『まあだだよ』〜後期・晩年黒澤全般スレ
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黒澤後期の作品は大体スレたってるので、ここで遺作のスレを立てたい。
これだけでは話もたないかもしれないので、80、90年代の後期から晩年にいたる
黒澤の特質、変化、エピソードみたいなの、あと彼の手で撮られなかった「雨あがる」
「海は見ていた」とかの話なども。
(作品自体の話は作品スレがある場合はそちらで) 本当に内田百閧焉Aおいちにの薬屋の歌を歌ってたの?
それとも映画の中だけ? 昔はTVもカラオケも無いから
酒飲むとああやって皆延々歌ってたんだよ。学生も先生も
今の人に駅の伝言板説明するようなモンだけどな。 こんな映画をありたがるのがいるのか?
黒澤教の信者なら仕方がないけど
ご本尊はお困りじゃない? 「樹海の迷宮」読んだ。撮影日誌と脚本というから単なる資料集かと思ったら
全然違う。これがほんとなら黒澤はアル中の精神異常者にしか見えない
「トラトラトラ」もこの調子だったらクビにされたのは当然だと思う
もしかしてそれ以前の東宝時代もずっとこうだったんだろか?
それであの一連の映画が結果的に出来ているのがもっとびっくりだよ んなわけないでしょ
おバカは映画の本読んで余計な知識持っても無駄だから
映画の本なんか読まないで映画だけ見て楽しんでればいいの キアロスタミがLike someone in loveを日本で撮ったとき、
日本のことを少しはわかっているつもりだったから、日本での撮影がこんなに苦労するとはと
野上さんに語ると、黒澤さんなんてロシアで毎日泣いてたわよ、と言われたそうだ。 http://www.kadokawa-pictures.jp/photo/madadayo/maadadayo_m.jpg
映画ファンは↑のシーンの背後に、竹槍で野武士を取り囲む農民の姿(七人の侍)や、石段を駆け下りてくる雑兵の集団(隠し砦の三悪人)を見ることができるのです。 ──あなたは撮影中(映像確認用の)モニターを使わないことで有名な数少ない監督です。
クリント・イーストウッド 最初の『恐怖のメロディ』(監督デビュー作)では使ったんだよ。
その次の映画(ウィリアム・ホールデン主演の『愛のそよ風』日本未公開)でも使おうと思ったんだ。
そこで気づいたんだが、俳優たちがみんな背後からモニターを見ようと殺到していたんだ。
私の肩越しにモニターを見ている人がいるのはあまり愉快じゃない。「俺はもっとうまくできるな」とか、
「思ったほどよく映っていない。髪を直して取り直そうか」と言ったりするんで、
「いやいや、その判断は俺に任せてくれ」と言って、その場でモニターのスイッチを切ったんだ。 黒澤の全盛期の作品全般(七人の侍とか)を語るスレはないのか?
個別作品のスレはいくつかあるようだが。 黒澤作品全般を扱うスレがないみたいだし羅生門の単独スレもないみたいなので
スレ違いを承知でしかたなく書く。
外国では黒沢作品の中で羅生門がかなり評判いい。
たとえばここでは第二位になってる。
因みに一位は七人の侍。
Top 10 Akira Kurosawa Films
https://www.youtube.com/watch?v=6I8afvHiFN8
これはエキゾチシズムがかなり大きく影響してるのではないか?
つまり、外人にとっては日本の平安時代というのは珍しいんだろう。
俺的にはこの作品は退屈。
芥川の原作を知っていたというのも影響してるかもしれないが。
原作(藪の中)も大して面白くない。
当事者の証言が食い違うのは当たり前じゃん。 影武者、乱 は、退屈する。
仲代さんじゃなあ。。。 >>653
それは外国人に対する偏見
どこの国の人だろうと羅生門をいいという人は
ストーリーと同時に描写から見ている 「影武者」160分版がディレクターズカットなのかどうか
ハッキリさせてほしい 黒澤が編集しているという意味ではディレクターズカットで
間違いないだろうけど海外版とどっちが決定版かは決めようがないだろうな
決められる人が亡くなってるんだから
個人的には160分版が好きだが 「馬の詩」が某所に全編UPされてるんで、いまdownloadしたところだが、
コレって黒澤自身も演出してんの?
クレジットが曖昧だし、
資料でも詳しくは紹介されてないね。 羅生門がグラン・プリ取った時にも
国内では 何が起きているのかさえよく解からず
「外国だからエキゾチズムが受けただけ」
と言われていた。 なんで日本にはいちいち黒澤にケチをつける輩が存在するのかな? 「何故なんだろうねえ・・・」と黒澤は何度も言って居る。
黒澤「日本じゃ乞食以下だもんね」
大島渚「いえいえ乞食とまでは・・・でも 酷いモンではありますね」
が
海外の巨匠名匠にソレ話すと 皆
「そうなんですよ、同じです。自分の国だけ私に冷たいんです!」
と言う。
ミッシェル・ルグランなんか
「ミスタークロサワでさえ そうなのですか!!?」
と涙ぐんで黒澤に抱き付いた。
結局人類共通の感情・・・嫉妬 と言う問題に逝き付く。 日本人は日本人を差別する
その次に自分たちに近い中国人、韓国人を差別する
角界は自分達のが弱いくせにモンゴル力士を入門させては差別する
西欧列強からアジアを守る大東亜共栄圏などと言いながら、
神国ニッポンとアジアの劣等民族を秤に掛けて差別する
黄色人種とはそういう者であり、ハリウッドで一旗あげようと
した黒澤が白人から受けたのが『トラ・トラ・トラ!』における
人種差別である >>666
あんたも人のことばっかり言ってないで
たまには面白いことでも書きなよ 乱は学生時代エキストラで出たらまともに見られないんだよなー 映像関係の学校でエキストラ募集があって、よくそういうアルバイトの張り紙してあるようなところに張り出されてた
新宿のスバルビル前っていう、当時ロケバスの集合場所でよく使われてるところに朝6時くらいに集まって御殿場の撮影現場にバスで移動した
三の城の落城あたりの、軍勢が攻めこむところを撮影していて、甲冑とか草履とかつけたと思う
頭は兜なので髪型は気にしなくてよかった
城を燃やすところは終わってたのかこれからなのか覚えてないんだが、とにかく走って攻めていくところ、いわゆるモブシーンを色んな角度から撮ってたと思う
塀を倒して乗り越えていくところをやった記憶もある
初めに監督が近くに来ておおまかに指導された
おそらく秋ごろで富士山のふもとは天候も悪く、霧が出たりするので待ち時間が長く、1日に数カットしか撮らなかった
寒いので昼食に暖かい汁物がついたのが有難かった
バスの移動中にもサンドイッチが出た
火山のふもとの地面は独特の黒い土というか砂で、その場に行くとこんなところにわざわざ城は作らないよなあと実感された
完成した映画の中にはその時の撮影場所の近隣の野原などで撮ったと思われる場面がとても多いので、今見ても場面によっては物語に入りこめず楽しめない >>670
ほんとに詳しく解説くれて感謝
あれ富士山の麓だったのか
城があるのに周囲に城下町も何もなくて、どういうところなんだろうとか
小学生の頃に初めて観た時からずっと思ってたんよな
柵を倒すというと、序盤の攻めかかる場面なんだろうかね
天候がネックで撮影に何日も費やしたってのはどこかで聞いてたけどその通りなんだな
こういう現場にいた人の話って面白いわー 2ちゃんねる史上異様なまでに改行する能が無いレス>>670に対して
2ちゃんねる史上異様なまでに改行する能が無いレス>>671 が 感謝レス
なんだか 悲しいwwww >>671
後年、御殿場の別荘に宮崎駿が訪ねていく番組があったと思うけど、その別荘もかなり近いはず
なんとなく植生でわかってしまう
スケールの大きい時代劇ではモノクロ時代から使っていた場所だと思います
蜘蛛巣城などでも似たような風景の中に城があるのを見た記憶があります
監督の要望で大きなセットを燃やすような場面があるのと、なおかつ長期間使いたいがための知恵だったんだろうと思います
