夏八木“パパ”勲さんについて:

慶応大学在学中に文学座養成所に入所、さらに俳優座養成所に入り直した為、
俳優座では他の同期生に比べてかなり歳かさだった。
そのため付いた渾名が「パパ」。
その為か、デヴュー以来、わりと最近まで公式プロフィールの生年月日が
1940(昭和15)年12月25日と、一歳サバを読んでいた。これはデヴューの際に
事務所がそうさせたのか、本人の意思なのかは不明。
実際の生年月日は1939(昭和14)年12月25日。

普段から口下手で、トーク番組やインタヴュー等のフリートークが苦手。
やたらと擬音や、例え話的に慣用句をトークに織り交ぜるが、
話の収拾がつかなくなってインタヴュアーや司会者が助け舟を出す事が多い。
真面目に質問に答えようとして適切な言葉を探して「・・・・」と間が空く事も多く、
インタヴュー映像等ではその「・・・・」が長過ぎて編集を加えられる事も。

共演者(端役やエキストラに至るまで)への気遣いは尋常ではない程。
共演者は誰もがその人柄を賞賛する。
ある舞台の稽古中、一人では着られないような大掛かりな衣裳への着替えの際、
手伝いのスタッフが忙しくて遅くなった時も、ひたすら謝り倒すスタッフに
怒るどころか、「ゴメンなあ。そろそろ着替えようか」と穏やかだったという。
舞台裏で事故が起きた際にも、誰よりも早く駆けつけてケガ人がいないか、
何が原因かを(冷静に)聞いて、責任者には(冷静に)注意を促した。

楽屋ではたまにポツリとダジャレや冗談をつぶやく事もあるらしいが、
たいてい受けないので「やっぱり受けなかったか・・・」と寂しそうな表情を見せ、
それが逆に笑いを誘う事もあったとか。

↑これらは実際に夏八木さんと舞台で共演した事のある役者さん・スタッフからの伝聞です。