洗練の美学 中平康
二年前にスレがあったのだが・・・ デビューから晩年まで広く語ろう。 Criterion Collectionから「狂った果実」が出るね。 また一年前みたいに特集やってほしいな。CSでもいいけど。 にしても、>>2 のスレってなんでそんだけしかレスがつかなかったんだ? おととしのユーロでの特集と重なってるのに… 中平のワースト5はなにかな? @ 変奏曲 いやぁ、意あって力足らずで、見ていて痛ましい。 A 闇の中の魑魅魍魎 吉村公三郎が撮っていたら傑作になったはずだけど。 B 青春太郎 ラストの柳永二郎のセリフでコケる C 喜劇大風呂敷 藤田まことって面白い役者だったはずなんだけどな〜 D 牛乳屋フランキー 半世紀の時の経過で、ギャグがまったく受けなくなった。 こういうことが言えるのも、デビュー数年の作品が傑出していたからであります、はい。 >>6 ワースト5は、結構同意。じゃ、逆にデビュー数年後以外の傑作・佳作を。 やはり、中平康のフイルモグラフィーで特筆すべきは、昭和39年の狂い咲きとも いえる、「猟人日記」「砂の上の植物群」「おんなの渦と淵と流れ」の、仲谷昇&稲野和子 による、性の3部作といえるでしょう。(これに「月曜日のユカ」を加えて4部作という人もいる。) 3作品とも賛否両論ありますが、果敢に映像表現の新しさに挑戦した意欲作といえるのでは? 他にも、中平版「真昼の暗黒」の「その壁を砕け」とか、中平版「愛と希望の街」の「泥だらけの純情」とか、 裕次郎の青春コメディでは最高作の「あした晴れるか」とか、まだまだおススメ作はありますよ。 浜田光夫唯一アクション作 俺の背中に陽が当る だな >>10 「俺の背中に陽が当る」って、唯一浜田・小百合コンビの、浜田の方が主演の 作品なんですよね。あと、中平康でもう1本、芦川いづみ主演の「結婚相談」も、 ちょっとユニーク(?)な作品ですよ。う〜ん、こうしてみると、まだまだありそう。 「狂った果実」とか、 昭和30年代前半には、いい作品を作ってるよね。 西村昭五郎監督が、中平氏に、 「あなたの作品は、主義主張がないから、賞を獲れない」 と、言ったらしいが・・・ http://www.jmdb.ne.jp/person/p0279200.htm 増村もそうだけど、もうすこし長生きしてればどんなのを撮って、 どんな評価をされてたか、と思うよね。 >>13 う〜ん。娘さんの中平まみの著書なんかを読むと、晩年はアルコールでボロボロだったそうで、 あまり期待はできなかったんじゃないかな?でも、中平康は、初期以外でも結構、佳作・意欲作 があるんですよね。当時はもう過去の人扱いされてたんではないかな?>>9 で挙げた 昭和39年の作品なんて、キネ旬のベストテンで1票もはいってないしね。でも、今の時点でも 鑑賞に堪えうる作品がいっぱいある。 >>14 田山力哉のルポはどこまで信用していいか分からないのだけれど、ボロボロになりつつ、 TV映画とか撮ってたみたいですね。最期の頃は、もう演出に耐えられる体ではな かったようで。そのまま現場で亡くなった。 田山さんは、けっこう途中から「粘りが無くなった」と切って捨ててるんだよね。確かに中盤から凡 作も混じるようになったのは事実だし、アルコールのせいか現場では寝ていたことも多かった らしいが、監督としてのアベレージはそんなに悪くないと思うんですけどね。 香港で撮った「狂った果実」や「猟人日記」のリメイクも仲々のものだったようだしね。 それとも、寝てても作品が出来るのは、当時のスタッフや助監督が優秀だったことも大きいのですかね? 亡くなったのは病院じゃないの、現場で血を吐いたらしいけど 最後は香港でテレビ撮ってたんだっけ? 日本のテレビの仕事は7本しかない。それも5本が77年と78年に集中している。 >>17 香港では劇場用映画を4本撮ってますね。60年代にも、日活制作のTV映画を撮った ことはあるらしい。遺作は土ワイの「涙・暗くなるまで待って」とかいう作品。オードリーの 「暗くなるまで待って」の翻案。この頃にはもう胃ガンでボロボロだったみたいね。 それでも「変奏曲」で大損したから、少しでも仕事をして返そうとした。 小林信彦の連作「ビートルズの優しい夜」に、TV映画を書いている中堅の脚本家が、代 理店絡みの映画制作話にクビを突っ込むが、監督がカネだけ引っ張って何もせず、企画が壊れて しまう、という話がある。あの、かつては気鋭だったが今は落ちぶれて不義理を重ねる 監督のイメージは中平さんに重なる。映画界には時々いる人種なのだろうけど。 read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる