>>157
「実をいうと、私は生まれつき、色彩感覚がにぶい。とくにある種の緑と赤のみわけがつきにくい。
 “紅緑色弱”とでもいうのだろうか。従って中学卒業後もすすむ大学、専門学校も制限され、そのこ
ともあって映画界へ入った。当時映画に“色”がなかったからである」
(吉村公三郎:映画のいのちー私の戦後史、p129、玉川大学出版部、1976)
この記述のあと、勉強した内容が具体的に書いてある。