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洗練の美学 中平康

0001この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/04/29(金) 04:24:49ID:ewCwVaQF
二年前にスレがあったのだが・・・
デビューから晩年まで広く語ろう。
0004この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/04/29(金) 08:14:07ID:pU9hL4wt
また一年前みたいに特集やってほしいな。CSでもいいけど。
0005この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/04/29(金) 08:17:42ID:05C75PIs
にしても、>>2のスレってなんでそんだけしかレスがつかなかったんだ?
おととしのユーロでの特集と重なってるのに…

0006この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/04/30(土) 02:38:17ID:T5gztwRK
中平のワースト5はなにかな?

@ 変奏曲       いやぁ、意あって力足らずで、見ていて痛ましい。
A 闇の中の魑魅魍魎  吉村公三郎が撮っていたら傑作になったはずだけど。
B 青春太郎      ラストの柳永二郎のセリフでコケる
C 喜劇大風呂敷    藤田まことって面白い役者だったはずなんだけどな〜
D 牛乳屋フランキー  半世紀の時の経過で、ギャグがまったく受けなくなった。

こういうことが言えるのも、デビュー数年の作品が傑出していたからであります、はい。
0008この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/01(日) 01:11:49ID:5RhjowMh
浦山桐郎をいじめた。
0009この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/01(日) 01:47:57ID:gB1ptJrZ
>>6
ワースト5は、結構同意。じゃ、逆にデビュー数年後以外の傑作・佳作を。

やはり、中平康のフイルモグラフィーで特筆すべきは、昭和39年の狂い咲きとも
いえる、「猟人日記」「砂の上の植物群」「おんなの渦と淵と流れ」の、仲谷昇&稲野和子
による、性の3部作といえるでしょう。(これに「月曜日のユカ」を加えて4部作という人もいる。)
3作品とも賛否両論ありますが、果敢に映像表現の新しさに挑戦した意欲作といえるのでは?
他にも、中平版「真昼の暗黒」の「その壁を砕け」とか、中平版「愛と希望の街」の「泥だらけの純情」とか、
裕次郎の青春コメディでは最高作の「あした晴れるか」とか、まだまだおススメ作はありますよ。
0010この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/01(日) 01:56:35ID:SaerOGbX
浜田光夫唯一アクション作
俺の背中に陽が当る だな
0011この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/01(日) 21:23:40ID:oRD0K7k8
>>10
「俺の背中に陽が当る」って、唯一浜田・小百合コンビの、浜田の方が主演の
作品なんですよね。あと、中平康でもう1本、芦川いづみ主演の「結婚相談」も、
ちょっとユニーク(?)な作品ですよ。う〜ん、こうしてみると、まだまだありそう。
0012この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/02(月) 00:29:31ID:4xuBQrYJ
「狂った果実」とか、
昭和30年代前半には、いい作品を作ってるよね。
西村昭五郎監督が、中平氏に、
「あなたの作品は、主義主張がないから、賞を獲れない」
と、言ったらしいが・・・
0013この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/02(月) 08:36:45ID:7Q5DdkOE
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0279200.htm

増村もそうだけど、もうすこし長生きしてればどんなのを撮って、
どんな評価をされてたか、と思うよね。
0014この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/03(火) 00:10:39ID:LZbwjw8v
>>13
う〜ん。娘さんの中平まみの著書なんかを読むと、晩年はアルコールでボロボロだったそうで、
あまり期待はできなかったんじゃないかな?でも、中平康は、初期以外でも結構、佳作・意欲作
があるんですよね。当時はもう過去の人扱いされてたんではないかな?>>9で挙げた
昭和39年の作品なんて、キネ旬のベストテンで1票もはいってないしね。でも、今の時点でも
鑑賞に堪えうる作品がいっぱいある。
0015この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/03(火) 02:11:41ID:PFJGLOjx
>>14
田山力哉のルポはどこまで信用していいか分からないのだけれど、ボロボロになりつつ、
TV映画とか撮ってたみたいですね。最期の頃は、もう演出に耐えられる体ではな
かったようで。そのまま現場で亡くなった。

田山さんは、けっこう途中から「粘りが無くなった」と切って捨ててるんだよね。確かに中盤から凡
作も混じるようになったのは事実だし、アルコールのせいか現場では寝ていたことも多かった
らしいが、監督としてのアベレージはそんなに悪くないと思うんですけどね。
香港で撮った「狂った果実」や「猟人日記」のリメイクも仲々のものだったようだしね。

それとも、寝てても作品が出来るのは、当時のスタッフや助監督が優秀だったことも大きいのですかね?
0016この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/03(火) 08:26:08ID:FezpuB6M
亡くなったのは病院じゃないの、現場で血を吐いたらしいけど
0017この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/04(水) 03:03:29ID:h7396lSl
最後は香港でテレビ撮ってたんだっけ?
日本のテレビの仕事は7本しかない。それも5本が77年と78年に集中している。
0018この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2005/05/04(水) 06:00:57ID:Nj/iaz7h
>>17
香港では劇場用映画を4本撮ってますね。60年代にも、日活制作のTV映画を撮った
ことはあるらしい。遺作は土ワイの「涙・暗くなるまで待って」とかいう作品。オードリーの
「暗くなるまで待って」の翻案。この頃にはもう胃ガンでボロボロだったみたいね。
それでも「変奏曲」で大損したから、少しでも仕事をして返そうとした。

小林信彦の連作「ビートルズの優しい夜」に、TV映画を書いている中堅の脚本家が、代
理店絡みの映画制作話にクビを突っ込むが、監督がカネだけ引っ張って何もせず、企画が壊れて
しまう、という話がある。あの、かつては気鋭だったが今は落ちぶれて不義理を重ねる
監督のイメージは中平さんに重なる。映画界には時々いる人種なのだろうけど。
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