【昭和五十三年】冬の華【東映京都】
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企画…俊藤浩滋 橋本慶一
監督…降旗康男
脚本…倉本聰
撮影…仲沢半次郎
主演…高倉健
静かに、渋く、(なくてもいいけど)語って下さい。
藤田進ってあんまり好きな役者ではないが、この映画の彼はいいなあ。 ラスト、峰岸とかボサッと突っ立ってねーで自分でやれよ、
役立たずだな〜と思いますた ノ(^^) 仮に、峰岸とかが先に仕事しちゃったら
その後の展開どうなったのよ?
と突っ込んでみるw 岡田真澄がトップを務める「関西」の組の出先事務所がある場所、という設定で、
ロケ撮影された、伊勢佐木町5丁目の一角。
http://www.gz-loader.com/scenery/data/1253690842/org/image1315929689.jpg
写真上は、会長が殺された後に激怒した山本麟一が殴り込みしようとする場面。
周囲の風景は、暑苦しい顔の後ろにちょっと見えるくらいだけど、この場所に間違いない。
それにしても、何でこんな、何の変哲もない、フツーの商店が並ぶ場所を選んだんだろう。
もっと「絵になる場所」は近所にも他にあるのに、あえてフツーの、
如何にも商店街っぽい風景を選んだのか? >>216
ベタな展開だけど“腹心が健さんのために独断でトライしてあえなく玉砕”って一幕があればよかったかもね。 >>214
そんなんまだ甘いわ。
車でそっと池上つけて眺めてたりってストーカーだったじゃねーかよ。
しかもロリコン。
「おまえ、ブラジルのおじさんなんだってえ、出たらやるんだろ?」とか言われてキレたのは、図星だったからって観ている人がみんな思っちゃう脚本は酷すぎるぜ。
それとさ、健さんヤバイってんでみんなが稔侍のとこ集まって緊張している最中に、なあんで池上のこと考えちゃうわけ?
あー情けなかー。
少しは寺田の苦悩とか考えてあげて。
倍賞姉妹丼をやらなかったことは評価します。
あれは邦衛が悪い。あんな悪戯はダメだろ。
健さん溜まってただろうに・・。 安価版のが売ってたので見た。
おいらが健さんなら確実に倍賞美津子とやってるな(´・ω・`)
良い映画でした… すごい長寿スレですね。昨日初めてこの映画見ました。
健さんの渋さが良かった。
久々にセリフで「トルコ」という言葉を聞いて、
初めは普通に国名の方かと思ったことに時代の流れを感じました。
今の若い世代だと「その女はトルコ(国)に行ったのか日本にいたのか、話がわかんね」ってなりそうw >>198
わかったーっ!
健さんが一人で元町をブラブラと歩く場面で、
望遠レンズの隠し撮りで撮影されている健さんの前を通り過ぎる男だね。
しかし、言われてみなければわからない。それに、本当にあれは佐藤純弥なのかな。
確かに(言われてみれば)佐藤純弥に見えるけど、他人のソラ似と思えなくもない。
(健さんと佐藤の関係を考えれば、カメオ出演というのもうなづけるが) 路地裏でキレてチンピラを蹴り殺してしまう健さんが好きです。今こんな描写をやったら問題にされるんだろうな 殺しちゃいないよーっ。
血祭りに挙げた、っていう程度。 >>217
そうそう、裏切りものだけ殺って終わりって、えーっ?って思ったわ。 倉本さん、洋子役を山口百恵にやらせたかったんだけど、百恵ちゃんのスケジュールが合わなかった。
南極物語の夏目雅子が演じた役も当初、百恵ちゃんにオファーしたが、ダメだった。健さん、百恵ちゃんにはフラれ続けてるんだよな… この作品、大好きで何度も見てますが、今度テレビでやったのを見て考えた。
全体が健さんの「主観」で描かれていて、そこが叙情を出しています。
一方、仮に「客観」視点でみると、ようはヤクザ内部の抗争と権力争い。
その観点で見ると、健さんは「操り人形」だったのではないか?
南(田中邦衛)、立花(夏八木勲)、ミナケン(峰岸徹)らは、
親分の殺害をきっかけに、一本気で世間知らずをヒットマンをあやつり、
組織内の対抗馬の小池朝雄を殺害し、主導権を握る。
関西側と戦うと見せかけて、結局手打ちに持ち込む。
新時代にふさわしいビジネスライクな組織のためには、健さんタイプは不要。
オジキグループを一掃し、次世代が権力を握るためには、山辺を倒すのが一番だ。
首謀者は明らかに南ですが、北大路欣也が黒幕の可能性がある。
ゴッドファーザーで言えばマイケルの北大路にとって、
暴力に頼る健さんは邪魔な存在。
南と一緒に健さんのプライドをくすぐり、いいように操って目的を達成した。
山辺殺害に至るシーンを見ても、明らかに健さんを主犯に仕立てる意図が丸見えだ。
といった観点からみると、南や北大路欣也の言動のダブルミーニングがよく分かりますw
洋子の存在も、南らが健さんを犯行に追い立てるコマに過ぎなかったと思える。
>>239-240
悪気はないんだろうし、その書き込み自体は面白いけど、
せっかくの感動がさめるようなことを言わないでくれ。 >>241
興ざめさせてスマン。
年取ると、つい裏を見たくなるもので。
でも、例えばこの作品の元ネタの「ゴッドファーザー」などは、
どの人物の視点から見ても、構成が揺るがない。
>>242
「W」でもなかったかな。
>>213
去年のレスだけど、言えると思う、賛成。
結局「冬の華」は、東映ヤクザ映画(+任侠映画)の
賑わいのある大通りの路傍に咲いたあだ花。
だからこそ美しい。
全編、東映ヤクザもののパロディー、いやオマージュでできている。
それをひっくり返し、日常的視線、男の内面から追ったのがこれ。
仮に加藤泰が撮ったら、全く別の作品になったろうな。
まあ、倉本聰だからこうなったんでしょうが。
全編、東映ヤクザもののパロディー、いやオマージュでできている。
それをひっくり返し、日常的視線、男の内面から追ったのがこれ。
イミフ。どっちなんだ? 実録シリーズで、ヤクザのえげつない部分に焦点を当てたから
もう一回、健さんのロマンの世界に戻そうとしたんだろうけれど
昭和五十年代のヤクザ社会で、健さんのロマンを作ろうとするのは
絵空事になって説得力を欠いてしまう。
実録シリーズの破壊力は強かったなと思う。 >>245
曖昧でスマン
>>246さんのがよく言い当てている。
個人的印象では、オマージュをしようとしたが、裏返ってしまった、というところ。
もともと東映ヤクザ映画は、義理人情と任侠道という建前を基本に、
儀式的なスタイルで、様式美を追求した舞台芝居のような世界。
それが、アメリカのマフィア映画、実録もののヒットで
かつての世界観が成立しなくなった。
「冬の華」の制作意図としては、現代的なヤクザ映画ということで、
かつての任侠道をモダンスタイルで描くことにあったと思う。
しかし、倉本・降旗がつくったものは、任侠道すらも「感傷」や
「男のペーソス」の材料にしてしまう「私小説的な作品」。
仁義が建前でしか無くなった時代に、ヤクザを描くなら、
例えば、コーエン兄弟の「ミラーズ・クロッシング」のようなスタイリッシュ路線もあった。
それが「私小説」になったところに「冬の華」が「名作」になった理由があると思う。
>>246
「破壊力」
その通りですね。
この偶像破壊のあと、偶像を拝む人は誰もいない。
観終わってどうもすっきりしない。
かつての東映任侠映画の健さんなら、池部の娘が大人になった時点で、自分が父親を殺した男だと
名乗り出て詫びを入れただろう。そうせずに恩人だと思われていい気になって、現実からは逃げている
男が果たして漢なのか?
健さんが身内の裏切者を始末して豚箱へ逆戻りしたところで、岡田真澄の組は痛くも痒くもないではないか。
>>248
この解釈もなるほどと思う。
池上季実子に名乗り出ないなら、そのまま旭川の木工工場に行けばいい。
北辺の地で、寡黙に過去を背負って生きる、という描き方もできたかも知れないヰ。
居酒屋兆治の重いバージョンも面白い。
それじゃあ映画にならないちうなら、>248さんの言うように、
娘に告白した後、自爆的な殴り込みをかけて、清く果てる。
相手はもちろん、岡田眞澄だ。
小池を殺ることは、第二の池上季実子を生むことで、自分の行為への自覚がない。
娘に無言電話をかけたり、南の事務所で対面してもしらを切るなど、
ちょっと奇妙な構成だと思った。
>>251
トンクス。
健さんが岡田の組の者に絡まれてブチ切れて蹴り殺すシーンがあるが、あれなども
それこそ、かつての健さんなら組の事を考えて黙って殴られて「気が済んだか?」
とニカッと笑って立ち去る場面ですよね。倉本聡の狙いが任侠映画のルーティンを
ひっくり返すことにあるのなら話は別だが、そこまで徹底されてる訳でもないしね。
健さんのイメージは、男らしく、義侠心あふれ、禁欲的、寡黙。
だが、これらを支える「強さ」が重要。
いざとなれば、全員やっちまえるのに、それを組、恩義のために抑える。
しかし、抑えきれない男の心、最後に爆発して本性の暴力性を開放する。
この強さを秘めた禁欲さか、まあ、男の美学ですな。
翻って>>252さんのいう、雑魚を血祭りに上げるシーンは、
ちょっとこらえきれなかったのか、という気持ちが残りますね。
だって、健さんから見たら、相手にするほどの連中ではない。
自分の勝手な感想だと、「冬の華」は、センチメンタルで好きな作品だが、
健さん視点の「一人称」が、まずかった。
さらに、カタルシスのための「暴力シーン」が少なさ過ぎる。
ゴッドファーザーをまねた南らの「討ち入り準備」?も、ほとんど不発。
小林稔侍も、カタギになった身を振り捨てて、殴り込みに加わらねば。
緋牡丹博徒、残侠伝、総長賭博とまでは行かないにしても、
最後には、相手の組事務所に殴り込み、敵を皆殺しにして果てるのがいい。
ここは、かつての歌舞伎風でなく、現代的なタクシードライバー風で。
最後は、若妻になった池上季実子が、健さんのお墓に花を添える。
そこに雪が降りかかる。
花の上に降り積もり雪片。
流れる涙を拭気もしないで、雪の霊園の道を歩み去る池上季実子。
クロード・チアリのテーマが重なって おしまい。
なんてね。
>>253こいつの薄っぺらい感想文にワロタw
的外れな内容のくせにまた臭い長文w 池上季実子って、ぜんぜん股臭くなさそうで、そこがダメだな。
無味無臭って感じだ。
「冬の華」のヒロインは、ちょっと匂う方がいい。
山口百恵だったら良かったんだよ。
いまリメイクするにしても、武井咲とか剛力彩芽や前田敦子じゃダメだ。
洋子が百恵だったら、三浦洋一は友和にチェンジされてたんだろな あまり目立たないけれど、寺田農がかなりのキーパーソンだね。
この人はもともとの俺のアニキだ
おおおそうか、ほないこか >>255
倍賞美津子は匂う感じだな。
>>257
寺田農はいいねえ。
あの思い詰めた表情が役柄にあっている。
既出かも知れないが、小林稔侍はこの作品で心に残った。
例のカウンター越しに出刃をそっと差し出すシーン。
握りやすいように取っ手を相手に向けて出刃を置く@カットだが、
これで小林稔侍は「俳優」になった。
ちょっと違和感のあるのは中華料理屋の小沢昭一。
台詞もアドリブっぽいし、健さんもどう返していいか、戸惑っているような芝居だ。
このシーンは、全体の中で妙に浮いている。
>>260
稔侍は台詞がなくて大正解だったな。喋ってたら台無しだった。
本人は最初は不服だったろうな。 >>261
それは、どうかな。
「バトル・ロワイヤル」の安藤政信もセリフなしだったけど、あれは最初はセリフが結構あったのに安藤の方から「セリフなしにしてください。
死神みたいなキャラで徹底させたいです」と頼み込んできて、結局ああいうふうになったってことだよ。
「冬の華」での小林稔侍も、セリフなしだからこそ生きる役だとわかってだだろうから、納得して芝居してただろうと思う。
峰岸徹の役も、もっとセリフが少ない方がよかった。健さんを慕う気持ちを言葉で説明し過ぎてしまってる。
>>261>>262
台詞の有無は、微妙なところですねえ。
個人的には、小林稔侍=寡黙という印象はぴったり。
余談で申し訳ないが、乃木坂にある喫茶店に行った時、
高倉健と取り巻きが数人入ってきたのに出くわしたことがある。
「冬の華」を見る前だったので、小林稔侍は意識しなかったが、
話の感じで健さんと後輩たち、という印象を持ったので、あるいはいたかも知れない。
意外だったのは、健さんがよくしゃべっていたこと。
後輩?が何か言うと、愉快そうに教えたり、諭したり、おしゃべりと言っていいほど。
映画の印象とまったく違うので驚いた。
他のシーンでもそうなのか分からないが、気の許せる仲間?たちと一緒だと、
明るく愉快になれる人だと勝手に思った。
背が高く、喫茶店の席に座っているだけで輝いていた(とおれは思った)。
直接健さんを見たのは、このときが最初で最後。
>>263 なるほど、似ている感じがする。
>>264
健さんはおしゃべりで有名だよ。
気を許せる人たちだと超饒舌。
いい時に遭遇しましたね!羨ましい。 >>265
そうだったのか、知らなかった。
テレビにも出ないし、映画の寡黙なイメージしかなかったのでびっくりした。
その喫茶店にはよく来るらしかったが、店の人も他の客も、
ごく普通の対応でスター扱いしないのが好印象。
よくスターの色紙とか記念写真とか飾ってる店があるが、まったく違う。
ただし、そのせいで自分もサインが欲しかったのだが、
声を掛けられず、惜しいことをした。
健さんもまわりの人も背の高い人が多く、
よく覚えていないがおしゃれでかっこよかった。
誰かが着ていた革のジャケットの色と質感がすごくきれいだった。
マフラーしていたのを覚えているので、冬だったのか。
>264
よく喋るといえば薬師丸ひろ子とのトークは面白かった
「なんでそんなにブスなの?」「あんた、拾われてきた子なんじゃないの?」
とか健さんがガンガン攻めてたなw
閑話休題
倉本聰というのは我が強くて、大スター健さんを使って何かやらかしてやろうという気があったのか
「あにき」でのセルフパロディの殴り込みシーンは酷かった
あれは古谷一行、大林監督の「金田一耕助の冒険」とならぶ世界二大セルフパロディ問題作だw >>267
ウィキだと、倉本聰は東大でたあと、ニッポン放送に勤務し、
こっそり脚本を書いていたが、ラジオライターに終わりたくないので
東映の岡田社長に転職を依頼したことがあるようだ。
当時の東映は任侠路線が延びていた時期だし、インテリにありがちだが、
ヤクザ路線への興味は元々あったんだと思う。
今「仁義なき戦い」を通してみているのだが、
純粋に映画の脚本家としてのスキルを見ると、笠原和夫とは、
掃討の差がある(倉本が落ちる)と思う。
個人的に「冬の華」は好きだし、倉本作品も気に入っているのが多いが、
やはり倉本聡はテレビが一番あっている作家だな。
>268
さっき、録画してた倉本と山田太一の対談番組をみたが
やはり倉本は演劇の人だから映画よりセリフ台詞重視のテレビドラマにあっているのだろう
木下の弟子筋ともいえる山田太一と二人して
木下恵介の脚本はつまらないともいってたなw 空港にて
健サン「初めまして!馬場さん!今日は何方へ?」
G馬場(無視。葉巻銜えたまま外方向く)
健サン(怪訝な顔で去ってしまう)
G馬場「誰だ アイツ 慣れ慣れしい・・・」
腰中 「マズイですよ!健サンですよ!」
G馬場「そんな奴知らねえよ!水戸黄門出てネエだろうが!」
(実話) >>202
すごく以前の買い込みだけど、このシーンはおれも大好き。
大滝秀治は昔から「初老のオッサン」という感じだが、
このときの町工場の工員という設定がぴったり。
ロケ地のことですが、個人的な印象だと、
東邦生命ビルが移るシーンと、線路脇の公園は別の場所だと思います。
このシーンを勝手に考えると、
高層ビルが建ち並ぶ都会の片隅にあるうらぶれた町工場。
線路脇の小さな公園で出所した弟との再会する。
電車の音がうるさい四畳半で安ウィスキーを酌み交わす中年の兄弟。
といった演出意図があり、それに応じた場所を集めて構成したのでは?
下町の軒の無効に東邦生命ビルが見えるシーンは、北新宿あたりか?
線路脇の公園は、新大久保か、高田の馬場あたりか?
そんな気がします。
>>272
「すごく以前の買い込み…」
熱心な長文だということは素直に感じる
しかし冒頭の奇怪な誤字のせいでまともに読む気にならん
↑
これ皆の総意な >>273
誤字達治が多いのは悪い。
仕事中に後ろをとおるヤツの視線を気にして書いているので。
健さんの代表作
高校生になってもブラジルにいる足長おじさんの存在を信じて疑わなかったの?
三浦との男女関係はどこまで発展してるの?kiss止まり? 高校生にもなったら足長おじさん以前に自分の両親について勘付いてるだろ。
同じ倉本脚本の「北の国から」じゃ純や蛍は大人の隠し事みんなお見通し
だったのにw >>278
そう「中年男のメルヘン」。
この作品は、健さんと自分を同一化し、クロード・チアリの音楽にのって
センチメンタルかつ自己愛的な気分で見れなら、最高の慰安が得られる。
一歩、客観視点に立ったり、ツッコミを入れ始めるともうだめ。
男のハーレクイン。
>>276
ブラジル、疑ってない。
キス、そこまでだと思う。
>>277
みなまで言わせるな。
南のおじさんが完璧なウソを語り聞かせたのだよ。
まあ、ブラジルって時点で、時代を感じるなあ。
今だったら、引退したIT長者でウガンダでユニセフ大使としてボランティアしているとか。
「新幹線大爆破」で、山本圭に「金が入ったら何がしたい?」と訊かれた健さんは、「そうだな。ブラジルにでも行こうかなあ・・・」と答えている。
だから「冬の華」は実は「新幹線大爆破」の続編なんじゃないか、というジョークが昔あった。
つまらないジョークだけど、この二作品の関係を考えると理解できなくもないな。
‘時代から取り残された男’の挽歌、というニュアンスは共通している。 大滝「いい加減に足を洗えねえのか」
このセリフはいいですね
健さんの胸に刺さったはず >>282最後の一行はあんたの都合のいい夢
バカだよあんた頭悪過ぎるわ 足を洗えない。
足長おじさんだとコクることも出来ない。
親分の敵も討てない。(そのくせ自分に絡んだチンピラは簡単に蹴り殺す異常性)
優柔不断の塊だな。内通者だけ刺して自己マンとはイタ過ぎる。
>>280
なるほど、
昔の日本は海外渡航が自由に出来なくて、ドルの持ち出しも制限あり。
だから、移民がいっぱいいたブラジルは、海外の象徴だったんでしょうね。
>>281
おれもここ好きですぞ。
兄貴が狭い和室の電気ごたつの上で、「サントリーの角」を飲むところもいい。
この言葉が、「刑務所長さま、お話の旭川の木工所の話」に
つながる。
>>284
仮に足洗ったとすると、「居酒屋兆治」か、
「男たちの旅路」の鶴田浩二ぽくなるのかな。
初めて見たけど池上季実子のキャラが痛すぎる
聖子以前ということでまだブリっ子という言葉は無かったかもしれんが、それにしても
たかがヤクザの仕送りでこれほど世間知らずに育つことなどあり得ようか?
健さんの現代を時代にした任侠物では良い出来だけにここだけが惜しい
だいたい倉本は女が書けない。「駅」の倍賞もおかしな女だったし、「北の国から」に
出てくる女性もみな非現実的な女ばかりだった。 メリーさんはほんと良い女だな
↑の大滝さんのセリフも好きだな
も一つ「シャーガル」も好き >>286
いやいや、池上季実子は、フェリス在学中ですぞ。
しかも寮に入っている。
つまり彼女が暮らしている世界は、ほぼ学校関連と、
たまに南モーターズのおじさんたちだけ。
あの時代のフェリスなら、お嬢様になると思う。
倉本聡の女がヘンというのは、同意。
おれ的意見だと、倉本はリアルに女を描くというより、
自分の思い入れの「夢の女」(悪夢もある)しか掛けない作家。
池上が「一途なお嬢様」なら、倍賞は「気っぷのいい水商売女」。
そのステレオタイプが、テレビ的。
>>287
脱線するけど、「横浜メリーさん」って知ってる?
おれは、現物を見たことがある。
たぶん、冬の華と同時代の人だ。
野坂昭如や大島渚もやくざ映画に出ていたから
その流れじゃないかな。 >>290
小林亜星は、その頃「寺内貫太郎一家」で人気だったと思う。
「冬の華」だと、一本気だがお調子者かつ軽いやつ、というキャラなので、
ちょうどいいと思ったのではないか。
キャスティングでより不思議なのは、中華料理屋の小沢昭一。
例のアヤシイ中国人役だが、健さんとの芝居もまるでかみ合ってなくて、
もしかしたら、アレは全部小沢昭一のアドリブなのでは?
>>293
メリーさん、失礼<m(__)m>
よく見かけたし、うどん屋で偶然あったこともある。
当時から知る人ぞ知る人で、友だちと見かけると「おっメリーがいた」という感じ。
ご紹介のサイトをみたが、こんなに有名になっていたか。
とはいっても、やはりこれは「後の時代の人が懐かしがっている」という印象。
その頃の現地?の視点だと、やっぱりメリーさんは、
「変な人」「アブナイ感じ」「乞食に近い」「色ババア」
というが一般的だったんじゃないかな。
それに「メリーさん」というのは、人は違うが別に何人もいたように思う。
当時の横浜の人の印象だと、「メリーさん」というのは「洋パン」を指す一般名詞。
自分が見た頃、つまり「冬の華」の時代には、少数残った彼女らは、
みな中年?以降の、ぼろぼろ、敗残という「不潔」なイメージだった。
したがって>293ご紹介の映画に出てくる「メリー」さんは、その中の1人だろう。
ただ、この人は特別化粧やファッションが異様だったので記憶に残っているわけ。
他にも「汚い洋パンババア」はけっこういた。
彼女達が消えた後で、全く別の所から懐かしがるのはいいと思う。
ただ、当時、現場で彼女らと接した一般人の意識とは、ずれている。
もちろん、個人としてのメリーさんに悪気はないし、
「売春婦」を差別する気持ちは全くない。。
>>294
いや、自分は、中学三年から浪人の時までの5年間、スタジアム前のYMCM予備校に週に3日通ってて、
京急沿線住みなもんで日の出町駅からそこまで歩いて通ってたし、週末は決まってイセザキ界隈でチンタラしてたから、
当時は週に何度もメリーさんを目撃してた。
当時からあの人には畏敬の念を持っていて、「こんにちは」と挨拶したり会釈したことも何度もあった。
(返事してもらえたことは、遂に一度もなかったけど)
不潔だという印象が一般的だったのは否定しないが、だからこそ一目置かれてたということあると思う。
穢れた存在、差別されている者だからこそ、「他者のケガレを引き受けてくれている人」と目されることもある。
キリスト教圏においても、売春婦であったマグダラのマリアがまるで聖女のように受け止められているというような例もあるが、
この傾向は日本において特に顕著で、だから映画や芝居に登場する遊女たちは、
実際は売春婦であったにも関わらずほとんどみな聖女のように描かれる。
差別される人と言えば身体障害者もそうだけど、日本では身体障害者やバケモノがヒーローとして登場する活劇が異常に多い。
座頭市とか丹下左膳とか、力太郎とか、手塚治虫の「どろろ」の主人公とか、妖怪人間ベムとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E5%A4%AA%E9%83%8E
こういった例は、みな、「ケガレを背負っている者」=「他者の(社会の)ケガレを一身に背負ってくれている聖人」という概念が、
日本人の国民性のひとつとして無意識のうちに心の中に染み込んでるせいだと思う。
少なくとも自分は、当時からメリーさんのことを「この町の守り神、聖女」だと思っていた。
「冬の華」に登場するメリーだって、一種の聖女だ。
そこには、間違いなく、実際のメリーさんのイメージが投影されている。
「穢れ」についてのwikipediaの紹介ページ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C
日本において身体障害者ヒーローが多いことについての分析は、この本の中にもある。
http://www.amazon.co.jp/dp/4061158635/ >>297なんだよ長々やらかして何かと思えば他人様からの受け売りだらけのコメント(本の宣伝)かよ
使えねえ奴だなったく話になんねえし時間の無駄だな >>290逆に小林亜星のようなヤクザの方がリアリティがある
やかりやすいカリカチュアはごめんだね >>297
基本的に同意ですね。
罪ある娼婦が贖罪のシンボルになるというのは、そのとおりだと思う。
>>295>>296
映像やドキュメンタリーで取り上げられている「横浜メリー」は、もちろん1人だが、
彼女にしてもずっとあの化粧ではなかったな。
今はノスタルジー的に持ち上げられているが、当時の「横浜メリー」は、
周囲の大半の人が、乞食の洋パン扱いで、店の前に来ると追い払うという感じ。
彼女以外にも伊勢佐木町、曙町、日ノ出町、本牧とかには、
超厚化粧の売春婦が何人も残っていた。
米兵相手の売春婦と言うだけで軽蔑されていて、さらに老残の身となり差別が加速。
その手の「洋パン」をひっくるめて「メリーさん」と(一部で)呼んでいた。
「横浜メリー」は、たぶん最後の生き残りなので、その一般名詞が固有名詞になったと思う。
それにしても「冬の華」をみると、その頃の横浜のことを思い出す。
何人も「メリー」の生き残りのオバンがいたし、土方くずれのアル中も転がっていた。
「冬の華」の時代設定は、戦後の混乱のなごりが消えて、オシャレな横浜に変わる
ちょうど転換点で、これから来る時代を予見していたな。
健さんがマンションに住むと言う設定自体が、「新しい」。
「秀さんビールもっと飲むか」
「そか、ションベン増やすだけだな」
みたいな会話可笑しかった あの会話のシーンは、健さんがちょっと
焦っていた感じがしない?
個人的な印象だと、あれは小沢昭一のアドリブで
健さんがあっけにとられ、監督はおもしろがって使った。
のかな。
>>302
ありえるね
初めて名画座で見たけど良い映画だった 煙草を飛ばしたチンピラを蹴り殺して平然としてるんだから
小池朝雄を殺したところでどうってこと無いだろと思っちゃう。 ラストシーン、どアップで終わったけど、
あの後はどうなってしまうの?また無しょに逆戻り?あの仲間の組員達の行く末は?板さんと車屋の行く末は? >>308
煙草を飛ばしたチンピラを蹴り殺しても、誰も出所しないのと一緒。 健さんがマンションでパン焼いてジャム付けて食べるシーンは楽しそう。ジャムたっぷり付けてるし。顔もニコニコ。 三浦洋一ってカッケーと思ってググったらもう死んでる!orz さんざんDVしまくって離婚してあの最後。自業自得。 慕って来る舎弟が沢山居るのに組を立ち上げないで引退して木工所就職なんて有り得んわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています