『まあだだよ』〜後期・晩年黒澤全般スレ
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黒澤後期の作品は大体スレたってるので、ここで遺作のスレを立てたい。 これだけでは話もたないかもしれないので、80、90年代の後期から晩年にいたる 黒澤の特質、変化、エピソードみたいなの、あと彼の手で撮られなかった「雨あがる」 「海は見ていた」とかの話なども。 (作品自体の話は作品スレがある場合はそちらで) 小林亜星(僧侶役)の 「心配すんな、まだ俺の出番じゃない。」 とか、かな。 世代は関係ないんじゃないかな 当時学生だったけど引き込まれて観たな 夢が好きな親父は観てられなくて途中で退席したらしいけど >世代は関係ないんじゃないかな そうだね。 かなり年配らしい京都の美術館の浣腸が酷評してたから。 そういえば佐藤勝も確か酷評していたね。 >>258 百けん 先生がユーモラスな講釈をたれる度に、爺さん達が座っている席から笑いが起こっていた気がする。 あと、ビアホールで「おいっちに♪」の即興の かえ唄シーンも大笑いだった。 自分も「チィーチィーパッパァー、チィーパッパァー♪」で思わず笑ったけど。 >>144 宮沢りえが出る黒澤映画は観たいなあ 晩年は老人ばかり撮ってただけに >>257 試写会とか映画館は観たい人が観に行っているんだから、 そこから一般的な世代論を言うのは愚の骨頂。 この映画を劇場公開されたとき(20代)見たけど ノラのエピソードで号泣し(爆笑)、 「庭の柳の木も、もうこんなに大きくなった」の ナレーションで何故か感動した。 「お月様が出ましたよ」 「♪出た出た月がー」 四季の移り変わりのシーンも とても素敵な映画なのにね。 モーッアルトの晩年の作品「クラリネット五重奏曲」の様な澄み切った美しさの ある稀有な映画。 素晴らしい遺作だと思う。 「デルス・ウザーラ」は単独スレ無いのかな? 白痴の失敗を反省して腕を上げた後で取り直した傑作だと思うんだけど デルスは黒澤明論を語る上で非常に秀逸なテキストだと思うんだけど 単独作品としてみると 黒澤がよく言う「映画になってる(なってない)」という表現を借りれば 映画になってない気がするんだよね。 >>265 さんも「白痴」との関係性で語ってるように。 今後年取ってくるとまた印象が変わってくるかもしれんけど。 デルスは好きな作品だな ただ訴えるものが弱い気もする >>215 あなたの好きな白黒の黒澤作品を飽きるまで堪能して、 もっと他にも観たい衝動に駆られてから カラーに進出されたらいいと思います。 >>264 ハゲどう どうどうどう 「クラリネット五重奏曲」・・・うん、いいことおっしゃいます 「まあだだよ」は、 内田百間・命のウチの親父が観て 「くだらん・・・」と吐き捨ててた。 「クラリネット五重奏曲」を良い曲だからといって 人にすすめても 「フーン?」でしょうね。 「クラリネット五重奏曲」を名曲だと思えなくとも 生きていくのには困りませんから別にいいのですよ。 かくいう私も「クラリネット五重奏曲」を最初は 「つまらん」と思った人でしたから。 戦後にしては、猫ちゃん(ノラ?)が太り過ぎじゃない? 去勢したからかなと思ったら、立派なタマタマが付いていたし。 >>272 特にきれいでもなかったけど、写真を見れば狙いは明らか。 ttp://www.pbs.org/wnet/gperf/shows/kurosawa/multimedia/images/film7_01.jpg 荒れ野で戦わせたいなら他の場所を選ぶか、この場所を荒らしたでしょうな。 他のシーンの撮影規模を見ればそのくらい大ごとでも何でもない事が分かるはず。 芝生が綺麗だっていうのはバリーリンドンの影響じゃね? 「内田百閧知る者にとっては、この映画は失望させるだけであったことは、 作品そのものが、黒澤的世界の象徴である「先生と弟子」のパターンで 描かれているからにほかならない。」 >黒澤的世界の象徴である「先生と弟子」のパターン あの映画は今までの黒澤の「先生と弟子」のパターンからは 逸脱してる作品なんですけど。 >>285 パソコン機能で出るよ 閧ニか?とか關とか。 ↑例を三つ出したが、二つ目が?に化けた。 機種依存文字とでもいうのかな。 先生が弟子に愚痴をこぼしたり 泣き言いうわ、最後には礼までいう。 勘兵衛が勝四郎に礼をいうシーンなんて 想像できるか? ただ、内田ファンからしてみると、 ちょっと黒澤的バイアスがかかってる。 飄々としたところがかなり消えてるから。 >>284 の言っていることは正しいが。 >ただ、内田ファンからしてみると 「まあだだよ」の公開時のインタビューで 製作の動機を語ってるけど 自分の孫に聞いてみて 最近の先生と生徒の関係に疑問を持った。 勉強を教わるのはもちろんだが、先生の人格そのものから 教わる部分が非常に大事だ・・・ みたいなことを最初にあげてる。 黒澤は別に内田百閧フ伝記映画や文学世界を描こうとしたわけではない。 内田と弟子の関係に仮託して、自分の考える理想の先生と弟子の関係を 描こうとした映画だよこれは。 公開時のコピー 「ここには今は忘れられてしまった大切なものがある」 というのは端的にこの映画を現してる。 黒澤的バイアスというより、黒澤が自分が言いたい事を伝えるために 作った映画だから。 関係ないけど内田は「君が代」が好きだったらしいが 映画には出てこない。 私は黒澤が嫌いだから出さなかったと思ってるんだが これも黒澤バイアスかw 「七人の侍」で勘兵衛は勝四郎を子供というが 「まあだだよ」では弟子たちが先生を子供だという。 全く逆になってるのが面白い。 百間と合ったことのある人達からの評価はどうだったのかな? まぁ黒澤さんは実物に捉われず自由に描いただろうけど。 偏屈、変人、ガキ、わがままってところ。ユーモアはあった。 >>292 実物の人物評じゃなくて、 実際に百間と合ったことのある人達からの「まあだだよ」の評価 を知りたい。 「何これ?どこが百間?」ってのが多かったな。 俺もあれなら完全なオリジナルとして作った方が良かっただろうと思う。 >「何これ?どこが百間?」ってのが多かったな。 いやだから、そいつらは本は読んでても 本人と面識があるわけじゃないからw 自分の作り上げたイメージと違うというだけ。 ちなみに野上照代は本人に会った事あるよ。 >>296 > いやだから、そいつらは本は読んでても > 本人と面識があるわけじゃないからw 妄想乙 >>291 の疑問はよく分かる。 なにしろ内田原作は、一人称の随筆なので、「先生」の視点で書かれている。 しかし「まあだだよ」は、常に生徒から見た先生像が描かれている。 出来上がったものの印象が違うのは、違って当り前である。 それだけに「まあだ会」に集まった生徒達の、 飾らない意見は聞いてみたい気もする。 メイキングの松村達雄へのダメだしシーン見たけど アレはもうSMだね。ホモSMw 松村達雄はあれで頭にきて 降板させてくれと。 この年になって人まで怒鳴られるのは辛いから 二人だけでリハーサルやるという条件にして 引き受けたんだよな。 ビートたけしの表現だと、こういうことになってる 松村「もうやめたい」 黒澤「バカなこと言っちゃいかんよ、ワハハ」 あの四季のシーンが何とも言えず好きだ。 雪の日の香川京子のポーズがカワエエ。 1シーンのためにあれだけの労力が注ぎ込まれているのは 日本映画では珍しいと思う。この映画ではあそこが一番好きな箇所。 そうだね。あそこはいいね。 宴会シーンなければいい映画。 「まあだだよ」の戦後の廃虚のシーンは凄い。 当時を知ってる人じゃないと描けないと思う。 まぁ、村木氏に言わせると「アレは震災の廃墟であって、空襲の廃墟にはなってない」そうだが。 黒澤監督のカラー作品の多くは演劇から抜けきらない役者に足を引っ張られてる気がするな。 脚本的にも何かに制約されてるような元気の無いものだし、晩年の作品は見る側を引き込むものが少ない。 やはり黒澤監督の真骨頂はモノクロ時代の時代劇にあるだろう。 「八月の狂詩曲」のラストや、「まあだだよ」のパーティの場面が、 「何かに制約されてるような元気の無いもの」かなあ? 「見る側を引き込むものが少ない」かなあ? 自分の好き嫌いを一般論にすり替えているよ。 >>310 「まあだだよ」は傑作だと思っているが、あの場面はいただけない。 戦後の廃墟を知らない世代の自分にも薄っぺらに見えた。 タイミングよく「リンゴの歌」が流れる都合良さには飽きれた。 小津、溝口、成瀬と比べて晩年の黒澤は不器用だなって思う 若い頃の作品は思いの深さと力技で高みに上ったけど晩年の作品は墨絵の魅力を目指して力足りずって気がする だけど俺は不器用な晩年の作品見てから黒澤好きになったよ カラーになってからが本来の黒澤らしい黒澤なんじゃね? 「まあだだよ」は国内向けに作られたように思うが、 海外ではどんな反応だったのだろう? >>313 > 「まあだだよ」のパーティの場面 ありゃひどいね 老人の戯言 「まあだだよ」は素晴らしい作品。 わからない奴はわからなくて結構だ。 「まあだだよ」のラストは、「2001年宇宙の旅」を意識している、・・・などと考えるのは裏目読みってものかね。 >>316 イギリスで上映した時に >ありゃひどいね 老人の戯言 と書かれてる >> 「まあだだよ」のパーティの場面 を字幕がなくとも面白いと熱弁をふるってる人がいた。 (実際に英語字幕なしで上映) 野上照代がいってた。 分かる人にはきちんと評価されてるよ。 >晩年の作品は墨絵の魅力を目指して ええ? 「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」のどこが墨絵を目指してるの? >>320 映像表現じゃなくて撮る時の心構えってことじゃね? >>319 成瀬巳喜男監督の「放浪記」のラストにそっくりだと思う。 おいちにの薬屋さんの歌も最初に少しだがでてくる。 おまけに高峰秀子がゴンドラの唄を歌ってるしw This QuickVote is not scientific and reflects the opinions of only those Internet users who have chosen to participate. The results cannot be assumed to represent the opinions of Internet users in general, nor the public as a whole. The QuickVote sponsor is not responsible for content, functionality or the opinions expressed therein. 同じ人間の複数カウントを否定できない。 無差別捕鯨よりは制限付き捕鯨がマシなので、 マシという意味で投票している可能性あり。 ええええええええ、まだ生きてんの?あのボケ老人wwwwwwwwwwwwww >体重75キロ、ウエスト95センチの、 >タヌキの信楽焼きのような裸を想像して、何か楽しいですか? 「でも、本当に、熊みたいじゃないもん。 かわいいんだもん。 身長156センチ、体重47キロ、B82、W63、H86。」 「まあだだよ」は黒澤現代劇で唯一、社会的なテーマが感じられない。 年齢的に無理かなぁ。 >>14 余りにも想像力が糞でトンネルのシーンでは思わずこっくりしていたww >>336-338 お前みたいな感性の貧弱な奴にはは黒澤映画は無理だから もうここにはこないでねw >>340 お前も知ったような口を利くな〜ww 基本的に>>215 と同じような感じ方をしているんだけれど、 >>339 のように評価する点は評価してるよ 「影武者」は勝新太郎あっての作品だったろう。彼だからこそ武士と農民の2役 が出来たのであって、仲代には農民役は無理があった。 >>富士山の爆発シーンの特撮って火薬の昭ちゃんだった。 英語がわからないとラストのクレジットタイトルも読めないから しょうがないなw 夢で日本がやったのは「鴉」のハイビジョン合成だけだよ。 ちみなに「赤富士」は最初ILMはもっとリアルなのを 作ったらNG。 黒澤ってカラーになってからはとんでも映画ばっかりだね 黒澤はカラーになってからも素晴らしい映画ばっかりだね 松本人志 「僕の黒澤作品の評価はやっぱり凄い人だと思います。 『七人の侍』にしても時間が長いかなあと感じるけど、 見るとやっぱり面白いし何より作り手のパワーを感じる。 あと世間と逆の意見なんですけど、 モノクロよりもカラーになってからの作品のほうが好きなんです。 『影武者』とか『乱』とか、やっぱりあの映像美は凄い! あれだけ金を使えば良いものができるのは当然と言う奴がいますが、 いやいや、金を使うのも才能なんですよ。 才能が無い奴に何億も金渡して「なんか面白いの作ってみい」と渡したって、 絶対に使い切れませんて」 さすが天才松本!良いこと言った! 映像美wwwそんなもんいらんから面白い映画見せろや黒澤 ジャッキー・チェンは「影武者」の大ファンで7回も見たらしい。 俺も大体このくらい見てる。 何回観ても面白いからね。 あと「乱」も何回か見てるけど、見る度に俺の中で評価が上がっていく凄い映画。 とにかく晩年の黒澤さんはエネルギッシュで衰えを全く感じさせない凄い監督だ。 >>347 松っちゃんのこと見直したね。 やっぱりわかる人にはわかるんだな。 >>347 大島渚と同じ意見だな。当時批判的意見が多い中で、 10億渡されて、同じ映画が撮れる人間はいねーよと。 >>350 黒澤本人がそういってるんだが。 受け売りに感心するなよ。 >>354 基地外はここに来るな。自分の巣から出てくるな。 ↑翻訳 「ここは俺の巣だ!他のキチガイは来るな!」 >>347 意外と松本って映画に対する見る目があったんだな。 大日本人なんてトンデモ映画作ったけどw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる