『まあだだよ』〜後期・晩年黒澤全般スレ
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黒澤後期の作品は大体スレたってるので、ここで遺作のスレを立てたい。
これだけでは話もたないかもしれないので、80、90年代の後期から晩年にいたる
黒澤の特質、変化、エピソードみたいなの、あと彼の手で撮られなかった「雨あがる」
「海は見ていた」とかの話なども。
(作品自体の話は作品スレがある場合はそちらで) BSでやった「乱」録画しといて少し観たけど怖い映画だ。
血の色が鮮やか過ぎて、死体が重なりあってるところとか
原爆の絵か地獄絵みたいだ。
白黒ならともかくカラーでこういうふうにやられちゃうと、映画を映画として
楽しめなくなって続きを見る気がなくなった。仲代は迫真の演技だけど。 ↑とか、影武者のラストとか
どうしてそんなにしつこく血まみれにするのか、と外国で記者に訊ねられ、
黒さわは、
子供の頃、関東大震災があり、家の近くの空き地に血まみれ死体が野積みされていた
そのショックが忘れられないから
と答えた
まあだだよで猫じゃなくてノラ・ミャオが見つかったら面白かったのに、
黒澤はユーモアに欠ける 内田百聞に似ているのは中村錦之助だなあ。
もしくは中村嘉津雄。 この映画で迷い猫の話がでてくるけどあれは
代表的な禅宗的画題のひとつの牧童が牛を探し捕らえるまでの過程を描く十牛図を表しているよね。
牛は、心理、本来の自己、仏教における悟りを象徴している。
牛を得ようとする十牛図は、すなわち本来の自己を探し求める旅、悟りへの道程である。
つまり映画にでてくる猫は牛と置き換えたもの。
黒澤の心を象徴している。それにしてもすごい映画。
他人の文章を写してるのが丸分かりだから、どのスレでも放置されてるんだって。 (⌒⌒)
ii!i!i 赤富士
ノ~~~\
,,,,,,,/ ^ω^ \,,,,,,,,,, 先日BSで「乱」を見たけど、編集ミスの多さにびっくりした。
死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり(このシーンではこの死体が画面のメイン!)、飛び交う矢や爆音にビビって転がってた死体が身体の位置をずらしたりしている。
なんで編集時に誰も気がつかないのかなー。プロの仕事なのか?
この映画、役者も全員猿芝居だし黒沢の演出も大げさにやってるだけで台無しだし。
黒沢の過去の栄光からすると痛々しくて悲しくなる。 >死体が身体の位置をずらしたりしている。
七侍の時から名物だよ。 俺は乱が黒澤映画初体験だったけど、
今までの日本映画にはない迫力やスケールの大きさ、
そして映像の素晴らしさに圧倒された。
彼が巨匠って言われる理由が良くわかった。
「影武者」や「乱」に香川京子の出番はつくれなかったかな。 >>484
>死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり
(このシーンではこの死体が画面のメイン!)
こういう馬鹿な指摘にはいう事はないな。
>飛び交う矢や爆音にビビって転がってた死体が身体の位置をずらしたりしている。
天守の中で倒れてる女が一瞬動いたようにも見えるが、体の位置をずらすと
いうほど大げさなものじゃない。
完全に絶命してなかったのだとしたら、このぐらい動くだろ。
このシーンの死体は「累々と転がった完全な死体」という記号なのだから、普通に考えて動いちゃダメだろ。
死にかけの役なら、悶絶してる演技をちゃんと割り当てられてるよ(もげた腕を持ってる人みたいに)。
このような中途半端な処理をしてたら見ていて興ざめだ。曖昧な部分は明快な表現に修正するのはデザインの鉄則だ。
1〜2秒カットを前後にずらすだけで済む話じゃないか。
あれだけお金と製作期間をかけておきながら何故ここで手を抜くんだろう。
黒沢さんだって「エイゼンシュタインの編集理論には間違いもある」なんて発言して編集作業には力を入れていたはずなのに。
だから「あわれ、老いたり」なのだ。
あれ?ここには反論できないと暴言吐くしかできない馬鹿しかいないのお? >>489
セリフが聞き取りづらい問題と同じで、
黒澤が何を取捨選択して映画を完成させるか、
観客が何を取捨選択して受け取るか、
そこのズレからくる問題なんだと思う。
その取捨選択が少し変っているところが、
長所でもあり欠点でもあるんだが、
長所の方が圧倒的にまさっているのが黒澤なんだと思う。 >>489
「死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり」
そんな場面はどこにもないけど。
夢でも見てたんですよ。
>>492
ちゃんと自分の意見を言える人がいるじゃん。少し安心した。
ぶっちゃけ「乱」は、内容より映像美が全てだと思うのですよ。
フランス政府も「その圧倒的な映像美」に対して評価していたくらいですから。
その映像美を高校生の文化祭映画のようなミスで台無しにしているのはいかがなものかと。
死体が死体の役を放棄したらただの茶番でしょう。
内容で見せる映画ならいざ知らず。黒沢が自らこの映画の存在意義をぶっ壊しているようにしか思えない。
皆さんは、コメディでない映画で死体がまばたきしてても全く気にしないんですか?
>>493
「死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり」 するシーンは、
映画開始1時間5分ほどの所の階段のそばで1人で死んでる役者の演技です。
もう1度見返してみたら、どうやら「目を開けて死んでいたが飛び交う矢にびびって目を閉じてしまったので
そのまま目を閉じた死体の演技に切り替えた」というのが正解みたいに見えます。
皆さんはどう見えますか?
どちらにしても、死体が意図しない演技をしてしまっている事は間違いないでしょう。
私も録画を見ていて思わず「え!嘘だろ」と仰天して慌てて再生を止めてしまったくらい目立つミスですよ。
こんな疑念を観客に抱かせる時点で既にダメです。
「乱」はもう何年も見直してないし、いい機会だと思って見直したら、
顔の上げ下げ、瞼を開けたり閉じたりはなかった。
だいたい、三の城の落城の場面は、矢が次々と飛んでくるのはごく最初の方だけで、
直ぐに火縄銃での一斉攻撃に移り変わる。
三の城の階段というと天守閣の入口前と、秀虎の居室のある階への上り口、および最上階に上がるところ、
このみっつしかない。
このうち、死体が画面に映るのは、ふたつ目に書いた階段のみ。
それは、襲撃場面の前半、まさに矢が打ち込まれているカットでのことだが、確認したら死体はまったく動いていない。
以上。 http://www.youtube.com/watch?v=0qZfpKQ-1fg
冒頭の秀虎が天守閣から見てる外の光景はブルーバックによる
光学合成。
秀虎の目の前を飛んでる矢も後から合成したもの。
矢の飛跡は、物理的に考えればおかしいのだが、そこは映画としての演出だろう。
そのあとの部分でも、本物の矢も使われてるけど、合成も結構多い。
黒澤が「乱」を今の時代に作ってたら、CG使いまくってたと思う。 >>498
そうそう。秀虎が窓を開けると、彼の顔の前を矢が横切る。
その方が見栄えがするからと、あえてそういう演出にしたんだろうけど、あれは変だ。
次郎大将は兵士たちに「どこを狙ってるんだ。ターゲットと垂直の角度に矢を放ってどうする?!」と怒鳴るべき。 というか、このシーン、そもそも気づくの遅すぎねえ?
気づく時は廻りに誰もいないし。けどあとからワラワラ湧いてくる。
刀が折れて城の中に退く時の護衛の兵士は何処から現れたんだとか、
昔からよく言われていることだけど、細かい部分に微妙なところが多すぎ。
映像はとても素晴らしい。特に屋外の傾斜のあるシーン。 細かい部分に微妙なところあるのはどの映画でもあること。
別に黒澤映画だけに限ったことじゃない。
所詮人間が作ったもんだからね。どこかには必ずミスは出てくる。
最初から最後までミスがなく、誰が見ても完璧な映画なんて存在しないし、
そんなものを作ることは不可能。 小国さん残っていれば、もうちょっと整合性取れてたかもね。 >>502
>>503
論理的整合性取ろうとしてないものに
そんな指摘しても意味ないと思う。
映画の見せ場としての必要性があったからの演出なんだから。
「どら平太」で、最後に三船演じるどら平太の爺さんをいきなり登場させて
他の監督に「その爺さんは、今まで何してたの?」
とツッコまれても「そんなの、知るか!」で済ましちゃう人なんだから。 >>504
お前アンカー間違えてないか?
論理的整合性云々なんてこと俺は書いてないぞ。 なんか混乱してるみたいだけど、俺はあれが「ミス」だとは思わないし、
>>501氏も「ミス」だと言うつもりで書いたんじゃないと思うよ。
>>504氏が言う通り、ハナから整合性を考えてなかったんだろうと思う。
(俺は>>500は半分冗談で書いたんだけど、そこがわかり難かったか)
ただ、あまりに「整合性」がないと、気になってしまうのは仕方のないことだと思うけど。
「乱」で>>501さんが言っている以外に、他にも気になったこと。
1.側女の「長老格」とでも言うか、いちばん年上の女はけっこう年輩で、ということは相当昔から秀虎に仕えてるんだろうけど、
物語上まったく無視されてる。(役名すら付いていない)
2.発狂した秀虎が、兵士の群れの間を歩く場面。
以前は気にしたことなかったが、カメラはパンで秀虎を追っている。
他の監督だったら、横移動で撮るはず。
その方が、1カットで一発撮りできるんだし。あの状況なら、当然1カット撮りが妥当だ。
1.については、黒澤にとって側女なんてのはハナから眼中にないというのが興味深い。
既に一文字家の中でそれなりの発言権をもっていてもおかしくないのに、一の城での「道を譲れ」「譲らぬ」
の場面でも一切発言していない。
側女どうこうではなく、女ってものそのものに何の興味もない人だったんじゃないかと思う。
2.については、これまでもいろいろと言われて来た「黒澤の横移動嫌い」を改めて思い知った。
ここまで徹底して横移動撮影(動いている被写体と平行しての)を避けるとは、ちょっと病的なものを感じさせるほどだ。 ちょっと興味がある発言があったので質問さしておくれやす。
>>506
「他の監督だったら、横移動で撮るはず。」って、何故他の監督なら横移動で撮ると断言できるんですか?
あのシーンがパンで撮られて不都合な点ってなんでしょう?
「その方が、1カットで一発撮りできるんだし。あの状況なら、当然1カット撮りが妥当だ。」
1カット撮りが妥当だと主張するのは、カットを割らずずーっと横移動でとらえ続けるべきと言う事ですかね。
あのパンのシーンって、カットを割ってはいるけどそもそも1カットで1発撮りしたものに
それを見ている兵士のアップをアクセントでインサートしているだけじゃないんですかね。
そうしなけりゃ秀虎がただ歩くだけのダラダラしたシーンになると思うし。
そして黒沢さんが横移動撮影にしなかったのは、そうしちゃうとカメラの特性で秀虎の背景の人々が
画面を奇麗に流れていかないからだと思います。
以上でそれは違うという点があれば大いに語りましょう。
「隠し砦の三悪人」で三船が馬に乗って敵兵を追いかけるシーンもパンで撮っているけど、
そうした方が背景が高速で流れて迫力がでるからで、同じ原理で秀虎を見つめる兵の姿や累々の
死体を多く見せるようにパンにしたんだと思います。
映画ってのは効果的に映ってりゃ物理的に嘘でも整合性が取れていなくても全く問題ないので、
そういう演出は歓迎なんですけどねー。 マルチカメラで一発撮りだろうね。
パン抑えて、切り替えてる。
いずれにせよ、時間をかけられないことが、
コンテにかなり影響を与えているシーンだよね。
城の側から撮るカットは、別の日にも撮れそうだけど、
そういうのは入れてないね。 >>508
メイキング見ればわかるけど、燃えてる城入れ込む必要のある
カットだけまとめて撮影して、後は別の日に撮ってるよ。
黒澤自身が、スタッフに事前の説明会で城燃やす日に撮らないといけないのは
秀虎が階段を降りてくるまでと、城門前だけで、あとは別の日でいいと言ってる。 >>508
どの位タイトな撮影だったかは知りませんが、
1発マルチ撮り撮影が多いのは時間が無かったからというより、
役者の緊張感を途切れさせないように1シーン1カットで撮りたかったんだと思う。
マルチカメラの1発撮りの結果、カットを切り替えてもシーンが完全に繋がってるので、
見ていて確かに気持ちいい。
しかし演劇的になりすぎて、映画特有の編集の空気感が無くなって映画としての
魅力が無くなってしまった。
演劇的になりすぎた結果、役者達の大根も強調されることになってしまったし。
黒沢さんはカット割に関しては創造を止めてしまったのかな。 マルチカメラだね。ロングショット用2台、バストショット用1台、計3台で撮ってる。
(あのカットは、城が画面に入っていないので、別の日に撮ったものだと思う)
ピントは秀虎に合わせてあるんで、背景の兵隊たちがどう映るかを考えてのことではないと思うんだけど、
どうなんだろう。
次郎たちが動揺して退く様子は、別にカット・インされてるし。
「普通の監督ならば横移動で撮るだろうところをパンで撮っている」例としては、
「七人の侍」の菊千代が馬に乗って茂みに突っ込む場面(その後、菊千代だけがイテテと言って茂みから出てくる)
「どですかでん」で電車バカが幻の市電を走らせる場面(子供たちが「電車バカ!」と囃しながら石を投げる)
「影武者」での長篠の合戦の場面(これについては伊丹/蓮実/野上の座談会で話題になった)
「八月の狂詩曲」のラスト・シーン
などがある。
「羅生門」の森の中の場面、「天国と地獄」の前半の室内場面でも、「あ、ここでもあえてパンで撮ってるよ」
と思ったカットがいくつかあった。 >>510
>しかし演劇的になりすぎて、映画特有の編集の空気感が無くなって映画としての
魅力が無くなってしまった。
つまり映画としての魅力は「生きる」以前の作品にしかないわけですね。
六郎田さんの書き込みは勉強になります。 >>509
メイキングって?
クリス・マルケルの「A.K.」は確認したんだが、あの場面は描かれてないんだった。
黒澤の横移動嫌いの話が出てくる伊丹/蓮実/野上の座談会は、伊丹の「自分たちよ!」に掲載されている。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4167131072.html
蓮実の本や黒澤研究本にも転載されているらしいが、そっちは知らない。 >>513
メイキング・オブ・乱
http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6%98%8E-
%E5%89%B5%E9%80%A0%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-
%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6%98%8E%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%E8%A3%9C%E5%AE%8C%E6%98%A0%E5%83%8F%E9%9B%86-DVD/dp/B00008NKBU >>511
短時間でこれだけ例を出せるとは、なかなかの黒沢フリークですね。
秀虎の歩きのシーンを、もしレール等の横移動で撮影していたら、多分
背景の兵士達はゆっくりとしか流れて行かないので静かな印象のシーンになると思います。
あのシーンは秀虎も兵士達もテンパッてるシーンだからそれじゃ弱いと黒沢さんは考えたのでは。
皆さんも試しにビデオで実験してみたら判ると思いますよ。
パンで撮影しても1発撮りできるので撮影的にも問題ないし。
「七人の侍」の菊千代のシーンは、おかしな人を傍観するコメディ的な突き放しの視線だと思います。
わざわざ大掛かりな横移動で撮るような大げさなシーンでもないし。
「羅生門」のシーンは、おそらくパン撮影の長所をこの映画の撮影宮川一夫に教えられた最初だと思います。
あの森の中を疾走する臨場感は、実は撮影しょうとしてもなかなか出せるものではなく、
それを宮川一夫がパン撮影によって可能にした結果、世界中の映画関係者がどうやて撮影したか不思議がった
いわく付きのシーンです。なので黒沢さんはそれ以来パン撮影に味をしめてしまったのでしょう。
でも、確かにパンを多用することで編集の工夫を避けてるような気もしてきたなー。
「八月の…」とかを見てると特に。
どちらにしても、パンで撮影する事でさほど不都合は起こってないと思いますが。
>>512
以前の黒沢さんの映画は、マルチカメラで撮影しても控えめに使っていたので映画にリズムがあったんですよ。
でも「影武者」あたりから映画のリズムが「役者のリズムまかせ」になってしまっているのがつまらない理由かなー。
同じ役者まかせなら溝口健二みたく徹底した1シーン1カットにすりゃ凄い緊張感が出て別の価値観が出るのに。
よって私が映画としての魅力を感じるのは「赤ひげ」までです。
>>509
当時テレビで放送されたメイキングの中の作戦会議で黒沢さんが発言してますね。三の城は本建築なんで
慌てなくてもしっかり撮影できるよ、なんて言ってました。
もしかしたら真面目な人なのかも知れないが、コテハンと>>512のせいで何も書く気になれない。
ごめん。 安っぽく燃え落ちない為だけに本建築って もう絶対無理だな。 >>513
AKは芸術的すぎて「メイキング」としては
どうなのかという印象だけどな。
臨場感みたいなものが欠如してるのが致命的。
落城シーン撮影のための打ち合わせ会議なんか非常に面白い。
黒澤がガソリンは危険だから、駄目とか(そんな物誰も使うとは言ってないのに)
「七人の侍」の焼き討ちでガソリン使って燃えすぎた事が、よほどトラウマになってたんだろうとか
そんな事までわかる。
クリス・マルケルが日本語わからないというのが
AKのつまらなさの根本にあると思う。 自分なりの絵作りの映画を撮りたいのか、密着ドキュメンタリーを作りたいのか、
何を狙ってるのかわかんなくて、どうにも中途半端な印象があるね。
「八月の狂詩曲」の大林宣彦監督によるメイキングビデオは未見なんだけど、どうなんだろう。 「八月の狂詩曲」は手塚真
大林宣彦は「夢」
もっとも、このメイキングが黒澤の逆鱗に触れて
大林は黒澤から縁切られた
黒澤より大林が目立ちすぎとかw
>大林は黒澤から縁切られた
なのに「八月の狂詩曲」のパンフレットに寄稿してるのか? >>521
> 黒澤より大林が目立ちすぎとかw
ワロス
大林は映画のエンディングテーマを自分で歌っちゃう面白い人だしな。 >>523
あくまでプライベートの次元の話。
パンフは黒澤プロが作ってるわけじゃないからな。 今後、大林でメイキングはゴメンってだけの話でしょ? 晩年すり寄って来た監督おったけど
黒澤さん ああいうの嫌いですわな と淀川センセ。 まあ寂しかっただろうネ晩年は。
所ジョージ
「近所なんだから遊びに来い来い言われたけど オレがおいそれとは逝けんでしょう」 >>525
縁を切られたという自覚があれば、あんな書簡形式の寄稿は出来ないだろう?
フツーの人間なら。 >>528
「まあだだよ」のプロモーションの企画対談なんですが?
とくに宮崎は当時はまだ徳間傘下だったジブリの人間ですよ。
「まあだだよ」は徳間出資。
その論法でいくと、ルーカスやコッポラにもすり寄ってたという事になるが。 全然否定になってないだろw
>「まあだだよ」のプロモーションの企画対談なんですが?
あの爺ぃが意に染まない相手に愛想笑いするような企画を承知するとか本気で思ってるのか?
本人が断らなかったし、対談内容も過去の天皇っぷりを知ってれば「すり寄って」るようにしか見えんよ。
>その論法でいくと、ルーカスやコッポラにもすり寄ってたという事になるが。
え?違うとでも言いたいわけ? 一文ごとが間違いな上に、それぞれの文章が前後の文脈とつながっていないという
恐るべき支離滅裂ぶり。
悪いことは言わない。病院に行けって、ほんとに。 >>530
真偽はおれにはわからんがこれだけは言っておく。
大林監督はフツーの人間ではない。
これははっきりしてる。 井川比佐志とか松村達雄とか、ちょっとサブに回ることが多くなった名優のよさを見せつけたのが「まあだだよ」の最高に好きなところだ レンタル屋でふと手にとりかりたらとても良かった。
今の自分の年だからよかったのか。 確かにこの映画の良さはガキにはわかりにくいだろうな おすぎがまあだだよを貶したら、
淀川さんからお前みたいな若造にわかってたまるかって言われて
怒られたらしいね。 夢は玉石混交
○狐の嫁入りの話
◎ひなまつりの話
△雪山遭難の話
○トンネルの話
◎ゴッホの話
×原発の話
△鬼の話
○葬式パレードの話
原発の部分は興ざめ、無いほうがよかった。 ◎狐の嫁入りの話
◎ひなまつりの話
△雪山遭難の話
◎トンネルの話
◎ゴッホの話
△原発の話
×鬼の話
◎葬式パレードの話
トンネルを篠田正浩は溝口の雨月物語以来の
日本人の死生観を描いた傑作と評していた。 トンネル話の兵隊の顔色は「どですかでん」の乞食親子の、
しめ鯖をおいしく頂いた後の顔色と一緒だよねw
六ちゃんも出てるし。
葬列の時に村人が演奏してる曲は
「七人の侍」の田植え歌のバリエーションのようにも聞こえる。
黒澤はどこの国でも、どこの民族のものでも、いつの時代のものでもない
オリジナルな曲をと池辺に注文したようだ。
また、真似してくれという意味じゃないけどと
NHKの向田邦子ドラマで使われたトルコの軍楽隊の音楽CDも
参考に渡されたらしい。
ちなみに、あの葬列の村人には「七人の侍」の村人を演じた役者も
いる。 八月の狂詩曲に出てくる
黙って座って帰っていった老女も
「七人の侍」の村人なんだそうな。 「乱」のエンディングクレジット、
渡辺哲の名前はあるが、寺島進の名前はないなw よくあること
良い映画見たなぁ、と思ってIMDBとか見ると、「何この駄作、こんなん褒めるのテラ池沼w」
とか書いてる奴がきっと居る
ヒデェ映画だなぁ、と思ってIMDBとか見ると、「この傑作が分からない池沼どもwは氏ね」
とか書いてる奴がきっと居る 所ジョージ「このクソ坊主!」
小林亜星「大丈夫だよ、まだ俺の出番じゃない。」 >>516
「七人の侍」の菊千代の落馬シーン。
>おかしな人を傍観するコメディ的な突き放しの視線
というよりカメラは菊千代を見てる平八達の
視点。彼らは静止したまま、菊千代を目で追いかけてる。
だから、移動じゃなくてパンの方が自然。
乱の秀虎の歩いてる場面も、誰の視点で撮られてる映像かと
考えれば移動じゃなくてパンになるのは当然だな。 「乱」を見たことがある人だったら、そういう言葉は決して出ない。
どのくらい出ないかというと、ブサイクな女相手にヤる四発目と同じくらいに出ない。
だから、ちょっと可愛いからといって「今日はあぶないから中に出さないで」
などとボザく女とヤる場合には、その前にブサイクな女と三発ヤっておけばいい。
つまり、そういうことだ。 「七人の侍」だと冒頭で勘兵衛が勝四郎と一緒に歩いてる場面が
移動撮影だけど、あれは勘兵衛を追いかけてる菊千代と利吉の視点だろう。
まあだだよの香川さん素敵でした
八千草薫だったら駄目だったな 役者として山下達郎を起用すべきだった。黒澤はタイミングを逃した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています