日本の首領を語れ
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あんたとこの社長がな、わしのカカアと寝さらしたんじゃ、あんたら下っ端じゃ
話にならへんがな、社長出せ、
黙ってスケベー社長ださんかえー。
志賀 勝 うまい。
日本版ゴッドファーザーとして あの東映きってのそうそうたるメンバー。
梅宮の出番 少なすぎ。 2作目の松方さん、かわいそすぎる。
中島のために働き、そして最後は愛人にも突き放され 全てを失い自決。
やはり ドンのいうとうり 一番大事なのは 引き際だね。 あの映画、ドンの苦悩 幹部の派閥等 よく描かれてます。
一作目の菅原文太の演じた役 最初は、高倉 健さんに依頼がきたらしいが
断られたようです。 高倉さんは どういうわけか 網走番外地編終了後
任侠映画には全くでなくなりました。 その辺の事情詳しい方教えてください。 >>8
任侠ではないが「冬の華」は?
ストーリー的には任侠モノを下敷きにしていると思うが。 日本のドンは 私にとっては 最高傑作品であるが その前にだされた
日本の黒幕は、駄作に等しかった気が、監督中島貞夫、主演佐分利信で同じだが
いかんせん 金のかけ方 作り方のレベルのケタが違うね。 >>8
東映退社と任侠路線生みの親・俊藤さんの別れ・・
健さんの東映退社理由。
推測その@
1972年藤純子引退記念映画「関東緋桜一家」が事実上の「任侠映画」の終焉。
健さん・鶴田・若富等による任侠路線も下火だった。変って出てきたのが文太の
「仁義なき戦い」これが空前の大ヒット。岡田東映社長・日下部Pが「実録路線」
へ変更。任侠路線を牽引してきた俊藤浩滋P(任侠路線の立役者であり藤純子の実父。)
が猛反発。健さん・鶴田等は使わないよと岡田社長の意向に・・当時の東映は揺れた。
しかしある大物の仲介で一件落着。健さんも実録映画「山口組三代目」に主演。
文太は実録路線のヒーローとして東映の稼ぎ頭へ成長。
任侠路線がなくなった健さん映画は「ゴルゴ13」「新幹線大爆破」と劇画・パニック
映画。東映を支えてきた自負が路線変更により東映に対して不信感が大きくなり・・
退社の原因の一つ。
推測そのA
東映のエース健さんだったが東映ではナンバー2。鶴田がトップ。ギャラ・クレジット共に。
これは俊藤さんが頑なに守った。そして俊藤さんの盟友通称ボンノこと菅谷氏の若き日を
描いた「神戸国際ギャング」の冒頭シーン(セックスシーン)で揉めた。
この事が引き金になって俊藤さんと袂を分かつ形に・・自然東映退社に繋がる。
推測そのB
東映二十年間で得たモノ「任侠のイメージ」を払拭したかったんでは?
五社協定で自由他社出演が健さんは出来なかった。
事実外国映画出演2本と勝新映画の1本の計3本のみ。
40歳を越え「俳優人生」を考え直した結果。他社出演可能な「東映退社」
を選択したのが三つ目の理由。
マアあくまでも「推測?」なんで何とも言えんが・・
事実は「本人」のみ知る事が「事実」は間違いないだろう。
秋吉久美子と高岡健が久々に共演していたのを観られて嬉しかった。 すまぬ。大勘違いですた。あれは「制覇」でした。失礼。 >>7
二作目の藤岡琢也惨殺シーンがトラウマ
>>16
「日本の仁義」「制覇」の藤田進は割を食ったね 日本のドンってモデルはいるの? いるとしたら山口組3代目ぐらいしか思い浮かばんが・ これは、山口組3代目田岡組長さんがモデルです。
映画の企画に 田岡満さんの名前もあります。
あの黛 敏郎 作曲の音楽 素晴らしい。
これからの中島は もう力一辺倒でメシの食える時代ではない、タタタタ〜タ
>>23
劇映画としては第三作「完結編」(1978)の翌年の『真田幸村の
謀略』(監督中島貞夫)が最後の作品。その二年後に出演された
記録映画『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』(浦谷年良監督)
が遺作。 >>25
ありがとう。御大はさすがに大物然としてたね。 ドンは先を見る目が優れていた。
大石は、はっきりドンの座に目 向けている、大山さんは、大石に殺される。
そのあとに 何が来るか、 お前達もそれくらいわかるだろう。 ドンの馬鹿娘と
肉体関係を持ってしまった若造のヤクザが
兄貴分である松方に殺されるって話があったのは
このシリーズだっけ? バシーン アホンダラ、チンピラやあるまいし それ位のケジメ 己でつけ、
です。
でも チョット厳しすぎる、絶縁処分でよかったのでは。 尾藤イサオも絶縁処分後 あしたのジョーの口笛を吹きながら夜の街をさまよえばよかったんだが。 あの娘役の女優と火野正平と一緒に放浪している女優は
他の作品では観ませんね。 >>28>>34
トンネルを必死の形相で逃げる尾藤イサオ、悲哀があったね。
あのころの東映実録路線の「チンピラ」はパンチが効いててよかった。
渡瀬恒彦、尾藤イサオ、桜木健一、清水健太郎、にしきのあきら、火野正平、地井武男、石橋蓮司
大部屋では川谷拓三、成瀬正孝、片桐隆次、奈辺悟、誠直也、小林稔侍、野口貴史 誠直也も大部屋だったの?
知らなかった。
ゴレンジャーで初めて知った口で… 第一作の待田京介、カッコ良すぎる。寡黙な役も上手い。
この人にとって、不可能な役は無いんじゃなかいかな?
天才俳優だ。 待田はもう一歩のとこまで来てたのに主役は結局一本もなかった。
その点で菅原との差はとんでもないものになった。しかし、何を
もって大衆はその人を選ぶのかなんて未だ分からん。
渡瀬恒彦を賭場荒らしで殺されるだけに使うなんて勿体ないというか豪勢というか… >>38
あの女優さんはレコード会社から推薦されたシンガー・ソング・ライターさんだったようです。
>>42
待田は芸歴が長いので、日活時代に主演している。TVでも主演はあったと思う。確かに日活
を離れて以降は本編での主演は無いようだが、やはり巧過ぎて地味に見えたのだろう。
>>43
東映オールスターということで、当時の俳優さんはみんな出す意向だった。健さんは出なかったが当初の
キャストには入っていた。文太が三回違う役をやったように、「仁義なき戦い」と
同じく日本の映画界の俳優の層の薄さが見えてしまうのは辛い。 >>42
鶴田、高倉、若山に続いて
第4の任侠スターを売り出そうというとになり
文太と待田どちらかを
主役級に持ってくることになり
結局、文太に決まった
と俊藤さんの本に書いてあったな。 >>45
待田が、あ〜でもないこ〜でもない、あれは嫌だこれは嫌だと煮え切らない態度だったので外された。
結果、その後の実録路線から干されてしまった。
「明暗を分ける」とは本当にこのことだよね。 それまでの山口組をモデルにした作品が健さんの「山口組三代目」シリーズ2作を
除くと外伝ばかりだったのに対し、これは大組織の内部をじっくり描く作風で、
ちょっと期待したのだが結局、中途半端に火野正平演じる流れ者のチンピラの出番が
多かったり、娘婿の高橋悦史が医者としての倫理に悩んだりと、焦点の定まらない
作品になっててイクナイ。黛敏郎の音楽も作品の鈍重さを助長してる。 「かどの更科でっしゃろ。わし、あそこのけつね大好物でんねん」
成田三樹夫 制覇、激動の1750日、 これらの作品に成田さんがでてたら、もっとインパクトあったんだが。
やはり主役が光るのは、名脇役による。
しかし1作目のあの品川隆二、あれはなんなんだ。
かつて松方の父、近衛十史郎の相方を務めた人物がセリフ全くなしのワンシーンカットで
キャストの字幕では、大部屋。 これって
山口組がモデルってのは明白だが
1作目の鶴田浩二が演じた
若頭(一般会社でいう大番頭)のモデルって
60年代の山口組若頭・地道行雄なんだってね
地道がモデルの映画キャラといえば
「仁義なき戦い 代理戦争」で山本燐一が演じた役
山本燐一と鶴田浩二のギャップがありすぎて・・・
けど、地道って人は
山口組の勢力拡大に大いに貢献した
武闘派の戦闘隊長タイプだったらしいから
たぶん山本燐一の方がモデルとしては似てるんだろうな
ところで1作目で孤軍奮闘で
人を殺しまくっていた
千葉真一のモデルって
やはり“殺しの軍団”柳川二郎なのかな?
一作目の幹部会の場面で千葉真一と林彰太郎がもめたところで、鶴田浩二が
「内輪もめする元気があんねやったら腹にためとけ。」と言ってから「日本は
広いぞ。戦争はこれからやないけ。」というまでの1分あるかないかの部分。
私はあの場面は鶴田浩二の生涯最高場面に数えてもいいと思うのですが。
それにしてもあの頃の鶴田浩二は腐る寸前の果実と言った感じで最高に味が
出てましたね。
あれから何年かたったらすっかり偏屈なオヤジになってましたから。 そういえばあの時、日本の首領・日本の仁義に続いて高倉健主演で
「日本の残侠」という映画を作るつもりだったらしい(というか予告編
まがいまで見た記憶があります)けど、どういうわけか立ち消えになった
みたいですね。
事情を知ってる方がいたらお教えいただきたいです。 >>52
禿堂
”腐る寸前の果実と言った感じで最高に味が出て〜”
漏れも初見の時まさにそう思いまつた この作品の鶴田さんは表情が素晴らしいと思う。
言い方を変えれば、セリフのないシーン。 黒幕の大山先生役が
突然、内田朝雄から片岡千恵蔵に変更されているのに戸惑う。
第一作の文太役は第二作以降の三船役と同一人物なのかな? 三船・佐分利対立の構図で橋渡しの役が重要になったのと
東宝重鎮・三船 松竹重鎮・佐分利 東映重鎮千恵蔵の
三大大御所出演も売りにしたかったんだろう・・
後中島監督が御大出演を熱望したのも大きい。
中島監督の著書にあるが三人の初顔合わせの時、
佐分利が御大に近つき「佐分利でございます」と
御大に一礼。御大は佐分利に「おー」と一言。
三船は監督に椅子を用意して「監督どうぞ・・」
と二人には近寄らなかった・・
三人の序列が千恵蔵>佐分利>三船だった。
昔の映画界は先輩・後輩が歴然だった。
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