壊する
戦争ほどくだらないものはない
ではなぜ徴兵拒否しなかったか
それは、日本人だったから
日本を守りたいと思ったから
戦争は間違ってる
(その時の日本は)間違った日本であっても、しかし日本でした
日本のために死にたいと思いました
「新藤兼人私の十本」というインタビュー本でこう述べてます
その兵隊の気持ちを「一枚のハガキ」で描いたと 新藤兼人監督しのぶ散策会ttp://www.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4005617251.html
先月29日に100歳でなくなった広島市出身の映画監督、新藤兼人さんをしのび、新藤監督が生まれ育ったゆかりの
場所を巡る散策会が10日、広島市で開かれました。
この散策会は新藤監督の功績を広く知ってもらおうと、生まれ故郷の広島市佐伯区石内地区の人たちが開いたもので、
映画ファンなどおよそ80人が参加しました。
集まった人たちはまず、散策に出発する前に新藤監督を悼んで黙とうをささげました。
そしてこの後、およそ6キロのコースを地元の人たちの説明を受けながらゆかりの地を歩いて巡りました。
はじめに一行が訪れたのは、新藤監督が幼少のころ、小学校に通うのにわたっていた金丸橋です。
この橋は4年前、新藤監督自身が初めて石内地区で撮影した自伝的映画、「石内尋常高等小学校花は散れども」の
ロケ地にもなった場所で、撮影の際は、当時の橋の様子を再現するため、アスファルトの上に木を敷き詰めたという
エピソードを地元の人が紹介しました。このあと一行は、新藤監督が幼少のころを過ごした家の跡地を訪れました。
跡地には新藤監督の功績が刻まれた石碑が建てられていて参加した人たちは感慨深そうに眺めていました。
参加した女性は「新藤監督の映画はすべて見ましたが、住んでいた場所を歩いていると思うととても感慨深いです」と
話していました。 落葉樹で中学生になった諏訪野しおりのおっぱいを
見せてくれた恩は忘れないよ。 つい去年くらいまで映画を作っていて、100歳ちょうどに「老衰」で死ぬというのもなかなか凄いね。
三船が「全機能停止」で亡くなったのを思い出した 「狼」見たけど、寅さんのおいちゃん・おばちゃんがどこに出てたのかサッパリ分からなかった おいちゃんは分かったけど、おばちゃん(三崎さん?)は気づかなかった 故新藤兼人さん 追悼の催しttp://www.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4005803692.html
先月29日に100歳で亡くなった映画監督、新藤兼人さんを追悼するセレモニーが、出身地の広島市佐伯区で行われました。
この催しは、広島市佐伯区の石内地区出身の新藤監督の功績をたたえ哀悼の意をあらわそうと、佐伯区や町内会
などでつくる実行委員会が、23日に開いたものです。会場の佐伯区民文化センターには地元の人たちなどおよそ
300人が集まり、新藤監督の次男で映画プロデューサーの新藤次郎さんが実行委員会の代表とともに新藤監督の
写真の前に花を添えました。そして、佐伯区が、新藤監督のために作った「旧石内村名誉村民賞」の賞状と、監督が
生まれたかつての家をイメージして描いた絵画が次郎さんに贈られました。
このあと次郎さんが講演し、「父は映画づくりの自由を求めて独立し地味な作品を作っていましたが私自身が一緒に
仕事をするようになって、あらためて父は『いい仕事師だ』と感じました。私も後世に残るような作品をつくりたいと思います」と話しました。
会場には、地元の高校の書道部が監督の座右の銘、「生きている限り生き抜きたい」という言葉を豪快な筆づかいで
和紙に書いた作品や、映画の撮影現場などで監督を撮った写真も展示されました。
次郎さんは「生まれ故郷が父の映画の原点でした。地元でこのような催しを開いてもらい、ありがたいです」と述べていました。 「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971)で遅まきながら追悼しました。 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120626-OYT1T00740.htm
映画監督の故・新藤兼人さん、従三位に
政府は26日午前の閣議で、5月29日に死去した映画監督の
新藤兼人(かねと=本名・兼登)氏を従三位に叙することを決めた。
新藤氏は生前、文化勲章、勲四等旭日小綬章を受けている。
(2012年6月26日14時24分 読売新聞) >>540
妻子がいたのに乙羽信子と不倫した馬鹿が従三位だと?
政府は狂ってるな >>542
日本は、初代総理の伊藤博文にしてからが、苦労時代を共にした古女房を捨てて不倫相手の田舎芸者と再婚してしまうような人だったんだが。
http://hagakurecafe.gozaru.jp/iro5itouhirobumi.html
日本とは、そういう人が総理大臣になる国だよ。素晴らしい国だ。
そして、伊藤も新藤も(その点では)素晴らしい人だった。
監督としての新藤は、どこがいいのかさっぱりわからないが。 >監督としての新藤は、どこがいいのかさっぱりわからないが。
そこそこの監督だと思うけどなー。
>>546
要するに、監督としての新藤を評価しないことで、通を気取れるってところがあるんだよ
洋画ならワイルダーなんかがそう。脚本はいいけど、監督としてはルビッチの足元にも及ばないって
言っておくと、とりあえず映画通として格好がつくみたいな(実際、及ばないと思うが)
ディカプリオが、スピルバーグの作品でどれが好きって聞かれて、「激突とジョーズのような
初期作品を好きって言っておくと、マニアックな感じで格好がつくからそう言っておく」
って、皮肉混じりに言ってたw
映画に限らず、小説家や漫画家でもそういうポジションの作家って結構いる
とりあえず、特定の時期の作品を評価する(もしくは貶す)と、通ぶれる、みたいな 通ぶりたいとかそーゆう人いるかもしれないけど、
見る側の感情として、この人の映画が次々に見たいって思えるような期待が湧かなかったな。
他の監督の映画でも脚本で名前見ちゃうとあぁ失敗した〜とか思っちゃうくらい。
でも先日、原爆の子を見てやっともうちょっと見ようかなって思えるようになったけど。 >>547
そうやって妄想のストーリーをどんどん作っていくってのは、一体何?
俺は「わからない」と言っただけなんだけど。 まあ2ちゃんはどこの板にいっても通ぶりたいやつばっかりだけどね >>549
嫌味なお前に対する嫌味に決まってんだろw 新藤兼人監督をしのぶ特別展ttp://www.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4004078491.html
ことし5月に100歳で亡くなった映画監督の新藤兼人さんとゆかりの深い尾道市で、新藤さんの作品の脚本や
ポスターなどを集めた特別展が開かれています。
新藤兼人さんは、尾道市で暮らしていた21歳のときに見た映画がきっかけとなり映画監督を志しました。
会場の「おのみち映画資料館」には、新藤さんが監督した映画の脚本やポスターなどおよそ90点が展示されています。
このうち、尾道市内にある老舗の旅館で撮影が行われた作品「石内尋常高等小学校 花は散れども」を紹介する
コーナーには、90歳を超えた新藤さんが撮影中にスタッフに指示を出す真剣な表情を収めた写真などが並べら
れています。また、新藤さんが尾道市の因島を訪れた際に書いた「映像にとりつかれた一生でした」というメッセージ
付きのサインや、新藤さん本人が映画のせりふをあとから書き加えた跡のある脚本なども展示されていて、
訪れた人たちの注目を集めていました。特別展「新藤兼人監督を偲ぶ」は9月3日まで開かれています。 昨日の文芸坐多かったな。
年齢層が高かったのは初期作品のせいなのかな? http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp1-20120806-996067.html
新藤兼人監督、裸の島に散骨
5月29日に100歳で死去した映画監督の新藤兼人さんの追悼上映会が5日、
東京・新文芸坐で行われ、孫娘の新藤風監督(35)がトークショーを行った。
風監督は、神奈川・鎌倉霊園に納骨した遺骨を早ければ9月に、
新藤さんの代表作「裸の島」の舞台となった広島・宿祢(すくね)島に散骨する意向を示した。
広島は新藤さんの故郷でもある。
また新藤さんが結婚前、妻となる女優乙羽信子さん(享年70)と
夜の京都の街を歩いた時の話をしたためた原稿を、
京都市・妙心寺衡梅(こうばい)院にある乙羽さんの墓に納めるという。
原稿は昨年10月に書いたもので結果的に遺稿となってしまったという。
[2012年8月6日7時3分 紙面から] ベニチオ デル トロ が新藤信者で対談もしており
(まるでヨーダみたいに思ってる感じだったw)
裸の島ロケ地まで来ていたとは・・・
「Shindoh」は海外ではハッタリの効く教養なのかもな。 そりゃロッセリーニくらい信奉する人がいてもおかしくない。
愚作は海外にはまだ紹介されてないだろうし。 黒澤が新藤作品を海外の映画際で見てて、つまらないから
途中退席しようとしたら、日本の記者も来てるから
黒澤が退席したと書かれますよとかいわれて、仕方無しに
最後まで我慢。
後で外国の記者から、退席しようと思ったけど黒澤が見てるのに
その前を横切って出ていくわけにいかないから我慢してたと聞いて
大笑いしたそうなw 黒澤は、山本薩夫の葬式にも(付き合い上、仕方なく)参列したが、
同席した知人に山本についての陰口を喋りっ放しだったそうだ。 >>563
それは何の作品だ?
ま、黒澤と新藤って相性悪そう。それも黒澤が一方的に嫌ってそう。
天才が秀才の理屈っぽさを毛嫌いするような
橋本忍いわく、黒様は脚本づくりの際にストーリーの先読みが嫌いだったそうだが、
新藤は山田洋次に「まるで科学者のようだった」って追悼時に言われるほど、
話を最後まで見通した上で、分析に分析を重ねて作るって信念があるだろうし まあ黒澤も晩年の愚作で笑われてるんだからいいじゃないか。
とはいえ、新藤の愚作はこれまたとてつもないがなw 日本人監督って70歳過ぎると衰えが激しいんだよな
白人監督だと、衰えないとは言わないが、まだ緩やかな気がする
ポランスキーの新作も面白かったし、シドニー・ルメットの遺作も面白かった
どっちも80越えてるのに 諏訪野しおりを裸にする必然性はない。
それを脱がしたのは新藤の趣味。
新藤のつけた芸名を捨てたのは
よほど嫌な思いをしたのね。 諏訪野しおりは「落葉樹」以前から脱いでたし、
名前は、新藤が付けたものの前にも後にも何度も何度も変えてるし。 原爆の子でもピカの瞬間になぜかオッパイ出しまくりw 女優に脱いでくれといっても拒否されることが多かったから、いつまでも乙羽信子に脱がせてたのか >>566
外人監督はフォードみたいに演出だけする人が多いけど
日本人監督は原作から宣伝から編集から脚本から何から何までやろうとするから
年寄りには肉体的につらいのでは?
外人はファインダーすら覗かない人も多いから体が楽なんだろな 100歳にもなると役者の起用も相当保守的になってまわりも困ったろうな。
一枚のハガキの大竹しのぶも豊川悦司もどう見ても年食い過ぎててミスキャストだろーが。
100歳から見ればあれでも青春ただ中の「若者」なんだろうが、
おそらく今の20代の役者全然知らなかったのか、あるいは信用してなかったんだろうな。 この人の年齢でたったの10人分さかのぼると1012年になる。感慨深いな。 強い国=いい国ではないというのが新藤のメッセージだったんだがな 乙羽信子にガチフェラされてた少年が今やひな壇芸人ですからね
(若手お笑いライブで暴露 客がもう乙羽を知らないのでハズしていた) 新藤監督が生まれた頃、
百年たった今、
そして百年後も
日本がますます強くて豊かないい国でありますように もちろん観たことあるよ
新藤は戦後左翼ではない年代の人だから
反日でない愛国左翼という感じの人だね 水木しげるもそうだが、この人たちは軍隊で一番下っ端の二等兵として
酷い目に遭った怨念がスタート地点だと思う。
天下国家の大局を右や左の立場から偉そうに語る前に、小さいグループ内や、
個人レベルの人間の残酷さ、卑怯さから目をそらすな!
天下国家の名の下に正当化するな!っていう信念。
そういう人にとっては、「国家(政府)」への批判と、「国土」を愛することは、
必然的に別々になるんだよな そもそも「左翼=反日」って図式を疑ってない時点でネトウヨの宣伝に毒されてるw 特攻隊考え出したような昔のキチガイ愛国者もネトウヨも大差ないんだけどな。
一番大好きなのは、憂国やってる自分自身であって
国なんてどうなってもいいんだよ。 1950年代あたりだと日本共産党が「民族」をスローガンに掲げ、
対米追随の日本政府を売国呼ばわりしていた。 まぁオレたちも新藤さんのように
天皇陛下に敬意をはらう愛国者であろうぜ 天皇だろうが神だろうが俺には関係ない、
俺は俺の荒ぶるままに相撲を取る! 新藤は深作が荻野目慶子を犯したみたいに
諏訪野しおりを手籠めにしたの? 若い頃からチンチクリンで風采の上がらないおっさんって感じだった >>562
信じ難い。どこにそんな事書いてあったの? 「銀心中」観たけど同じ長門裕之が出てる「秋津温泉」よりいいね 若い人達の生き方や悩みについて興味があったのかな。
「ブラック・ボード」や「絞殺」は斜め上を行く怪作だけどw
「積木くずし」の脚本も書いてるんだね。 新藤監督、恋愛映画とるならどんな作品にしてただろう >>598
おか目とひょっとこの面を被ってエロいことする作品 >>602
身も蓋もない言い方だが、電話のベルが鳴るのが嫌だったら、
線を抜くなり、受話器を上げておけばいいのに、と思った
フラワーメグはエロくてイイね! 「原爆の子」 をようつべでフルに鑑賞
「鉄腕投手・稲尾物語」 で稲尾和久の少年時代を演じてた子役が出てるな 賛歌
老婆役の乙羽信子にインタビュアー役の新藤監督が取材中、
2度ほど吸血鬼のように片方の口の端から血を流している
カットが挟まれていたけど、どういう隠喩? ブラックボードは時代的に尾崎の曲がピッタリだと思うが、何故にサザン >>606
白塗りの乙羽信子が河本にしか見えなかったことしか憶えてない 『賛歌』は、元祖「家政婦は見た」
主人の秘密を知りすぎている。 家政婦とは全然違う
最終的には二人の生活すべての世話をしていた介護者だもの
しかも芸弟子でもあるわけで何でも知ってるのは当たり前 >>611
あれはすごいよね。
セックスの様子まで知っている。
インタビューアーの知りたいことは何でも知っている。
うれしさのあまり、インタビューアーは喀血・・・・というのが真相ですよ、>>606さん。 >>612=>>614はこのスレに張付いているの? 「三文役者」での荻野目慶子のマンゲ丸出し裸踊りはやっぱりいいな。 深作欣二監督の「現代やくざ人斬り与太」に、新藤監督の「鉄輪」のポスターが写ってた 絞殺を見た トンデモ映画だ
初デートで同級生を犯そうとしたくせに父親を汚いと非難する濃い顔の息子
死んだ息子との思い出に耽りながらオナニーする乙羽信子、
それに襲いかかる西村晃
雪の冬山でSEXする高校生カップル、しかも対面座位あり
死んでる岡田英次の胸の上に非難のメッセージの書かれた紙片
いちいち6人一組で現れる(個性派役者演じる)近所の人達
乙羽信子も裸になりすぎ 乙羽は新藤に出会わなければもっと良い作品、
面白い役も演じられただろうにと残念