『まあだだよ』〜後期・晩年黒澤全般スレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
黒澤後期の作品は大体スレたってるので、ここで遺作のスレを立てたい。
これだけでは話もたないかもしれないので、80、90年代の後期から晩年にいたる
黒澤の特質、変化、エピソードみたいなの、あと彼の手で撮られなかった「雨あがる」
「海は見ていた」とかの話なども。
(作品自体の話は作品スレがある場合はそちらで) まあだだよDVDのトップページは無音じゃないから見てる最中に寝ちゃってトップページに戻ったら無操作自動電源OFF機能が無いとトップページの声で目が覚めてしまうw これを見た若い人に片っぱしから聞いてみた。照れくさい。時代おくれ。ついてゆけない。私は唸った。馬鹿かと思った。しかし、日本中がいまみんな、この温かさを受けつけなくなった。怖いし、悲しい。
この男たちと教師の愛の描き方を“照れくさい”と若いのが言った。干からびた地面からは、このような枯れ木の若者が伸びるのか。この映画、乾いた土に水の湿りを与える。
さて、黒澤作品のこのごろの映画だが、老年にいたり「愛」一筋を追うその美しさを見る。と同時に、黒澤画面一瞬の映画感覚を見失ってはなるまい。猫のくだりの愛の豊かさ。その猫、ついに待ちに待った教師夫妻の前に戻ってきた。
さぞややつれたであろう、その一瞬、その猫を私たちも教師夫妻もが見る。違った猫だった。コンチクショウと追い出すか。この映画は温かい。それと同時に、雨、夕立、雷鳴、
その画面いっぱいが光に染まったイナズマの怖さ、美しさ。この映画美術、かかる一瞬を ささい(ゝゝゝ)と思う人には黒澤美術は素通りする。
会話が男たちゆえ、いかめしく声高い。わかりよい。そして教師に扮する松村達雄が「老教師」を見せ切った。わきに隠れた老妻の香川京子も画面にやさしい色をつける。
そして、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、寺尾聰、その他誰もが力演の力(りき)を隠して力演している。セット(家)もいい。撮影者二人、斎藤孝雄、上田正治、その名も挙げておこう。
やっぱりジョン・フォードだよ。やっぱり 全集黒澤明(88年発行)6巻にも井上ひさしとの対談
黒澤「あの台詞変ですよね。他人行儀って言葉があるでしょ。
他人だからこそ気を使って親切に振舞う。身内だからこそっけない。
それは、親に対する甘えもあるんですが。」
井上ひさし「そう。そうです。」
黒澤「小津さんもわかってますよ。
でも映画だから、この台詞で感動させてやろうと欲が出たんでしょう。
『東京物語』は評判の良い映画なんですけど私はあまりいいとは思わない。
小津さんのそういう計算が鼻に付くところがあって。
この映画の原君なんて、正直いって・・・うーん・・・僕・・・気持ち悪いなあ(爆笑)」
井上「ええ、ええ。非常にわかりますよ。
でも黒澤さん。本当はあまり好きじゃないというよりは(東京物語が)大嫌いと言いたかったのでは?(笑)」
黒澤「(爆笑)」 >>686
わからんでもないが、それはどの映画を観てもその手のシーンは一つや二つ
必ずあるよね。ここはあんまり見たくないってシーン。 まあだだよ の先生が教え子たちにあがめられ過ぎて気持ち悪いな と思っていたが、まあだだよに描かれているような師弟愛が恥ずかしくなく残っているのが日本の昔の良さだったんだな。
上に書かれているのを読んで、初めて思った。
ああいう師弟愛がある方がいいな。 まあだだよの百間先生はなかなかすごいというかひどい人だよ
随筆読んで味噌 乱が映画監督黒澤明の集大成みたいなもんで、
八月の狂詩曲と夢は、画家黒澤明としての作品
まあだだよはあのせんせいは黒澤自身 「まぁだだよ」は実在の作家、内田百閧描いたもの。
>>695の言うとおり、猫好きで多くの人に愛された百閧、黒澤は
自分に投影している。
黒澤はいろんな意味で、あまり人様からは愛されなかった。
「こうありたい」との願いを、百閧フ人柄にかさねたのだ。
ところで、おまえら
ビデオテープって、ど〜してる?
DVD変換してる?
懐かしい映像とかもったいないじゃん???
で、こんなトコ見つけた!
★★http://pcassist-tachikawa.jp/dvddub.html
PCアシスト立川
古いビデオテープをさ、
持込でも郵送でも、DVDに焼きなおしてくれるw
デザイナーさんがいて、
『タイトル+タイトル画』も付けてくれるw
既成とオリジナルとあってさ、
1)絵心のあるヤツは自作の絵でもOK!
2)ガキんちょの絵だって、バッチリ
3)写真だって決まるぜ
おれ、近くだから、思い出のビデオテープと絵を持ち込んだ。
涙出るくらいカッチョええwww
PCアシスト立川〜〜〜〜〜〜おすすめだぜ!! 松本清張は「砂の器」で道行き父子が石なげられるシーンも
不満だったのだろうな多分 古川ロッパが昭和14年舞台で『百鬼園先生』というのを演っているんだけど、黒澤は見たのかな?
稽古中に百阮{人がやって来たと、ロッパに日記に書いてある。 >わきに隠れた老妻の香川京子も画面にやさしい色をつける。
このニュアンスが海外では理解出来ないんだよな
「奥さんロクにセリフも無いし
セコセコ働いてるだけで奴隷じゃないか」
とか言われたんだよな 高給で進んで志願した朝鮮人の売春慰安婦達も、反日の切り札捏造で、
今では強制連行された性奴隷とか言ってるんだから、今の基準で昔の
女を見たらみんな奴隷に見えるだけじゃないの。 さっきニュースでやってた、中国の石油パイプライン爆発で大火柱の映像が、「夢」の赤富士状態だった 50歳のとき、大林さんは黒澤明監督の映画『夢』のメイキングを作るために連日のように、撮影現場で彼の間近にいる機会があった。すると、ある日、黒澤監督はこんなことを話し始めたという。
『大林くん、人間というのは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない』そして、こう続けた。
『けれども、人間はなぜか映画というものもつくったんだな。映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く、美しさと力があるんだ』
「僕はこの言葉を約30年、ずっとかみ締めてきたんです。そしていま……時代はだんだんと変わってきて、僕たちのすぐ横にも戦争があるんじゃないか、そういう皮膚感覚を持つようになりました。
いつも命懸けで、遺言のつもりで映画を撮っています。だから、今回も治療のために撮影を先延ばしにすることは考えられませんでした 2chでもいがみあってばかりいるんだから、人間が戦争を
やめられないのは当たり前だろw
戦争が無くなったら、活動屋も飯の食い上げなのに、黒澤も
耄碌したのだな トップページだと歌が流れっぱだから寝落ちしたときテレビ自動OFF設定にしてないと歌声で目覚め悪いw フィルムセンターのデルスウザーラ70mm版プリント観たかった 吉本隆明
‏ @T_Yoshimoto · 10月31日
わたしたちの「原爆映画」は、黒澤明にしろ新藤兼人にしろ、原爆を不可避な運命としてしか描きえなかった。
冷厳に科学的に計画的に原爆と対決することをテーマにはとらなかった。 『夏を越した映画』 淀川長治
この小津映画のオーバーラップなしの映画の囁きことは、日本そのものの香りを見せて、西洋人をびっくりさせたが、これは一種の映画の破壊でもあった。
映画のもともとは流れる物語、そのリズムに魅了があふれた。
黒沢映画のどの作品にも、そのリズムが美しかった。くわえてイマジネイションが美しかった。「生きる」のブランコに腰かけた老人、「羅生門」の雨、「夢」の狐の嫁入り。
映画はその始まりから美術のリズムその流れを見せた。映画がそのリズムを失った今のトリック映画の貧しさよ ウディ・アレンbot‏ @woody_bot1
ブニュエルはいないし、黒澤もフェリーニもデ・シーカもいない。 映画を撮って彼らに認められたい、
彼らの仲間入りをしたいと思える時代がかつてあったんだ。 夢のようだよ。 徹子の部屋に小林亜星夫婦w
まあだだよ小林亜星は名演技だったよな 多くのオーディションに落ち続けていた僕が、長渕さんの『この子にしよう』のひと言でデビューできたんです。
当時のドラマ撮影は、週にリハーサルが2日、スタジオ撮影とロケが3日で、学校にはあまり行けませんでした」
そう語るのはドラマ『親子ジグザグ』で長渕剛と共演した伊嵜充則(40)。子役時代にはトラブルにも見舞われた。
「家が火事だと嘘の通報をされ、夜中に消防車が3台来たこともありました」
その一方で “贅沢な経験” も。
「黒澤明監督と山田洋次監督の作品に出演させていただいたのは最高の財産ですね。黒澤監督の『夢』の撮影現場に “変な外国人がいる” と思ったら、
それが『スター・ウォーズ』のジョージ・ルーカス監督でした。黒澤監督の膝の上に乗りルーカス監督と一緒に写真を撮ったのもいい思い出です」
成人後も可愛い子役時代のイメージのせいか、悪役やクセに強い役などは「話すら来ない時期もあった」という。
「これからは職人的な俳優として、末永く演じていきたいです いろいろと役に立つ副業情報ドットコム
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
QPTHM あなたの最高傑作は?と聞かれると 、黒澤は常に次回作。と答えてた。
しかし、乱の時は、乱が最高傑作だ。と答えた。
乱以降の作品、夢、八月のラプソディーは、画家を目指してた頃の原点に戻って作ったのではないだろうか。映画を撮るというよりは、キャンバスに絵を描くような気持ちで。
まあだだよのせんせいは自分自身を画いたのだろう。
つまり、乱は映画監督黒澤明の集大成であり、
八月の狂詩曲と夢は、画家黒澤明としての作品
まあだだよはあのせんせいは黒澤自身 猫がもう三味線になってるっていたずら電話したのって
実在してるドイツ文学者だって?
酷いことするなぁ https://www.youtube.com/watch?v=A4e5LM3Y88g
『馬の詩』 (1971年のテレビドキュメンタリー)、日本テレビ - 監修・構成
Akira Kurosawa - Uma no uta 1970 VOS Documentary Tadashi Imai's "The Rice"
https://www.youtube.com/watch?v=Oz-fROQdyuM
코메 라이스 1957년도 작품 Kome Rice1957 Tadashi Imai ㅣ米(こめ. 코메)
https://www.youtube.com/watch?v=vEvfJG2IgQw 寺沢武一がツイッターで「夢」のイメージ画を「下手糞だ」と批判してたが
黒澤と宮崎の対談で黒澤が「上手く描いてるんじゃなくて、イメージを伝えるために描いてる」
みたいな事言ってたんだよな
ちなみに石ノ森章太郎は「夢」のイメージ画を賞賛してた 黒澤の描いた絵そのものは悪くないと思うが、その絵に縛られた映画作りしか出来なくなったのが敗因 黒澤のカラー映画全否定のキチガイは皆そう言うよなww 皆そう言うと言うことは真実と言うことだな
ガチのキチガイが普通の人をキチガイ呼ばわりすることもよくある 真正キチガイはコイツだけwww
→ ID:MisSjTnB 黒澤監督が描いた絵で印象に残ってるのが藤村俊二の似顔絵だ
追悼番組で見たんだが、心が洗われるような魅力的な似顔絵でしばらく見入ってしまった 731この子の名無しのお祝いに2018/09/04(火) 07:53:49.33ID:4bA6YCpg
黒澤の描いた絵そのものは悪くないと思うが、その絵に縛られた映画作りしか出来なくなったのが敗因
敗因?
黒澤アンチのキチガイってやっぱり朝鮮人か
このおかしな言葉遣いですぐわかるな 黒澤明
「ホントに良い映画ってのはやっぱ
ホントに楽しいんだよね。
その、しち面倒臭いものじゃないしね。
ホントに良い映画ってのは大変判りやすくってさ、面白くって。」
特典映像「創ると云うことは素晴らしい」より
黒澤自身がこう言ってるんだから、つまらない作品は良い映画じゃないんだよ
狂信者は黒澤作品が好きなんじゃなくて、黒澤が映画を作ったと言う行為が好きなだけ
そんなものは本当の黒澤明ファンとは言えない 映画 日本沈没の特典見ると黒澤ネタも喋ってるんだよな >>738
つまらない作品って何だ?
言ってみろよ /⌒彡:::
/冫、 )::: また…秋が…
__| ` /:::
/ 丶' ヽ:::
/ ヽ / /:::
/ /へ ヘ/ /:::
/ \ ヾミ /|:::
(__/| \___ノ/:::
/ /:::
/ y ):::
/ / /:::
/ /::::
/ /:::::
( く::::::::
|\ ヽ:::::
| .|\ \ :::::
\ .| .i::: \ ⌒i::
\ | /:::: ヽ 〈::
\ | i:::::: (__ノ:
__ノ ):::::
(_,,/\ 黒澤が監督した、と言う事以外は何も見るべきものが無い駄作群なんだよね 黒澤作品に何も見るべきものが無い駄作なんて1つもない
顔を洗って出直して来いよ >>738や>>743みたいな糞みたいな書しょうもない書き込みばかりが続くから
このスレこれで終了な 妻子から見捨てられ誰からも看取られず野垂れ死にした山城新吾か
他人の悪口ばかり言ってた奴には悲惨な末路が待ってるということだな 世間では黒澤の晩年はロクな作品は無いで評価が定まっているのに、場末のインターネットで吠えても何も変わらない
糞信者は氏ねは良い しかし山城新吾は「天国と地獄」を傑作中の傑作と絶賛してた
ソースは山城司会のテレビ番組 山城は特にどうと言うことの無いタレントだけど、黒澤映画への感想は一般的なごく普通のもこだね 山城は、白澤明の禿武者 とか小馬鹿にしていたよな
何が面白いのか 黒沢明さんの自殺は狂言だったのかしら?
あの方は天災芸術からしい繊細な神経の持ち主だから、ちょっとしたことが・・ とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
R8A あなたの最高傑作は?と聞かれると 、黒澤は常に次回作。と答えていた。
しかし、乱の時は、乱が私の最高傑作だ。と答えた。
乱以降の作品、夢、八月のラプソディーは、画家を目指してた頃の原点に戻って作ったのではないだろうか。映画を撮るというよりは、キャンバスに絵を描くような気持ちで。
まあだだよのせんせいは自分自身を画いたのだろう。
つまり、乱は映画監督黒澤明にとっての集大成であり、
八月の狂詩曲と夢は、画家黒澤明としての実験的作品
まあだだよはあのせんせいは黒澤自身 昔のNHKBSの黒澤明のすべてっていう特集の録画ビデオが出てきたので見返してる
大半はありもののメイキングなどの放送、目玉は七人の侍の制作検証番組「七人の侍はこうつくられた」
にもかかわらず七人の侍の放送無し(当時は国内ビデオ未発売か)
放送された黒澤映画は羅生門、静かなる決闘、白痴、醜聞、どん底、生きものの記録、デルスウザーラ、乱、
娯楽作を意図的に外してセレクトしたのか、黒澤本人の意向なのか渋めのラインナップだった。 あなたの最高傑作は?と聞かれると 、黒澤は常に次回作。と答えていた。
しかし、乱の時は、乱が私の最高傑作だ。と答えた。
乱以降の作品、夢、八月のラプソディーは、画家を目指してた頃の原点に戻って作ったのではないだろうか。映画を撮るというよりは、キャンバスに絵を描くような気持ちで。
まあだだよのせんせいは自分自身を画いたのだろう。
つまり、乱は映画監督黒澤明にとっての集大成であり、
八月の狂詩曲と夢は、画家黒澤明としての実験的作品
まあだだよはあのせんせいは黒澤自身 堀内 甲(ほりうち まさる)
敗戦後の1946年、東宝撮影所に入社。黒澤明監督に師事。『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』に助監督として参加。
1951年、レッド・パージで退社。1952年、近代映画協会の同人となり『縮図』『夜明け前』などで新藤兼人、吉村公三郎の助監督を務め、
1956年東映教育映画部製作『オルガン物語』で監督デビューする。
教育映画 六人姉妹 1959
https://www.youtube.com/watch?v=DHMy6WJLyFE
教育映画 続 六人姉妹 1962
https://www.youtube.com/watch?v=DsXHKR8JY8U すんません。最近「醜聞」を観たのですが、三船が乗ってたバイクの種類は分からないでしょうか。
また、あの頃は声楽家や画家というのが食えるような商売だったのでしょうか?
今で言うと歌手と漫画家みたいなもの? 昔と今も、声楽家や画家で食って行ける奴と食って行けない奴が居る
バイクは調べろ >>765
時代的にハーレーのoem?の陸王かも。 >>765
映画が始まって6分の旅館の玄関のシーン。
記者とカメラマンの後ろにオートバイが置いてある。
よく見ると、前輪の上にカタカナでキャフトンとか書いてあるプレートが。
調べたら愛知県のみづほ自動車製作所がキャブトンというオートバイを作っていた。
これくらいは自分で調べてくれ。
https://yaplog.jp/5972/archive/249 1979年夏、黒澤明監督の映画『影武者』のロケ中に主役の勝新太郎が突然降板。40年前のあの日、ふたりの天才の間で何があったのか?未公開映像や当時を知る関係者の証言をもとに、天才激突の真相に迫る。
NHK BSプレミアム『アナザーストーリーズ「天才激突! 黒澤明VS勝新太郎」』は11月19日(火)放送
■『アナザーストーリーズ「天才激突! 黒澤明VS勝新太郎」』
NHK BSプレミアム 11月19日(火) 午後9時00分
再放送:NHK BSプレミアム 11月25日(月) 午後11時45分 関係者っつても野上のババアがドヤ顔で黒澤マンセー話するぐらいなんだろ 関口宏のトーク番組に野上が出たとき影武者の降板騒動のこと聞かれてたけど
あんなのを使う黒澤さんが悪いと勝に対して嫌悪感剥きだしだった 86年アカデミー授賞式でヒューストン、ワイルダーと一緒に作品賞のプレゼンター務めてたな
背が高くて真ん中にいたから一番目立ってた 海外は僕に暖かいよね 日本じゃ乞食以下のあつかいだよ
と渚りちゃんに愚痴る黒澤 影武者はくランクイン前から仲代に台本渡してたって話じゃん
降りるを盾に勝が好き勝手するの予測してて 昔ハリウッド映画に出演した事がある藤岡弘がハリウッドの黒澤リスペクトが凄い言ってたな 周囲の役者もスタッフも「もういいよ」と思ってた作品 あの大島渚が緊張しながら黒澤にインタビューしてた
対談した北野武と宮崎駿も緊張してたし、やっぱり偉大な監督なんだな かつてはヒットメーカーだったし、素晴らしい作品を沢山作って来たんだから、どんなに痴呆が進んだ我が儘ジジイでもそれなりに敬意を払うのは日本人なら当たり前 と、兵庫県西宮市の生活保護80歳・VHSスカトロ北朝鮮ナマポホモジジイが
日本人のフリをしていますww 宮崎は七人の侍を一番好きな映画と対談後に公言してたな
確か手塚治虫も日本映画1位に七人の侍を選んでた
ただ手塚が30回以上見たのに対して宮崎は1回しか見た事ないんだそうだ
ちなみに宮崎の一番好きなアニメ「雪の女王」も1回しか見てない
好きだからといって何回も見ないタイプか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています