『まあだだよ』〜後期・晩年黒澤全般スレ
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黒澤後期の作品は大体スレたってるので、ここで遺作のスレを立てたい。
これだけでは話もたないかもしれないので、80、90年代の後期から晩年にいたる
黒澤の特質、変化、エピソードみたいなの、あと彼の手で撮られなかった「雨あがる」
「海は見ていた」とかの話なども。
(作品自体の話は作品スレがある場合はそちらで) >>409
自伝「蝦蟇の油」によると影響を受けた無声映画としてマキノを二本か三本挙げてるでしょ。
浪人街と首の座だったかな?三本は伊藤大輔だったかもしれない。 >>409
そもそも小国に来て貰ったのは、
マキノの映画を観てのこと。 >>409
黒澤が選ぶ100本には入ってなかったね。
他の日本人監督の作品は何本か入ってたけど。
だから大して評価してないでしょ。
>>406
マキノのなんか全く関係ねえよ。適当なこと言うな。 >>412
それは小国に対する評価だよな。
黒澤は降旗の映画を見て
向田邦子の脚本誉めるような人だから。
>>414
加東大介の息子が黒澤和子の
元だんなだよ。
黒澤が津川とかと一緒に写ってる
結婚式の時の写真もあったよ。 >>413
マキノは
成瀬や溝口や小津のように
愛情と尊敬を込めて語る対象でなかったことは
確か。
「そんな人もいたね」程度の認識でしょう。
マキノは村木与四郎のいう
いわゆる「職業映画監督」だからね。 職業映画監督はちょっと違うだろ。
映画職人くらいにしといてくれ。 >>416
>加東大介の息子が黒澤和子の元だんなだよ。
そんなことはもちろんわかってるよ。
俺は>>406が黒澤の孫にはマキノの血筋も入ってるなんて言ってるから
違うって指摘しただけ。
昭和四十年代の高倉健もののマキノしか知らない人って本当に気の毒だと思うね。
俺はある程度観られたからまだいいけど(それでも総数の1/3以下だが)
まあ実際に見てみると凄いよ。戦前も戦時中も戦後もワイドも。 わざわざ恥の上塗りをするためだけに再登場してきた>421に乾杯! >421
いいか?お前は絶対に「マキノ家 wikipedia」で検索したりするんじゃないぞ!
そんな事したら最後、回線切ってムトハップ買いに出かけたくなっちまうからな!
いいな?絶対にするなよ!、わかってるな!絶対に検索しちゃダメだ! >>426-427
恥さらしてるのはお前らだよ。
スレ違いだからさっさと消えな。 >>429-430
いつまでやってんだよw ほんと馬鹿みたいw 加東大介の兄嫁はマキノ家の人間ではあるが、
加東大介の息子にマキノ(省三)の血は入ってない。
>>432
その通り。黒沢の孫はマキノとは何のつながりもないってこと。
>>406の馬鹿は何でこういうすぐばれるような嘘つくんだろうな。 「鉄砲バカ」でしょ。
読解力がないから勘違いして一人で騒いでる。
>>434
それじゃマキノとどういうつながりがあるのか説明してもらうか。 宮崎 奥さんがすっと小屋の裏手に隠れますね。
そこに何があるのか僕には全然わかりませんけど、
小さな空間を上手にあの奥さんが使って、見苦しくないようにやっている。
ああいう日本の姿というのは、いつ頃消えたんでしょうか?
黒澤 ええそう。第一ね、あの香川君というのは、今度、実に見事にやってるんです。
ワロタww このときの対談は黒澤が83歳。
そりゃあ耳も遠くなってるだろ。
宮崎の質問に聞き返す場面も何回かあったし。
>ああいう日本の姿というのは、いつ頃消えたんでしょうか?
この質問をスルーしたのが、そんなにおかしい? >ああいう日本の姿というのは、いつ頃消えたんでしょうか?
いつ頃消えたのか黒澤は分からなかったんだろうw
黒澤は松村の寿命を確実に縮めてしもた。大体こやつが歩いた後には壘々たる死体が横たわる。精気を吸いとってしまうんだろう。
当の本人が長生きしたのは当然だ 675 :うんこまん:2008/05/19(月) 15:43:30 ID:nSqfiy1X
>>673
http://www.vixunu.net/geboimgs/unko2.jpg
Son of a bitch! You're MOTHER FUCKER!!
意味わかるかな?わかんねえだろな…
ガキ
676 :この子の名無しのお祝いに:2008/05/19(月) 16:21:16 ID:nSqfiy1X
>>673
きさまはメルヘンもといメンヘル板がお似合いだぜ さっさと逝け隣のベッドのババアとオメコでもしてろこの糖質120%チンポの我慢汁野郎
ID:nSqfiy1Xは真正の基地外。
大島渚がやはり「まあだだよ」の後に黒沢にインタビューしたのがあって
こちら元気に答えてる
思い出話が多かったこともあるけどね >>453
そうです
707chで時々繰り返してやってますね 「ノラはとっくに三味線の皮になっちまったよ」といって三味線の音を電話口から聴かせてきたやつ、
われわれ2chネラーみたいだなw あれはモデルがいて、出入りしていた元生徒、彼が酔っ払ってした電話。
映画では匿名のいたずら電話のような処理でしたが。
「崖の上のポニョ」を見たら、晩年の黒沢映画を思い出した。
もはやストーリーに興味を失っている感じが、良く似ている。
映像の力と豊かさが凄いよ、ポニョは
俺は最高傑作だと思ったな
60代勝負では宮崎の圧勝と言ってよかろう 晩年の映画はストーリーは退屈だけど圧倒的に印象に残るシーンがある
娯楽映画でこういうシーンは撮れないのかな >>459
宮崎アニメのファンは可哀相な知恵遅れ。
これ以上、生きていても仕方ないので、
死 ん で く だ さ い
黒澤は前期の作品の方が面白いけど後期の作品の方が感動する 後期に寺尾聡を気に入ってよく使ってたけど、
なぜ黒澤作品に宇野重吉はなかったんだろうか?
オファーは出したが宇野が黒澤嫌いだったとか、
黒澤が宇野の演技が嫌いだったとか、
その辺のこと何か知っている方いませんか? BSでやった「乱」録画しといて少し観たけど怖い映画だ。
血の色が鮮やか過ぎて、死体が重なりあってるところとか
原爆の絵か地獄絵みたいだ。
白黒ならともかくカラーでこういうふうにやられちゃうと、映画を映画として
楽しめなくなって続きを見る気がなくなった。仲代は迫真の演技だけど。 ↑とか、影武者のラストとか
どうしてそんなにしつこく血まみれにするのか、と外国で記者に訊ねられ、
黒さわは、
子供の頃、関東大震災があり、家の近くの空き地に血まみれ死体が野積みされていた
そのショックが忘れられないから
と答えた
まあだだよで猫じゃなくてノラ・ミャオが見つかったら面白かったのに、
黒澤はユーモアに欠ける 内田百聞に似ているのは中村錦之助だなあ。
もしくは中村嘉津雄。 この映画で迷い猫の話がでてくるけどあれは
代表的な禅宗的画題のひとつの牧童が牛を探し捕らえるまでの過程を描く十牛図を表しているよね。
牛は、心理、本来の自己、仏教における悟りを象徴している。
牛を得ようとする十牛図は、すなわち本来の自己を探し求める旅、悟りへの道程である。
つまり映画にでてくる猫は牛と置き換えたもの。
黒澤の心を象徴している。それにしてもすごい映画。
他人の文章を写してるのが丸分かりだから、どのスレでも放置されてるんだって。 (⌒⌒)
ii!i!i 赤富士
ノ~~~\
,,,,,,,/ ^ω^ \,,,,,,,,,, 先日BSで「乱」を見たけど、編集ミスの多さにびっくりした。
死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり(このシーンではこの死体が画面のメイン!)、飛び交う矢や爆音にビビって転がってた死体が身体の位置をずらしたりしている。
なんで編集時に誰も気がつかないのかなー。プロの仕事なのか?
この映画、役者も全員猿芝居だし黒沢の演出も大げさにやってるだけで台無しだし。
黒沢の過去の栄光からすると痛々しくて悲しくなる。 >死体が身体の位置をずらしたりしている。
七侍の時から名物だよ。 俺は乱が黒澤映画初体験だったけど、
今までの日本映画にはない迫力やスケールの大きさ、
そして映像の素晴らしさに圧倒された。
彼が巨匠って言われる理由が良くわかった。
「影武者」や「乱」に香川京子の出番はつくれなかったかな。 >>484
>死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり
(このシーンではこの死体が画面のメイン!)
こういう馬鹿な指摘にはいう事はないな。
>飛び交う矢や爆音にビビって転がってた死体が身体の位置をずらしたりしている。
天守の中で倒れてる女が一瞬動いたようにも見えるが、体の位置をずらすと
いうほど大げさなものじゃない。
完全に絶命してなかったのだとしたら、このぐらい動くだろ。
このシーンの死体は「累々と転がった完全な死体」という記号なのだから、普通に考えて動いちゃダメだろ。
死にかけの役なら、悶絶してる演技をちゃんと割り当てられてるよ(もげた腕を持ってる人みたいに)。
このような中途半端な処理をしてたら見ていて興ざめだ。曖昧な部分は明快な表現に修正するのはデザインの鉄則だ。
1〜2秒カットを前後にずらすだけで済む話じゃないか。
あれだけお金と製作期間をかけておきながら何故ここで手を抜くんだろう。
黒沢さんだって「エイゼンシュタインの編集理論には間違いもある」なんて発言して編集作業には力を入れていたはずなのに。
だから「あわれ、老いたり」なのだ。
あれ?ここには反論できないと暴言吐くしかできない馬鹿しかいないのお? >>489
セリフが聞き取りづらい問題と同じで、
黒澤が何を取捨選択して映画を完成させるか、
観客が何を取捨選択して受け取るか、
そこのズレからくる問題なんだと思う。
その取捨選択が少し変っているところが、
長所でもあり欠点でもあるんだが、
長所の方が圧倒的にまさっているのが黒澤なんだと思う。 >>489
「死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり」
そんな場面はどこにもないけど。
夢でも見てたんですよ。
>>492
ちゃんと自分の意見を言える人がいるじゃん。少し安心した。
ぶっちゃけ「乱」は、内容より映像美が全てだと思うのですよ。
フランス政府も「その圧倒的な映像美」に対して評価していたくらいですから。
その映像美を高校生の文化祭映画のようなミスで台無しにしているのはいかがなものかと。
死体が死体の役を放棄したらただの茶番でしょう。
内容で見せる映画ならいざ知らず。黒沢が自らこの映画の存在意義をぶっ壊しているようにしか思えない。
皆さんは、コメディでない映画で死体がまばたきしてても全く気にしないんですか?
>>493
「死体役が薄目開けて周囲を見渡して慌ててまた顔を下げたり」 するシーンは、
映画開始1時間5分ほどの所の階段のそばで1人で死んでる役者の演技です。
もう1度見返してみたら、どうやら「目を開けて死んでいたが飛び交う矢にびびって目を閉じてしまったので
そのまま目を閉じた死体の演技に切り替えた」というのが正解みたいに見えます。
皆さんはどう見えますか?
どちらにしても、死体が意図しない演技をしてしまっている事は間違いないでしょう。
私も録画を見ていて思わず「え!嘘だろ」と仰天して慌てて再生を止めてしまったくらい目立つミスですよ。
こんな疑念を観客に抱かせる時点で既にダメです。
「乱」はもう何年も見直してないし、いい機会だと思って見直したら、
顔の上げ下げ、瞼を開けたり閉じたりはなかった。
だいたい、三の城の落城の場面は、矢が次々と飛んでくるのはごく最初の方だけで、
直ぐに火縄銃での一斉攻撃に移り変わる。
三の城の階段というと天守閣の入口前と、秀虎の居室のある階への上り口、および最上階に上がるところ、
このみっつしかない。
このうち、死体が画面に映るのは、ふたつ目に書いた階段のみ。
それは、襲撃場面の前半、まさに矢が打ち込まれているカットでのことだが、確認したら死体はまったく動いていない。
以上。 http://www.youtube.com/watch?v=0qZfpKQ-1fg
冒頭の秀虎が天守閣から見てる外の光景はブルーバックによる
光学合成。
秀虎の目の前を飛んでる矢も後から合成したもの。
矢の飛跡は、物理的に考えればおかしいのだが、そこは映画としての演出だろう。
そのあとの部分でも、本物の矢も使われてるけど、合成も結構多い。
黒澤が「乱」を今の時代に作ってたら、CG使いまくってたと思う。 >>498
そうそう。秀虎が窓を開けると、彼の顔の前を矢が横切る。
その方が見栄えがするからと、あえてそういう演出にしたんだろうけど、あれは変だ。
次郎大将は兵士たちに「どこを狙ってるんだ。ターゲットと垂直の角度に矢を放ってどうする?!」と怒鳴るべき。 というか、このシーン、そもそも気づくの遅すぎねえ?
気づく時は廻りに誰もいないし。けどあとからワラワラ湧いてくる。
刀が折れて城の中に退く時の護衛の兵士は何処から現れたんだとか、
昔からよく言われていることだけど、細かい部分に微妙なところが多すぎ。
映像はとても素晴らしい。特に屋外の傾斜のあるシーン。 細かい部分に微妙なところあるのはどの映画でもあること。
別に黒澤映画だけに限ったことじゃない。
所詮人間が作ったもんだからね。どこかには必ずミスは出てくる。
最初から最後までミスがなく、誰が見ても完璧な映画なんて存在しないし、
そんなものを作ることは不可能。 小国さん残っていれば、もうちょっと整合性取れてたかもね。 >>502
>>503
論理的整合性取ろうとしてないものに
そんな指摘しても意味ないと思う。
映画の見せ場としての必要性があったからの演出なんだから。
「どら平太」で、最後に三船演じるどら平太の爺さんをいきなり登場させて
他の監督に「その爺さんは、今まで何してたの?」
とツッコまれても「そんなの、知るか!」で済ましちゃう人なんだから。 >>504
お前アンカー間違えてないか?
論理的整合性云々なんてこと俺は書いてないぞ。 なんか混乱してるみたいだけど、俺はあれが「ミス」だとは思わないし、
>>501氏も「ミス」だと言うつもりで書いたんじゃないと思うよ。
>>504氏が言う通り、ハナから整合性を考えてなかったんだろうと思う。
(俺は>>500は半分冗談で書いたんだけど、そこがわかり難かったか)
ただ、あまりに「整合性」がないと、気になってしまうのは仕方のないことだと思うけど。
「乱」で>>501さんが言っている以外に、他にも気になったこと。
1.側女の「長老格」とでも言うか、いちばん年上の女はけっこう年輩で、ということは相当昔から秀虎に仕えてるんだろうけど、
物語上まったく無視されてる。(役名すら付いていない)
2.発狂した秀虎が、兵士の群れの間を歩く場面。
以前は気にしたことなかったが、カメラはパンで秀虎を追っている。
他の監督だったら、横移動で撮るはず。
その方が、1カットで一発撮りできるんだし。あの状況なら、当然1カット撮りが妥当だ。
1.については、黒澤にとって側女なんてのはハナから眼中にないというのが興味深い。
既に一文字家の中でそれなりの発言権をもっていてもおかしくないのに、一の城での「道を譲れ」「譲らぬ」
の場面でも一切発言していない。
側女どうこうではなく、女ってものそのものに何の興味もない人だったんじゃないかと思う。
2.については、これまでもいろいろと言われて来た「黒澤の横移動嫌い」を改めて思い知った。
ここまで徹底して横移動撮影(動いている被写体と平行しての)を避けるとは、ちょっと病的なものを感じさせるほどだ。 ちょっと興味がある発言があったので質問さしておくれやす。
>>506
「他の監督だったら、横移動で撮るはず。」って、何故他の監督なら横移動で撮ると断言できるんですか?
あのシーンがパンで撮られて不都合な点ってなんでしょう?
「その方が、1カットで一発撮りできるんだし。あの状況なら、当然1カット撮りが妥当だ。」
1カット撮りが妥当だと主張するのは、カットを割らずずーっと横移動でとらえ続けるべきと言う事ですかね。
あのパンのシーンって、カットを割ってはいるけどそもそも1カットで1発撮りしたものに
それを見ている兵士のアップをアクセントでインサートしているだけじゃないんですかね。
そうしなけりゃ秀虎がただ歩くだけのダラダラしたシーンになると思うし。
そして黒沢さんが横移動撮影にしなかったのは、そうしちゃうとカメラの特性で秀虎の背景の人々が
画面を奇麗に流れていかないからだと思います。
以上でそれは違うという点があれば大いに語りましょう。
「隠し砦の三悪人」で三船が馬に乗って敵兵を追いかけるシーンもパンで撮っているけど、
そうした方が背景が高速で流れて迫力がでるからで、同じ原理で秀虎を見つめる兵の姿や累々の
死体を多く見せるようにパンにしたんだと思います。
映画ってのは効果的に映ってりゃ物理的に嘘でも整合性が取れていなくても全く問題ないので、
そういう演出は歓迎なんですけどねー。 マルチカメラで一発撮りだろうね。
パン抑えて、切り替えてる。
いずれにせよ、時間をかけられないことが、
コンテにかなり影響を与えているシーンだよね。
城の側から撮るカットは、別の日にも撮れそうだけど、
そういうのは入れてないね。 >>508
メイキング見ればわかるけど、燃えてる城入れ込む必要のある
カットだけまとめて撮影して、後は別の日に撮ってるよ。
黒澤自身が、スタッフに事前の説明会で城燃やす日に撮らないといけないのは
秀虎が階段を降りてくるまでと、城門前だけで、あとは別の日でいいと言ってる。 >>508
どの位タイトな撮影だったかは知りませんが、
1発マルチ撮り撮影が多いのは時間が無かったからというより、
役者の緊張感を途切れさせないように1シーン1カットで撮りたかったんだと思う。
マルチカメラの1発撮りの結果、カットを切り替えてもシーンが完全に繋がってるので、
見ていて確かに気持ちいい。
しかし演劇的になりすぎて、映画特有の編集の空気感が無くなって映画としての
魅力が無くなってしまった。
演劇的になりすぎた結果、役者達の大根も強調されることになってしまったし。
黒沢さんはカット割に関しては創造を止めてしまったのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています