健さんのイメージは、男らしく、義侠心あふれ、禁欲的、寡黙。
だが、これらを支える「強さ」が重要。
いざとなれば、全員やっちまえるのに、それを組、恩義のために抑える。
しかし、抑えきれない男の心、最後に爆発して本性の暴力性を開放する。
この強さを秘めた禁欲さか、まあ、男の美学ですな。

翻って>>252さんのいう、雑魚を血祭りに上げるシーンは、
ちょっとこらえきれなかったのか、という気持ちが残りますね。
だって、健さんから見たら、相手にするほどの連中ではない。

自分の勝手な感想だと、「冬の華」は、センチメンタルで好きな作品だが、
健さん視点の「一人称」が、まずかった。
さらに、カタルシスのための「暴力シーン」が少なさ過ぎる。

ゴッドファーザーをまねた南らの「討ち入り準備」?も、ほとんど不発。
小林稔侍も、カタギになった身を振り捨てて、殴り込みに加わらねば。

緋牡丹博徒、残侠伝、総長賭博とまでは行かないにしても、
最後には、相手の組事務所に殴り込み、敵を皆殺しにして果てるのがいい。
ここは、かつての歌舞伎風でなく、現代的なタクシードライバー風で。

最後は、若妻になった池上季実子が、健さんのお墓に花を添える。
そこに雪が降りかかる。
花の上に降り積もり雪片。
流れる涙を拭気もしないで、雪の霊園の道を歩み去る池上季実子。
クロード・チアリのテーマが重なって おしまい。

なんてね。