私は二日間しか参加していませんが、エキストラたちの前に監督が来ると自然に全員立ち上がり指示を聞いていたり、昼食を、ベースにしているテントに、監督含めスタッフからその日のエキストラまで集まっていただいたのはよい思い出です
冬が近づいており天候の悪い日が続く中、苦しい撮影だったんだろうと今になって思います 影武者の終盤、鉄砲で撃たれた兵と馬が倒れてるシーン長すぎ
晩年は繰り返しのくどいシーンが多いな 真樹だ。
今「ワイプ」つーとTVでタレントが小窓でリアクションする事なのな。
TVで「ワイプ芸人」とか言ってやがってさ。
誤用にも程があるな。
ワイプってなあ映画用語でなら「拭い去る様な場面転換」だぜ。
黒澤が多用してルーカスがスターウオーズで援用してらあな。
TVから拭い去る様に消えたベッキーてのが本当の「ワイプ芸人」だってのよ。
あ〜ん 今度の黒澤の特集では何で「八月の狂詩曲」をやらないんだろうか? 宮崎駿
『影武者』からやめればよかったのにって思ってるんです、本当に。
僕は『椿三十郎』でもちょっとヤバイな、って思ってたくらいですから。
映画を作る人たちっていうのは、近代人だったんですよ。
それが、近代人の心じゃなくなったっていう。いや、僕の妄想かもしれませんけど……。 「まあだだよ」の後の黒澤邸での対談で直接言えよwwwwwwwwwwwww 吉岡「長崎や秩父ロケで、ごはんとか、ずっと一緒に食べてたし、俺たちって、仲良かったよな。
でも、俺、北海道とか九州とか、地方ロケが多いんだ。なんか知らないけど田舎顔なのかな。」
鈴木「やっぱり!?」
吉岡「ナニ〜!」
鈴木「ウソです。九州の人とか、北海道の人とかやさしいでしょ。
お兄ちゃん(吉岡)はそういう人だよ。」
伊崎「合宿は楽しかったけど、寂しい恐いとこでしたね。」
大寶「泊まったところが山の中だから、霊とかいるらして、霊感が鋭いお兄ちゃんとかみなちゃん(鈴木)が逢ったね。」
吉岡「そう。いろいろ逢ったけど、恐い話はやめよう。恐いから。」(笑)
大寶「クランクインしてすぐ、私が風邪ひいちゃって、みんなにうつしちゃったんだよね。ごめんなさい。」
伊崎「みなちゃんだけひかなかったよね。」
鈴木「日頃の行いってやつ!?」
伊崎「風邪もつらかったけど、ボクは、監督のするどい視線に緊張した〜」
鈴木「私も。」
吉岡「みんな、監督のパワ〜には圧倒されたよな。
オレが苦労したのはオルガン。なかなかひけなくてさ。
ほかの3人はオルガンとか習ってたのに、引く役が引けないオレだもんな。『野ばら』と♪ジャジャジャジャ〜ンっていうのと、『猫ふんじゃった』の大特訓。
『猫ふんじゃった』は、しんちゃん(伊崎)が教えてくれたね。」
伊崎「エヘヘ」(と照れ笑い)
吉岡「それと、しんちゃんには饅頭投げられたな。
たみちゃん(大寶)には突き飛ばされて、みなちゃんにはタックルされて、おかあさんには頭たたかれて、一応、ボクからだ張った演技したね。(笑)。でも、一番痛かったは、たみちゃんの突き飛ばし」
大寶「ごめんなさい。でも、アレは、、、、」
吉岡「突き飛ばされて尻餅ついたところが、ちょうど切りみたいなのがでててさ。そこで背中打って、セリフが出てこなくなっちゃって、声が裏返っちゃって『ちょっと待ってよ〜』だって〜」(笑)
鈴木「アレよかったよ。そこらへん、じっくり見て欲しいですね。」
吉岡「イヤ、あそこは流してみて!!」 映画監督黒澤明の集大成が乱。
夢と8月のラプソディーが画家黒澤明として撮った作品。
まあだだよは。黒澤自信を撮った >>632
地方局のバラエティのチープな騒々しさも相当なもんだけどなw
311による放射能から避難しているつもりなのでは? 影武者が家来達に石を投げられてる場面の松本清張の感想 (清張日記より要約)
『なんじゃアレはw 影武者の悲哀を出すんならもっと違った方法があるだろ』 まあだだよDVDのトップページは無音じゃないから見てる最中に寝ちゃってトップページに戻ったら無操作自動電源OFF機能が無いとトップページの声で目が覚めてしまうw これを見た若い人に片っぱしから聞いてみた。照れくさい。時代おくれ。ついてゆけない。私は唸った。馬鹿かと思った。しかし、日本中がいまみんな、この温かさを受けつけなくなった。怖いし、悲しい。
この男たちと教師の愛の描き方を“照れくさい”と若いのが言った。干からびた地面からは、このような枯れ木の若者が伸びるのか。この映画、乾いた土に水の湿りを与える。
さて、黒澤作品のこのごろの映画だが、老年にいたり「愛」一筋を追うその美しさを見る。と同時に、黒澤画面一瞬の映画感覚を見失ってはなるまい。猫のくだりの愛の豊かさ。その猫、ついに待ちに待った教師夫妻の前に戻ってきた。
さぞややつれたであろう、その一瞬、その猫を私たちも教師夫妻もが見る。違った猫だった。コンチクショウと追い出すか。この映画は温かい。それと同時に、雨、夕立、雷鳴、
その画面いっぱいが光に染まったイナズマの怖さ、美しさ。この映画美術、かかる一瞬を ささい(ゝゝゝ)と思う人には黒澤美術は素通りする。
会話が男たちゆえ、いかめしく声高い。わかりよい。そして教師に扮する松村達雄が「老教師」を見せ切った。わきに隠れた老妻の香川京子も画面にやさしい色をつける。
そして、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、寺尾聰、その他誰もが力演の力(りき)を隠して力演している。セット(家)もいい。撮影者二人、斎藤孝雄、上田正治、その名も挙げておこう。
やっぱりジョン・フォードだよ。やっぱり 全集黒澤明(88年発行)6巻にも井上ひさしとの対談
黒澤「あの台詞変ですよね。他人行儀って言葉があるでしょ。
他人だからこそ気を使って親切に振舞う。身内だからこそっけない。
それは、親に対する甘えもあるんですが。」
井上ひさし「そう。そうです。」
黒澤「小津さんもわかってますよ。
でも映画だから、この台詞で感動させてやろうと欲が出たんでしょう。
『東京物語』は評判の良い映画なんですけど私はあまりいいとは思わない。
小津さんのそういう計算が鼻に付くところがあって。
この映画の原君なんて、正直いって・・・うーん・・・僕・・・気持ち悪いなあ(爆笑)」
井上「ええ、ええ。非常にわかりますよ。
でも黒澤さん。本当はあまり好きじゃないというよりは(東京物語が)大嫌いと言いたかったのでは?(笑)」
黒澤「(爆笑)」 >>686
わからんでもないが、それはどの映画を観てもその手のシーンは一つや二つ
必ずあるよね。ここはあんまり見たくないってシーン。 まあだだよ の先生が教え子たちにあがめられ過ぎて気持ち悪いな と思っていたが、まあだだよに描かれているような師弟愛が恥ずかしくなく残っているのが日本の昔の良さだったんだな。
上に書かれているのを読んで、初めて思った。
ああいう師弟愛がある方がいいな。 まあだだよの百間先生はなかなかすごいというかひどい人だよ
随筆読んで味噌 乱が映画監督黒澤明の集大成みたいなもんで、
八月の狂詩曲と夢は、画家黒澤明としての作品
まあだだよはあのせんせいは黒澤自身 「まぁだだよ」は実在の作家、内田百閧描いたもの。
>>695の言うとおり、猫好きで多くの人に愛された百閧、黒澤は
自分に投影している。
黒澤はいろんな意味で、あまり人様からは愛されなかった。
「こうありたい」との願いを、百閧フ人柄にかさねたのだ。
ところで、おまえら
ビデオテープって、ど〜してる?
DVD変換してる?
懐かしい映像とかもったいないじゃん???
で、こんなトコ見つけた!
★★http://pcassist-tachikawa.jp/dvddub.html
PCアシスト立川
古いビデオテープをさ、
持込でも郵送でも、DVDに焼きなおしてくれるw
デザイナーさんがいて、
『タイトル+タイトル画』も付けてくれるw
既成とオリジナルとあってさ、
1)絵心のあるヤツは自作の絵でもOK!
2)ガキんちょの絵だって、バッチリ
3)写真だって決まるぜ
おれ、近くだから、思い出のビデオテープと絵を持ち込んだ。
涙出るくらいカッチョええwww
PCアシスト立川〜〜〜〜〜〜おすすめだぜ!! 松本清張は「砂の器」で道行き父子が石なげられるシーンも
不満だったのだろうな多分 古川ロッパが昭和14年舞台で『百鬼園先生』というのを演っているんだけど、黒澤は見たのかな?
稽古中に百阮{人がやって来たと、ロッパに日記に書いてある。 >わきに隠れた老妻の香川京子も画面にやさしい色をつける。
このニュアンスが海外では理解出来ないんだよな
「奥さんロクにセリフも無いし
セコセコ働いてるだけで奴隷じゃないか」
とか言われたんだよな 高給で進んで志願した朝鮮人の売春慰安婦達も、反日の切り札捏造で、
今では強制連行された性奴隷とか言ってるんだから、今の基準で昔の
女を見たらみんな奴隷に見えるだけじゃないの。 さっきニュースでやってた、中国の石油パイプライン爆発で大火柱の映像が、「夢」の赤富士状態だった 50歳のとき、大林さんは黒澤明監督の映画『夢』のメイキングを作るために連日のように、撮影現場で彼の間近にいる機会があった。すると、ある日、黒澤監督はこんなことを話し始めたという。
『大林くん、人間というのは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない』そして、こう続けた。
『けれども、人間はなぜか映画というものもつくったんだな。映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く、美しさと力があるんだ』
「僕はこの言葉を約30年、ずっとかみ締めてきたんです。そしていま……時代はだんだんと変わってきて、僕たちのすぐ横にも戦争があるんじゃないか、そういう皮膚感覚を持つようになりました。
いつも命懸けで、遺言のつもりで映画を撮っています。だから、今回も治療のために撮影を先延ばしにすることは考えられませんでした 2chでもいがみあってばかりいるんだから、人間が戦争を
やめられないのは当たり前だろw
戦争が無くなったら、活動屋も飯の食い上げなのに、黒澤も
耄碌したのだな トップページだと歌が流れっぱだから寝落ちしたときテレビ自動OFF設定にしてないと歌声で目覚め悪いw フィルムセンターのデルスウザーラ70mm版プリント観たかった 吉本隆明
‏ @T_Yoshimoto · 10月31日
わたしたちの「原爆映画」は、黒澤明にしろ新藤兼人にしろ、原爆を不可避な運命としてしか描きえなかった。
冷厳に科学的に計画的に原爆と対決することをテーマにはとらなかった。 『夏を越した映画』 淀川長治
この小津映画のオーバーラップなしの映画の囁きことは、日本そのものの香りを見せて、西洋人をびっくりさせたが、これは一種の映画の破壊でもあった。
映画のもともとは流れる物語、そのリズムに魅了があふれた。
黒沢映画のどの作品にも、そのリズムが美しかった。くわえてイマジネイションが美しかった。「生きる」のブランコに腰かけた老人、「羅生門」の雨、「夢」の狐の嫁入り。
映画はその始まりから美術のリズムその流れを見せた。映画がそのリズムを失った今のトリック映画の貧しさよ ウディ・アレンbot‏ @woody_bot1
ブニュエルはいないし、黒澤もフェリーニもデ・シーカもいない。 映画を撮って彼らに認められたい、
彼らの仲間入りをしたいと思える時代がかつてあったんだ。 夢のようだよ。 徹子の部屋に小林亜星夫婦w
まあだだよ小林亜星は名演技だったよな 多くのオーディションに落ち続けていた僕が、長渕さんの『この子にしよう』のひと言でデビューできたんです。
当時のドラマ撮影は、週にリハーサルが2日、スタジオ撮影とロケが3日で、学校にはあまり行けませんでした」
そう語るのはドラマ『親子ジグザグ』で長渕剛と共演した伊嵜充則(40)。子役時代にはトラブルにも見舞われた。
「家が火事だと嘘の通報をされ、夜中に消防車が3台来たこともありました」
その一方で “贅沢な経験” も。
「黒澤明監督と山田洋次監督の作品に出演させていただいたのは最高の財産ですね。黒澤監督の『夢』の撮影現場に “変な外国人がいる” と思ったら、
それが『スター・ウォーズ』のジョージ・ルーカス監督でした。黒澤監督の膝の上に乗りルーカス監督と一緒に写真を撮ったのもいい思い出です」
成人後も可愛い子役時代のイメージのせいか、悪役やクセに強い役などは「話すら来ない時期もあった」という。
「これからは職人的な俳優として、末永く演じていきたいです いろいろと役に立つ副業情報ドットコム
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
QPTHM あなたの最高傑作は?と聞かれると 、黒澤は常に次回作。と答えてた。
しかし、乱の時は、乱が最高傑作だ。と答えた。
乱以降の作品、夢、八月のラプソディーは、画家を目指してた頃の原点に戻って作ったのではないだろうか。映画を撮るというよりは、キャンバスに絵を描くような気持ちで。
まあだだよのせんせいは自分自身を画いたのだろう。
つまり、乱は映画監督黒澤明の集大成であり、
八月の狂詩曲と夢は、画家黒澤明としての作品
まあだだよはあのせんせいは黒澤自身 猫がもう三味線になってるっていたずら電話したのって
実在してるドイツ文学者だって?
酷いことするなぁ https://www.youtube.com/watch?v=A4e5LM3Y88g
『馬の詩』 (1971年のテレビドキュメンタリー)、日本テレビ - 監修・構成
Akira Kurosawa - Uma no uta 1970 VOS Documentary Tadashi Imai's "The Rice"
https://www.youtube.com/watch?v=Oz-fROQdyuM
코메 라이스 1957년도 작품 Kome Rice1957 Tadashi Imai ㅣ米(こめ. 코메)
https://www.youtube.com/watch?v=vEvfJG2IgQw 寺沢武一がツイッターで「夢」のイメージ画を「下手糞だ」と批判してたが
黒澤と宮崎の対談で黒澤が「上手く描いてるんじゃなくて、イメージを伝えるために描いてる」
みたいな事言ってたんだよな
ちなみに石ノ森章太郎は「夢」のイメージ画を賞賛してた 黒澤の描いた絵そのものは悪くないと思うが、その絵に縛られた映画作りしか出来なくなったのが敗因 黒澤のカラー映画全否定のキチガイは皆そう言うよなww 皆そう言うと言うことは真実と言うことだな
ガチのキチガイが普通の人をキチガイ呼ばわりすることもよくある 真正キチガイはコイツだけwww
→ ID:MisSjTnB 黒澤監督が描いた絵で印象に残ってるのが藤村俊二の似顔絵だ
追悼番組で見たんだが、心が洗われるような魅力的な似顔絵でしばらく見入ってしまった 731この子の名無しのお祝いに2018/09/04(火) 07:53:49.33ID:4bA6YCpg
黒澤の描いた絵そのものは悪くないと思うが、その絵に縛られた映画作りしか出来なくなったのが敗因
敗因?
黒澤アンチのキチガイってやっぱり朝鮮人か
このおかしな言葉遣いですぐわかるな 黒澤明
「ホントに良い映画ってのはやっぱ
ホントに楽しいんだよね。
その、しち面倒臭いものじゃないしね。
ホントに良い映画ってのは大変判りやすくってさ、面白くって。」
特典映像「創ると云うことは素晴らしい」より
黒澤自身がこう言ってるんだから、つまらない作品は良い映画じゃないんだよ
狂信者は黒澤作品が好きなんじゃなくて、黒澤が映画を作ったと言う行為が好きなだけ
そんなものは本当の黒澤明ファンとは言えない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています